小谷野敦×倉本さおり
「芥川賞について話をしよう」第29弾
第一七四回芥川賞は、畠山丑雄「叫び」、鳥山まこと「時の家」の二作受賞となった。ほか候補作は久栖博季「貝殻航路」、坂崎かおる「へび」、坂本湾「BOXBOXBOXBOX」。今回も小谷野敦氏と倉本さおり氏に対談いただいた。(編集部)
◆土地に埋もれていた歴史を語る ◎畠山丑雄「叫び」
小谷野 前回、グレゴリー・ケズナジャットの『トラジェクトリー』でも取れなかったのだから、今回は「受賞作なし」がふさわしかったと思います。でもそれでは書店が困るので、無理やり受賞作を出したのか。特に畠山丑雄の作品はよくわからなかった。三島由紀夫賞の候補作になった「改元」もさらにわからなくて、受賞後エッセイやインタビューを読んでも、どうにもとりとめのない印象です。
倉本 とりとめのなさはありますね。今回『文學界』の作品解説のために畠山さんの作品を全て読み返しましたが、「死者たち」は、マジックリアリズム的ですし、「先生と私」はまたテイストの違う青春小説。それでも書けてしまうという意味では意外と器用な作家であるように思えます。 小谷野 インタビューで高校まではマンガばかり読んでいたと言っていましたが、それならなぜ英文科を選んだのかもわからない。メルヴィルの『白鯨』のような小説を書きたいと言っているけれど、そういう感じはないですし。この人の文章には重厚感がない。
選評でなるほどと思ったのは、西日本出身者には受けるけど、東日本出身者にはイマイチという傾向が見られた、というところ。
倉本 「虫やん!」の場面とかですかね。
小谷野 今なんて言いました?
倉本 主人公がアプリで知り合った元婚約相手の女性との一件です。彼女が蛍を見たいというので、わざわざ山間部の小川で何匹か捕まえてきてバーでプレゼントするのだけど、移動中にすでに死んでいて光らず「虫やん!」と言われてしまう。後日、彼はそれをキャバクラでのトークの持ちネタにするんですよ。
小谷野 そんなシーンありましたか? 今、話を聞いてもピンと来ない。バーでデートする設定もわからないですね。
倉本 主人公にとっては、バーでお酒を飲むのがかっこいいデートコースなのかもしれません。ただとにかく、女性と一対一で対等な関係性を結んだことがない人物なのでしょう。その後、銅鐸作りをきっかけに知り合う女性がいますが、主人公の彼女への思いとは温度差がある。
畠山さんの女性の描き方はどうでしたか。
小谷野 女の人が出てきた印象があまりない。
倉本 (笑)。全作品を読んだ上で見ると、あの女性の書き方も主人公のからっぽなありようも狙っている感じはします。
小谷野 本当はもっとまっとうな人物描写ができるということですか。
倉本 また違う書き方ができる人なのだろうと思います。
小谷野 最後に天皇・皇后の行幸啓を妨害する、という話になるのはなぜ?
倉本 そこは必然性があるかと言われると……難しいですね。
小谷野 天皇制への批判を小説に込めているのか、そこがわからないんですよね。「改元」でも天皇が出てきているので、よほど考えるところがあるのかと思えば、インタビューでは、たまたま義理の母と弟が万博に行ったときに天皇が来ていたことを聞いて、「これだ」と膝を打ったとか。噓つけ、と思いますけどね。
倉本 私もインタビューはあまり当てにならないと思っています(笑)。
小谷野 何だかすっとぼけていて、漫才師みたいな人なのかな。
倉本 そういう胡散臭さはストーリーテラーにとって武器になり得るんじゃないかと思います。
今作では満州国で国策として行われた罌粟栽培の歴史が忘れられ放置されていることを書いている。ただ、どんな立場から天皇制を取り上げているのかは判然としない。それよりは土地について書くこと自体に情熱があるのかなと。土地について調べていけば埋もれていた陰惨な歴史にぶつかり、そこに立つ自分自身もいやおうなく接続してしまう。その事実自体を描きたいのかなと。
小谷野 最近の純文学は、現代音楽のような、一部の人にしかわからないものになっていると懸念しています。こういう小説が評価されるようになってきたら、純文学は終わります。今後は今村夏子の『とんこつQ&A』のような、中間小説的な方向に向かわなければ、純文学は生き残り得ないのではないか。それから、純文学はやはり私小説を重んじてほしい。
