2025/05/30号

転換する戦時暴力の記憶

転換する戦時暴力の記憶 高橋 秀寿著 柳原 伸洋  本書は、ドイツが戦時下で経験した「暴力」が、戦後ドイツ(主に西ドイツ)でどのように想起され、その想起の転換がいかに政治に作用したのかを主題とする。扱われている戦時暴力の具体例は、(一)国防軍兵士と(二)空襲記憶であり、これらの構造転換を記憶の普遍化、つまり「ホロコースト・モデル」の確立から明らかにしている。  この二事例を簡潔に紹介しておこう。(一)国防軍兵士は戦場で戦った人々であり、実際には「加害」的な側面が強い暴力集団だが、戦後初期には彼らがナチズム体制とは距離を置いた「汚れなき」存在とされた。本書では、後に彼らが「受動的犠牲者」へと転換していく様子が扱われる。(二)空襲は「被害」的な側面が強調されやすい暴力である。空襲記憶は戦後初期には大被害からの復興の物語に利用されていった。その後に、ドイツにおける「犠牲」の表象の傾向を強めていく。これら二例を転換させた契機が、第一に「ホロコースト・モデル」と呼ばれる記憶のグローバル化・トランスナショナル化であり、第二に、この想起のグローバル化に対してローカルな暴力記憶も平行・対抗しつつ具象化していく現象である。これを想起文化の「グローカル化」と呼ぶ。  「ホロコースト・モデル」とは犠牲をめぐる思考枠組みであり、戦後の想起文化のシフトチェンジに作用した。犠牲には、能動的犠牲(Sacri-fice)と受動的犠牲(Victim)がある。前者は、「英雄的」に世界を変える犠牲であり、本書では「フランス革命モデル」と呼ばれる。これは、「過去・現在(旧体制)」を克服して未来に向かう想起文化のモデルといえる。対して後者は、犠牲者の受けた被害への感情的移入から、人道・人権の擁護へと普遍化していく。これが「ホロコースト・モデル」である。著者は、映画『シンドラーのリスト』をこのモデルに当てはめて説得的に叙述している。なお、著者の『ホロコーストと戦後ドイツ』(岩波書店、二〇一七年)に詳しい。  本書で用られている「知的道具」は他にもある。例えば、「暴力」について「神話的暴力」と「神的暴力」を定義し、前者を体制を打ちたてる力、後者を体制破壊的な力とする。ここから「法・制度」との相関を導き出し、これを表象文化との結びつきに用いている。そして、戦後ドイツにおける想起文化・想起政治の変容を明らかにする。  ここまで本書を構成する骨子をごく簡単にまとめてきた。しかし、実は本書のテーマはもう一つある。それは序章と終章で言及される、こうの史代の漫画『この世界の片隅に』の考察である(ドラマ化もされ、アニメ映画にもなった)。著者は、この作品に表現された「想起の政治」に批判的な眼差しを投げかける。特に、安倍晋三元首相の主唱した「戦後レジームからの脱却」との親近性を指摘している点は重要であろう。要は、『この世界の片隅に』の主人公すずは「普通」の犠牲者として描かれており、同時に作品のノスタルジック表現も相まって、「普通の国家」、つまり「戦後」という語が含意する「戦争」に縛られない国家への希求との相同性が指摘できるのである。  最後に一本だけ、読者に向けて本書を理解し、さらに展開していくための補助線を引いておきたい。「戦時暴力」は、戦後ドイツにおいては「暴力の記憶」と結びつき、政治に転化していく。つまり、「想起」が政治や社会運動に転化するための原動「力」あるいは推進「力」ともなった。「暴力」は日本語では「暴れる」という語感が重視されるが、ドイツ語的にはGewalt(ゲヴァルト)であり、「暴力」とも「権力」とも、そして「力」とも訳せる言葉である。本書では「力(ゲヴァルト)」が扱われていると捉えれば、戦後社会とは移譲・馴致・抵抗などを通じて戦争中の「力―エネルギー」が転化した時代であると理解できるだろう。(やなぎはら・のぶひろ=東京女子大学現代教養学部教授・ドイツ近現代史)  ★たかはし・ひでとし=立命館大学文学部特任教授・ドイツ現代史・現代社会論。著書に『再帰化する近代』『ホロコーストと戦後ドイツ』『時間/空間の戦後ドイツ史』『反ユダヤ主義と「過去の克服」』、共著に『ナショナル・アイデンティティ論の現在』『境界域からみる西洋世界』など。一九五七年生。

書籍

書籍名 転換する戦時暴力の記憶
ISBN13 9784000240697
ISBN10 4000240692