2025/02/21号 6面

アジアン・ポップカルチャー大全

アジアン・ポップカルチャー大全 ジェフ・ヤン/フィル・ユ/フィリップ・ワン著 金 成玟  知れば知るほど、使えば使うほど難しく感じる言葉がある。「アジア」もそのひとつではないだろうか。北はロシア、西はイランまで広がる広大な大陸をルーツとする人びと。50以上の国と地域、2000以上の言語。街を歩く人に「アジアとは何か/アジア人とは誰か」と尋ねれば、おそらく100人いれば100通りの答えが返ってくるだろう。この問いは、単に言葉の定義の問題にとどまらない。大谷翔平やBTSのような成功したアジア人への憧れと、新型コロナウイルス感染症の状況下で実感したアジア人への偏見のあいだを生きているすべての「アジア人」にとって、それは、自己と他者をどのように想像するかを試される「日々の試験」のようなものだ。だからこそ、「アジア」を理解するために求められるのは、「オリエント」という言葉に象徴されるような、他者(もちろん西洋を指す)から与えられた相対的な意味に安住することなく、自らのアイデンティティの問題として実証的かつ歴史的に答えを模索することである。「アジア」という言葉を用いてなされるあらゆる暴力を容認・正当化しないためにも。  本書は、まさにその一つの方法を見事に提示した力作である。2022年にアメリカで刊行され、大きな話題を呼んだ本書の日本語版が、これほど早く出版されたことは誠に喜ばしい。というのも、本書はエッセイ、インタビュー、イラスト、マンガなど、多様なフォーマットで構成されており、それを一貫性のある歴史書として翻訳する作業は、想像を絶するほど困難だったに違いない。読みにくいという意味ではない。むしろ、この形式こそが、「アジア系アメリカ人の文化的アイデンティティはいかに変容してきたのか」という問いを多角的な視点から探る本書の特徴を最大限に引き出している。雑誌、シンセサイザー音楽、ヒップホップとラップ、リアリティ番組、ファッション、お笑い、スポーツ、ゲーム、食文化、YouTube文化、Netflixコンテンツなど、さまざまなジャンルを通じて「アジア系」と「アメリカ」の関係性がもつダイナミズムを探っている本書にとって、それはもっとも有効な方法なのかもしれない。そして何よりも、読者を惹きつける力がある。ずっとそばに置いて何度でも読み返したくなるこの魅力を生み出しているのは、1968年に初めて公式の場で用いられた「アジア系アメリカ人」という言葉が指し示す人々が、1990年代以降アメリカで成し遂げた成果と、その裏側にある混乱を映し出すさまざまなビジュアル資料と語りである。とくに、アジア系の人々がアメリカで自らの居場所や存在感を確立していく過程、そしてその一文脈として、ジャーナリスト、アーティスト、俳優、ミュージシャン、作家、活動家、研究者たちがメディアやポピュラー文化における役割と影響力を拡大していく軌跡を示す具体的な作品は、「アジア」という固定観念や既存の知識を覆すに十分な視覚的かつ知的な刺激を与えてくれる。  本書のさらなる強みは、本書がもつ限界を恐れずに、それ自体で次の議論の可能性を広げている点にある。政治・経済の視点ではなく、文化、とくにメディアやポピュラー文化を通じて探求していること、またジェフ・ヤン、フィル・ユウ、フィリップ・ワンという名前をもつ3人の編著者が東アジアにルーツを持つことは、英語版のタイトル(Rise:A Pop History of Asian America from the Nineties to Now)にも表れているアジア系アメリカ人の「RISE(台頭)」を示すには間違いなく有利な条件となる。じっさい、本文で紹介されている中華圏の映画、日本のアニメ、韓国のK-POPなどの事例は、アメリカにおいて「アジア系」が「ジャパンタウン」や「コリアタウン」のようなそれぞれの「村」の境界を乗り越え、いかに社会的に構築されてきたのかを語るに最適である。  一方で、こうした強みは、東アジア系とその他のアジア系のあいだ、アジア人の文化的イメージと政治・経済的な影響力のあいだ、「アジア系アメリカ人」とそのルーツとなる国・地域の「アジア人」のあいだに存在するギャップを浮き彫りにしている。「東アジア系」の躍進と苦悩を、どこまで「アジア系」の経験として語れるのか。メディアが媒介するアジア系の文化的イメージは、アジア系の人びとが経験する日々の差別や偏見をどこまで変えられるのか。「アメリカ」との異なる関係性は、「アジア系」と「アジア人」のアイデンティティにどのような影響を与えているのか。アジア系アメリカ人の躍進を、単純に「誇り」という感情に還元するのではなく、「アジア」という概念に関するこうした疑問を喚起することこそ、自らのアイデンティティを獲得するために闘ってきた人びとのさまざまな軌跡を描いた本書の最大の持ち味なのかもしれない。(後藤結花訳)(キム・ソンミン=北海道大学教授・メディア・文化研究)  ★ジェフ・ヤン=CNN、『Quarz』誌、『Sltate』誌ほか各メディアに多数の記事を寄稿。  ★フィル・ユ=アジア系アメリカ人のニュース・文化に関する人気ブログ『Angry Asian Man』の設立者・編集者。  ★フィリップ・ワン=制作会社ワン・フー・プロダクションズの共同設立者。

書籍

書籍名 アジアン・ポップカルチャー大全
ISBN13 9784636106763
ISBN10 4636106768