今回の候補作には不満があって、「カンザキさん」を入れてほしかった。
倉本 ピンク地底人3号さんの野間新受賞作ですね。労働小説の極北といった趣で緊張とユーモアのバランスが凄い。
小谷野 筆名が変過ぎますけどね。それから九段理江さん絶賛の石田夏穂「わたしを庇わないで」も入ってもよかったのではないか。
倉本 現代における「笑い」の難しさを怒濤のウィットと共に描いた作品で、確かにすごく面白かったです。
小谷野 何の細工もしなければ女性ばかりが受賞するので、今回は候補作に男性を並べたのではないかと思っているのですが。
◆緻密に風景を捉える家視点 ◎鳥山まこと「時の家」
小谷野 この作品も私にとっては前衛文学です。家が視点人物というのは、ヌーベルバーグ的な感じがします。建築は九段理江さんが「東京都同情塔」でテーマにしたでしょう。建築が流行りなのか。
倉本 鳥山さんご自身が建築家なんですよね。
小谷野 建築家が出てきて芥川賞を取ってしまうのが、建築が流行っているということじゃないですか。
倉本 建築というより、今回の受賞作は二作ともに歴史がテーマになっていることに意味を感じる。「叫び」は土地の歴史、「時の家」は一軒の長屋の記憶を詳細に描いています。速いスピードで物事が消費されていく世相に対する批評性の表れなのではないでしょうか。
人の記憶や時間を記録するという、小説の役割をめぐるロマンとでも言えばいいでしょうか。それが今回はストレートに評価された気がしました。
小谷野 この人はこの先どういう作品を書くのでしょうね。デビュー作は何を書いていますか。
倉本 「あるもの」で三田文學新人賞を取っています。
小谷野 他にも「欲求アレルギー」とか「アウトライン」とか、いろいろ書いているようですね。しかしタイトルがよくないな。「叫び」も、もう少し考えるべきですよ。
「時の家」は野間文芸新人賞と芥川賞を両方取るという初めてのケースです。これは裏を返せば、新人の作品が文芸誌にあまり載らなくなってきたという事情の顕れでは、と思います。
倉本 そうかもしれませんね。
本作の内容としては、緻密に風景を捉える視点の置き方が私はいいと思いました。かつてこの家の近所に住んでいた青年が、家が取り壊されることを知り、空き家となっている屋内に忍び込みスケッチをする。スケッチの対象は壁や柱の傷で、そこに、住んできた歴代の人々の記憶が重ねられ描写されていくという。叙述の主客が曖昧なスタイルで、実験的な作品だと思います。そのために読んでいるうちに主語がわからなくなって混乱するところはあるのですが。
冒頭に、屋根の鋼板が日射を受けて膨張し、押された垂木が裂けるような甲高い音を発する、という描写があります。木も石も漆喰も金属も、熱に膨らみ湿気に縮んでは、裂けるような音を立てるのだと。その建築資材についての詳細な描写が、その後の特異な家視点に符合してくるんです。ここに住んでいた三世代の物語というような典型的な書き方ではなく、家こそが語りの主体になっていることを感じさせる描写です。最後に家が解体される場面では、血が流れているのではないかと思うぐらい、読んでいて痛かった。
選評で山田詠美さんが引用していましたが、「家っていうのは時の幹やから」というセリフはまさにこの小説を言い表していて、幹から出た枝葉に相当するのが、住んでいた人々の見ていた景色なのだろうと理解しました。
小谷野 家視点で記憶を描くというのは「事故物件」に近いというか、何らかの事件によって、物質としての家に気持ちが付与されてくるところがある。
元自衛官・砂川文次の「小隊」の、建築家版みたいなところもあるかもしれません。ただ九段さんは、学んで建築を描いているけれど、この人は自分の専門をそのまま小説に放り込んでしまっている。
倉本 あとは、二作ともに「誠実そうな人ばかりが出てくる」という選評がありましたが、直木賞を受賞した嶋津輝さんの『カフェーの帰り道』にも言えることですよね。もう皆、ネット上の不誠実な言説に疲れているのではないかなと。
小谷野 豊永浩平の「はくしむるち」は、長過ぎたため、候補にならなかったんですよね。
倉本 そう言われていますね。
