フランス文学
塚本 昌則
時代を越え、地域を越えて、力強い作品の発掘が数多くあった。
アラン・マバンクはコンゴ共和国出身で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教鞭を執っている。『割れたグラス』(二〇〇五年、桑田光平訳、国書刊行会)は、港湾都市ポワント=ノワールの酒場に流れ着く、飲んだくれたちの身の上話だが、理屈抜きでおもしろい。文学作品のタイトルや引用をちりばめながら、時おりラブレーを思わせる誇張法でぐいぐい読者をひっぱってゆく。男たちの告白をよくよく考えてみると、近親相姦や近親の裏切りによって身を滅ぼしてゆく話で、そこにはギリシア悲劇の王たちの風貌がかすかに垣間見える。世界の果ての酒場に、一個の宇宙があるのだ。この作家には『アフリカ文学講義』(中村隆之・福島亮訳、みすず書房)という優れた概説書がある。
クロード・シモンは、ヌーヴォー・ロマン作『フランドルへの道』、自伝的作品『アカシア』『路面電車』という傑作郡に較べ、初期作品はほとんど紹介されてこなかった。小説第二作『綱渡り』(一九四七年、芳川泰久訳、幻戯書房)では、一九三六年、革命騒ぎの渦中にあったバルセロナ滞在、第二次世界大戦で命を落としかけ、捕虜となった経験など、このノーベル賞作家の作品でしばしば語られることが、まったく異なった筆致で書かれている。「もし、あなたが一枚の絵の前に立って、何が描かれているかを見分けてしまえる前に、喜びやら動揺やら静寂の印象があなたのうちにうまれてこないなら、それはその絵にまったく価値がない」からだ──語り手の言葉通り、何が語られているのかがわかる前に、真の喜びを求める思いがどの行からもほとばしっている。自由に、無秩序に、自分の見たものを線や色として画布に投げつける、セザンヌの絵を思わせる小説である。
フィリップ・スーポーは、アンドレ・ブルトンと二人で、自動筆記で『磁場』(一九二〇)を書いた。しかし一九二六年、小説執筆に邁進していることを咎められ、シュルレアリスム運動から除名された。『パリの最後の夜』(一九二八年、谷昌親訳、国書刊行会)は、同じ年に発表されたブルトン『ナジャ』と比較される小説である。どの行もパリへの讃歌を歌っている詩といったほうが良いかもしれない。それも夜のパリ、ジョルジェットという謎の女性が未知のものに変貌させるパリである。「ジョルジェットを追いかけているとき、(……)おれはパリを初めて眼にした。街はつまり前とは違うものになっていたのだ。」 娼婦、犯罪者、破壊分子が蠢き、革命前のパリの夜を描いたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌをも思わせる「得体の知れない街」がそこには広がっている。
他にも、ノーベル賞受賞作家パトリック・モディアノが、二十一歳での作家デビューまでの自分の人生を、小説的脚色をできる限り排し、調書のように書きとめた『血統書』(二〇〇五年、松崎之貞訳、国書刊行会)があった。固有名詞と年号が記述の多くを占めるのに、ある時代のとあるパリの街角の風景、子供の世話をせず、いがみあう両親に翻弄される作者の幼い日々がありありと甦る。イレーヌ・ネミロフスキー『獲物』(一九三八年、芝盛行訳、未知谷)は、バルザック、あるいはスタンダールの小説から脱けだしてきたような青年が、世界恐慌の時代に野心の実現をめざし、破れてゆくさまを語っている。ジャン=バティスト・アンドレア『彼女を見守る』(二〇二三年、澤田直訳、早川書房、ゴンクール賞受賞作)は、軟骨無形成症の彫刻家と貴族の娘が日常の外で交流し、成長していくさまを、両大戦間の激動期のイタリアを背景として物語っている。
エッセー・批評では、フレデリック・グロ『歩くという哲学』(谷口亜沙子訳、山と溪谷社)が、とにかくおもしろい。山を歩くこと、都市を歩くこととはどういうことか、歩くことは、走ることとどう違うのか、長時間歩くために何が必要か等々、歩くことをめぐる数多くの問いを考えつつ、ランボー、ルソー、ニーチェ、ネルヴァル、ベンヤミン等々、歩くことが書くことであるような作家たちを読み解いてゆく。ミラン・クンデラ『誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇』(阿部賢一訳、集英社新書)は、「中欧」という、ロシアとドイツにはさまれた小民族からなる不安定な地域にこそ、全ヨーロッパの脆弱性が表れていると指摘する。ヘルマン・ブロッホ、ムージル、カフカの小説は、ヨーロッパの終焉をめぐる長い瞑想と捉えることができるというのだ。
他にも、両大戦間期から占領期にかけて、輝かしい知識人がナチスに加担する過程を追うアントワーヌ・コンパニョン『ベルナール・ファイ ある対独協力知識人の肖像』(今井勉訳、水声社)、詩人―政治家の壮大な生涯を語る西永良成『ヴィクトール・ユゴー』(第三文明社)、近代文学成立においてスタール夫人の果たした役割を明確に打ちだした小倉孝誠『「フランス文学」はいかに創られたか 敗北から国民文学の形成へ』(白水社)、詩人の生涯を精査し、思想の内実を問う大出敦『余白の形而上学ポール・クローデルと日本思想』(水声社)等があった。
最後となったが、クレオール文学、ケベック文学の紹介に尽力した立花英裕の遺稿集『異邦人のフランス語圏文学 立花英裕と「世界―文学」の想像力』(谷昌親・中村隆之編、水声社)が刊行された。立花の蒔いた情熱の種が広く伝播していることを証す論集ともなっている。故人の冥福を心より祈る。(つかもと・まさのり=東京大学名誉教授・フランス文学)
