滅びゆく惑星で 第2回
増田俊也
二十代の知り合いの女性と話していて驚いた。
「恋に落ちるという意味がわからないので、恋愛小説を読んだり恋愛映画を観たりして勉強しています」
恋愛未経験者ではない。いまも恋人の男性がいて同棲しているという。それでも恋愛がどういうものだかわからないというのである。
「じゃあ君たちにとって恋愛ってどういうものなの?」
ストレートに聞いてみた。
しばらく視線を宙にやって考えているので、もしかしてと思った。
「車を買い換えるような感じ?」
その途端、彼女の眼に光が戻り、「ああ、そうそう。そういう感じです」と答えた。そこからしばらくディスカッションしたが、つまり自動車を購入しても他に良いものが見つかればすぐに乗り換える――それと同じようなものだというのである。
マッチングアプリの普及が与って大きいであろう。ある調査では二十代の四割以上がマッチングアプリを通して恋人と知り合ったという。まさに車を乗り換えるように恋人を乗り換えることができるであろう。
マッチングアプリは条件で相手を絞り込んでいく。たとえば《身長》は百七十センチ以上、《大学》は早慶卒が聞こえがいい、《職業》は外資系コンサル、《年収》は一千万以上など、あらゆるフィルターをかけて残った数十人か数百人だかわからないが、その連中と会って、気が合えば付き合う。途中で「やっぱり身長は百七十五センチ以上がいいな」と思えば検索しなおして探し、今の彼から乗り換える。「やっぱり早慶より東大京大だな」と思えばやはり検索して乗り換える。たしかに自動車ディーラーで車を選び、買い換えるのとまったく変わらない。そこには胸を焦がすような衝動も、相手に理由なく惹かれてしまう不可解さもない。あるのはスペックの比較と、より条件のよいものへの乗り換えだけである。
誰がアプリ結婚しようと直接私には関係はない。だが私は作家である。このままいくと恋愛小説というものがこの世から消えてしまうのではと心配になってくる。
昔の小説の多くは恋愛を扱っていた。映画だって歌だって、恋愛を扱ったものがほとんどだった。身分違いの恋に煩悶し、叶わぬ相手を想って涙する――そうした不合理さこそが人々の胸を打ち、物語を生んできたはずである。条件で選び、条件で乗り換える関係から、いったいどんな物語が生まれるというのか。これからいったい、小説や映画や音楽はどうなっていくのだろう。(ますだ・としなり=小説家)
