2026/06/26号 7面

世界のベーシックインカム運動

世界のベーシックインカム運動 法政大学大原社会問題研究所/岡野内 正編著 村上 慎司  これまでにベーシック・インカム(以下、BI)について論じられた書籍は国内外を問わずに数多くあるが、本書は壮大なスケールのもとで世界のBI運動の歴史・現状・展望を論じる。本書の構成は、第1編「歴史」・第2編「現状」・第3編「展望」の3編、全16章の論文、20本のコラムから成り立つ。本書評は、紙幅の都合のため、コラムには限定的に触れ、また、各章も等しく概観できないと断ったうえで、本書の内容を評者の関心から整理し、若干の論評を試みる。  第1編の第1章は、BIの起源として言及される18世紀末イングランドのトマス・スペンスとトマス・ペインの議論を取り上げ、BI運動の視点からペインとの対比においてスペンスのBI構想を整理・分析する。それによれば、両者のBI構想は歴史的不正義回復の観念は共通しているが、ペイン構想は私有財産中心や国家主導の特色を持つのに対して、スペンス構想は土地建物や生産手段の管理を女性による地区委員会が担うラディカルなものであるという。第2章は、19世紀前半にジャマイカに生まれスペンス構想に触発されロンドンで活動した奴隷制廃止運動家ロバート・ウェーダーバーンの実践に注目し、BI運動が国境を超えて展開する様相を論じる。それを踏まえて、歴史的・植民地的不正義に抗する補償要求とBIとの接合を考察する。第3章は、1970年代のイギリス女性解放運動においてBIの要求があった史実とその背景の社会運動を解明したうえで、デヴィッド・グレーバーの「予示的」概念を援用して、彼女たちの社会運動の先駆性を分析する。  続く第1篇の後半に配される章は、いずれもBIと天然資源との関係を論じる点で共通する。第4章は、1970年代にアラスカにおける石油収入を財源とするBI的制度は先住民の権利が不問であると暴露し、こうした歴史的不正義に抗する正義回復グローバル・モデルに基づくBIを提起する。第5章は、イランで2010年に導入された石油資源を財源とするユニバーサル・BIの導入の経緯を検証する。第6章は、モンゴルにおいて2010年から2012年にかけて実施された「人間開発基金法」に基づくBIを検討する。これは銅や金などの鉱物資源収入を財源として、国民全員に無条件で現金給付をするものである。格差が大きいモンゴルは、「人間開発基金法」に基づくBIよりも教育や社会保障への要望が強く、一律給付よりもターゲティング型給付を社会的に選好したと論じる。  第2編における各国・地域の現状分析は、各々に固有の経済・政治・社会的な条件/制度を念頭に、財政危機・コロナ禍・ポピュリズム台頭といった現代社会に共通する危機への対応とBIとの関連を論じる。第7章は、カナダのBI運動について、オンタリオ州でのパイロット実験とその中止、コロナ禍以後の議論を概説する。第8章は、グレートブリテン/アイルランド諸島圏におけるBI議論と関連するポピュリズム的BI論を含めた政党政治の動向を考察する。第9章は、現状の欧州で例外的に左派政権下にあるスペインのBI論と実際に導入された非拠出型資力調査付き給付でるある最低生活保障を検討する。第10章は、ブラジルのBI運動を連帯経済運動、住宅・土地問題、貧困撲滅策といった観点から論じる。第11章は、南アフリカとナンビアの1990年代から2000年代にかけてのBI運動を回顧しつつ、コロナ禍後の運動の現状やパイロット・プロジェクトを紹介する。第12章は、トルコにおける選別主義的社会保障を主導する与党の分析を通じて、なぜトルコにおいてBI論が進展しないのかを検討する。第13章は、台湾におけるBIがポピュリズムに接近しつつある現状を批判的に分析する。第14章と第15章はいずれも韓国のBIを論じているが、第14章は京畿道城南市長在任時からBIを主張してきた李在明大統領の選出等の政党政治の議論を中心としているのに対して、第15章はBI運動の当事者自身が韓国の進歩的社会運動の変化を軸に自分たちの運動を回顧し残された課題を論じる。   第3編の第17章は、BIの運動・研究を行う国際団体であるBI地球ネットワークが国際機関に積極的に働きかけるように方針が転換したこと、コロナ禍で国際支援としての臨時的BIの費用対効果が優れているという議論を踏まえて、弱体化している国連がその存在意義を体現するために、普遍主義を貫徹したBIを実現せよと主張する。  本書全体を通して、階級・人種・植民地・先住民・ジェンダーといった交差性を反映した不正義に抗するBIの利点が説得的に示されている。他方で、現代社会が直面する人々の分断下において、本書のような社会運動論的BIは、「まえがき」にある人間性への信頼や人々の連帯を必要としているがゆえにより一層の困難に直面している、と評者は懸念する。この応答に、BIが信頼・連帯を可能にするという主張もありうる。同様に、コラム19・20が示唆するように、BIが熟議民主主義やグローバルな正義を可能にするという見解がある。これに対して、評者は、熟議民主主義にコミットしグローバルな正義を希求することを可能にさせるためにも信頼・連帯が必要があり、それらはBIが可能にするものであるよりも、BIを可能にさせるものだと考える。もちろん、「BIが可能にするもの」/「BIを可能にさせるもの」といった区分は直截的にできず、また、これらの間は明快に一方向的ではなく、ある程度は双方向的であることは評者も承知する。だが、この区分を導入し、特に後者の「BIを可能にさせるもの」への分析を深めることによって、本書で不在となっている各論考を貫く理論的枠組みのヒントになるだろう。(執筆=岡野内正・中村理玄・永嶋信二郎・山森亮・堅田香緒里・ケイワン・アブドリ・小林秀高・田中俊弘・本田浩邦・南野泰義・中島晶子・横田正顕・中筋直哉・小野一・中田潤・山崎圭一・牧野久美子・今井宏平・河村有介・本田親史・朴峻喜・安孝祥・影本剛・金早雪・文京洙・大﨑雄二・猪俣範一・佐藤一臣・則包佳啓・上村雄彦・鰐部行崇・安井裕司・松下冽・田村哲樹・山田祥子)(むらかみ・しんじ=金沢大学准教授・経済哲学・社会保障論)  ★おかのうち・ただし=法政大学教授・社会理論・国際政治経済学。著書に『グローバル・ベーシックインカム構想の射程』など。

書籍

書籍名 世界のベーシックインカム運動
ISBN13 9784588625565
ISBN10 458862556X