小谷野 『群像』編集部や本人の意向として、芥川賞候補にならなくてもいいということだったのか。「はくしむるち」はどう思いましたか。
倉本 スケールが大きいぶん瑕瑾もあると思いますがすごく面白かった。
小谷野 「むるち」が『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」のムルチだと知ってすぐに読んだのですが、私の印象では、彼は沖縄を使い過ぎる。
倉本 そこはアイデンティティなので、拘っていいのではないですか。
小谷野 沖縄を使いながら、そこに屈折がないんです。
倉本 もしかしたら世代の特徴かもしれません。
◆個人的な位置から社会を描く ◎久栖博季「貝殻航路」
小谷野 ポエムな文体が気になってしまう。
倉本 作品の世界は好きでしたが、レトリックは評価が分かれると思っていました。選評で山田詠美さんが「シティポップ」と書いていたのに納得。「銀色の涙に乗って国道四十四号線を走っていく」……銀色の涙に乗っちゃダメですね。
小谷野 北方領土が出てきても政治的な話にならない。アイヌをルーツに持つ夫が出てきても深い話に踏み込まない。
倉本 その点はむしろよかったと思います。これまで政治や大文字の歴史を小説に組み込もうとするときに、女性目線の心の機微みたいなものがドラマから弾かれる傾向がありました。今回はそうでない書き方だったところに好感を持ちました。
小谷野 深く踏み込まず、表面的な扱いがいいんですか。
倉本 たとえばハン・ガンさんの小説について、一人の女性の眼差しから歴史の傷跡を浮かび上がらせるようなところが評価されますよね。この作品も政治的主張をせず、社会的なテーマを扱っているところがよかったと思います。歴史における主要な政策や問題を扱うことで、既存の文学的な権威への目配せになっているようなものは、個人的に好きではないので。
小谷野 主人公は女性で、ほかに父親と夫が出てくるわけですよね。父親は極端に暴力的で、夫の描かれ方は少女趣味な感じ。
倉本 この夫はいわゆる既存の男臭さがないというか。男性の描き方に納得がいかなかったという意見も聞きました。非実在男性のように見えるのかもしれませんね。
小谷野 女性のファンタジーの中の男みたいに思える。でもそれよりもやはり表現のポエムっぽさが受け付けなかった。
倉本 父親の暴力性はわりとリアルだと思ったのですが、それに比しておぶられているときの思い出が童話的で、その落差が気になりました。ふらっといなくなってしまう夫の中性性は、アイヌの人々が世の中に置かれている宙ぶらりんな感じを投影しているのかと好意的に読んでいました。
小谷野 「ベガよりもアルタイルよりもずっと強く」光を投げかけられる、とか言われると萎えますよ。
倉本 やはり問題はポエミーな文体ですね。
小谷野 この人は前に何を書いていますか。
倉本 アイヌをテーマにした「ウミガメを砕く」が三島賞候補になりました。中性的な温度の低さは好きなのですが、文体がロマンチシズムに絡めとられてしまうのは気になります。
◆芥川賞に必要な前衛性を凝縮 ◎坂崎かおる「へび」
小谷野 ヘビのぬいぐるみが妻なんですか。
倉本 妻は、ヘビのぬいぐるみとは別で、「人形になった」と書かれていますよね。
ヘビは、もとは息子にプレゼントしたぬいぐるみだったものが、父親が話しかける相手になっています。妻はあるときから「人形」になってしまったとしか作中では明かされない。
この作品は一見、ヘビのぬいぐるみ視点なのですが、ぬいぐるみにしか話しかけられない父親に育てられた、大人になった息子が過去を描写しているという構図だと読みました。
小谷野 ヘビのぬいぐるみが母親なのかと思っていた。
倉本 父親のことを「あなた」と呼ぶんですよね。
最後のところで小説の視点が、息子の一人称になる箇所があるんです。「想像してほしいんだ。僕たちの未来を」と。
ただ、選評で川上弘美さんが、ヘビのぬいぐるみの位置から描くことで、家族三人がいる空間全体を読者が眺めることができるようにした、と書いているので、そこに妻の視点を含むこともできるのかもしれません。このように多層的な読み方ができることを良しとするのか悪しとするのか。私は多層的な読みを許すところが、純文学的だと思いましたが。
小谷野 前衛的ということですか?
