日常の向こう側 ぼくの内側 718
横尾忠則
2025.11.24 夜はたっぷり眠っているような気がするのに、昼間から眠くて仕方がないのは病気? 終日倦怠感に襲われ続けて、何もする気がしないのも病気?
こんな気分から解放されたいとコンビニでスポーツ紙を買って、安青錦の記事を読むと一気に回復。自分の運命を司っているのはどうも安青錦であるらしい。
2025.11.25 北沢さんと塚田さんとがベルリンの個展に代行してくれるので、打合せの予定が、塚田さんの体調不良で、北沢さんとランチを食べながらの打合せに。他者の体調も自分に影響するので心機一転、「ほぼ日」のマンガ部のポスターの制作に入ると、急に倦怠感から解放。
2025.11.26 〈郷里の蓬莱橋のたもとで若い頃の高倉健さんとバッタリ、健さんの驚く表情。健さんの事務所は次から次と来客あり。その大半の人達が知人。元ラフォーレの武本さんの顔もあるが、この場を失礼して帰ることにするが、全員を前に如何にも高倉健ばりの礼儀礼節を尽した挨拶をして帰る〉という夢を見る。
2025.11.27 朝日新聞の吉村さん来訪。彼女とは書評編集長時代からだから10年以上になるかな。3回目のコロナから回復したばかりだが、仕事は楽しいそうだ。来訪の用件はとんかつを食べながらの雑談会。
嵐山光三郎さんが急逝と朝日新聞の鮎川さんから連絡あり。「週刊新潮」の短歌評の選者が別人になっているので「なぜ?」と嵐山さんに、アトリエへどうぞと葉書きを書いたら、えらい喜ばれたそうだが、どうもその数日後の逝去らしい。
明日オープニングのベルリンでの個展のカタログが届くが、なんと500ページ2冊分、1000ページの大著に驚く。何んだかわからないが、さすがベルリン!
北沢さん塚田さんから乗り継ぎで立ち寄ったワルシャワ空港からメール届く。自分が行けない(年齢と体調で)のは残念。
2025.11.28 午前中SHINさんにシャンプーをしてもらって自由学園明日館へ茂木健一郎さんとの公開対談に。会場はフランク・ロイド・ライトの建物でまるで教会みたい。茂木さんとは初対面で「先生」と呼ぶか「さん」と呼ぶかで悩んだが、対談時は「先生」になったり「さん」になったりする。茂木さんの質問の突っ込みが誰もしないような話題で、また場所を変えて今日の延長をとお互いに思ったようだ。
夕刊の嵐山さんの死亡記事によるとすでに2週間前に亡くなっておられたようだ。長期間の空白があったが、去年だかに対談で久し振りに会った。まるで同級生のように過去の日に戻って昔話に花が咲く。アトリエに来訪の予定だったが、とうとう実現しなかった。
2025.11.29 早朝にアトリエに行って、「週刊新潮」の連載エッセイ2本を書く。すでに年内分は入稿していたとばかり思っていたら1本足りないと、今年の総括と、年頭のナントカについて書いて欲しいと。すでに2ヶ月分余分に入稿していて安心していたが、編集部の手持ちがなくなったらしい。
「週刊新潮」のエッセイは品切れ。古い話になるが1969年、パリ青年ビエンナーレで賞を貰って、その副賞で2ヶ月パリに招待された時、竹本忠雄さんの通訳でアラン・ロブグリエと合作本の話をしたり、ピエール・ド・マンディアルグとその夫人ボナを訪ね、ボナと夕食に行く話などを書くが、「週刊新潮」向けではなさそうだから、没にして、別のテーマを探そう。
2025.11.30 北斎に架空の質問を30ばかりして、それに自ら北斎になったつもりで回答などして無為の空白時間を遊ぶ。
4時半になると暗い。だけどアトリエのバルコニーからは夕焼空が赤く染まって富士山がシルエットになってドカンと音がするほどの存在感だ。庭の手前の樹木の枝が枯れて地面に落ちたから、冬の間は富士山の見えるアトリエってとこかな。(よこお・ただのり=美術家)