倉本 芥川賞に必要な前衛性を凝縮させたらこうなるということかもしれません。坂崎さんの前回の候補作「海岸通り」は人情ドラマで、こんなに奇想的な構造ではなかったですよね。今作は文中でスラッシュを多用したり、意識的に実験性を入れて書いたのでしょう。それが「ASD傾向もあるADHD」と診断された息子をもつ、父親のワンオペ子育ての出口のなさをうまく表していると思います。
小谷野 倉本さんはこの作品を評価しているんですね。
倉本 はい。最終的に変えましたが、ギリギリまで「へび」と「叫び」の二作受賞だと考えていました。
小谷野 この人は自分では父親のつもりなんですか。
倉本 本人は頑張っているつもりなんでしょう。ただ妻が機能しなくなったので仕方なく父親役をしているだけで、メンタリティは成熟していない。成長していく息子に比べて、成長がないんです。ヘビのぬいぐるみに語り続けるという構造ですが、その言葉は誰にも届かず父親自身に回収される。ウロボロスが自分の尾を呑み込むように。
小谷野 坂崎さんは四一歳。実際に子どもがいてもおかしくない。
倉本 私的なことはセクシャリティなども含め、公表しないという姿勢を取っていますよね。
小谷野 前回は坂崎さんの作品が一番いいと思ったのだけれど。
倉本 いろいろな書き方ができる器用な作家さんなのだと思います。
小谷野 この人は無理して純文学を書かなくても、娯楽小説の方に向かえばいいのではないか。出身は東京なのか、学歴も公表していないので、それなりに厄介ですが。
倉本 私は作家その人には興味がなくて。
小谷野 私は作家が何者なのかをまず気にします。文学研究は伝記から始まると思っていて、そこは倉本さんと考えが違います。
倉本 いつも違う(笑)。今回は特に読みが違って、だからこそ面白いですね。
◆物象化論の小説化 ◎坂本湾「BOXBOXBOXBOX」
小谷野 デビュー作なので未知数ですが、候補作の中で一番普通の小説として読めました。マジックリアリズム的な要素はあるけれど、それが行き過ぎていないので。この作品が受賞してもよかったと思います。
宅配所で荷分けをする労働者が描かれるので、お仕事ものかと思いきや、読んでいくうちに意外な方向へ展開していきますよね。中身がわからない箱がベルトコンベアに乗ってどんどん流れてくる。それを仕分ける人間たちが、職場という箱の中に閉じ込められ、資本主義社会の機械として扱われているという。
マルクス主義を発展させた廣松渉の物象化論を小説化した感じがある。あぁだからよくないのか。物象化論の謎ときになってしまっているから。
候補作の中で、実験性は一番低いですよね。
倉本 そうですね。つくりは古典的な気がします。安部公房を引き合いに出す人がいて、ご本人もインタビューで名前を口にしていましたが、あまり安部公房っぽさは感じませんでした。
小谷野 安部公房はもっと中二病っぽい。それよりは幻想感が書けている。「砂の女」は女性に対する描写がひどすぎる。
倉本 どちらかと言えば、横光利一の「機械」っぽいと言っている人もいました。
小谷野 最近文芸批評で、別の作家や作品と比較して語ることが多い気がしますが、安易に比較しない方がいいと思う。私は伝記的アプローチを取るのですが、この頃は作家の経歴や思想などがわかりにくくなっているので、全て作品論になってしまって、この先アカデミズムにおける文学研究が、行き詰まるのではないかと思うんです。
倉本 私も、この作品はいいと思うのですが、最後は急ぎ足になってしまって残念でした。
ベルトコンベアの上を、様々な大きさの箱が無機質にただただ運ばれてくる光景。働く人々それぞれに抱えている問題があり、泥酔して荷物に嘔吐してしまったりもする。そうした身体性が強引に押し込められている、息苦しさや閉塞感の不穏さに興味を惹かれたのに、いつの間にか荷を盗む話に焦点が移り、幻想性が卑俗な現実に落ちてしまった気がします。途中まで良かっただけに、そこが物足りなかった。
小谷野 私は逆に、話がずれていくところが面白かったですね。一本調子にならないところが。
坂本湾は次に何を書くかが気になる人でした。
(おわり)
★こやの・あつし=作家・比較文学者。著書に『聖母のいない国』(サントリー学芸賞受賞)『とちおとめのババロア』『この名作がわからない』(共著)『蛍日和』『あっちゃん』『謎解き『八犬伝』』『文化大革命を起こしてはならない』など。一九六二年生。
★くらもと・さおり=書評家・ライター。一九七九年生。
