美術
河本 真理
戦後八十年を迎えた本年は、ウクライナやガザなどで戦火が収まることはなく、戦後の国際秩序の破壊が進むとともに、世界の混迷が一層深まっている。そうした状況下で、戦争と美術について古代から現代まで美術史的に俯瞰し、その中に日本の戦争美術も位置づけた、目配りのよい新書が宮下規久朗『戦争の美術史』(岩波書店)である。
高階絵里加・竹内幸絵編『芸術と社会 近代における創造活動の諸相』(森話社)は、戦争やパンデミック(ペスト、スペイン・インフルエンザ)などを含めた、近代の西洋・東アジア・日本における芸術と社会の関係を幅広く考察した浩瀚な論文集。
十九世紀美術に関する収穫としては、若手の著作が目を引いた。西嶋亜美『ドラクロワの物語画と文学』(三元社)は、ロマン主義下で好まれた外国文学を中心に、戯曲や歴史など様々な「物語」を描いたドラクロワの作品を丹念に読み解き、同じ主題や同じ構図に取り組む「反復」の制作の役割も明らかにした意欲作。天王寺谷千裕『ギュスターヴ・クールベと女性表象 どう描くか、なぜ描くか』(三元社)は、十九世紀フランス社会において脆弱な立場にありながら、同時に社会を映す指標でもあった女性という存在を的確に描き出すことで、クールベが独自のレアリスムを達成する過程を丁寧に分析している。
大澤麻衣『メイ・モリス 父ウィリアム・モリスを支え、ヴィクトリア朝を生きた女性芸術家』(書肆侃侃房)は、ウィリアム・モリスの次女で、「ハニーサックル」などモリス商会の代表的なデザインを手がけた、日本ではあまり知られていないメイ・モリスの生涯を紐解く評伝。永井隆則編『ポスト印象派とユートピア』(三元社)は、近代化社会の矛盾に批判的な眼差しを向けたポスト印象派の芸術家たちが、〈集団美学〉として〈ユートピア芸術論〉を共有したことを提起する浩瀚な論文集。
二〇世紀美術に関する収穫としては、マティスを様々な角度から検証した論文集である大久保恭子編『21世紀からみたマティス 思考の万華鏡』(三元社)が挙げられる。小松原由理編『ダダを超えて ラウール・ハウスマンとポストダダ群像』(上智大学出版)は、グループとしてのダダ運動が過ぎた後の「ポストダダ」期に、ハウスマンと関わりがあったかつてのダダイストたちの活動に焦点を当て、ダダを読み直す野心的な論文集。塚田美香子『ピカソの「古典」時代 一九一四年~一九二四年 前衛と伝統が共存する創作の一〇年』(中央公論美術出版)は、ピカソが古典古代の美術をいかに取り入れたのかを解き明かす労作。大島徹也『抽象表現主義戦後ニューヨークの前衛芸術家たちはいかにして自分たちの歴史を自分たちで作ったか』(水声社)は、「抽象表現主義者たちの自主的集団活動」に着目することで、従来とは異なる新たな抽象表現主義の実態を浮き彫りにする。
ランバート・ザイダーヴァート『公共内芸術 民主主義の基盤としてのアート』(篠木涼訳、人文書院)は、なぜ国家は芸術を助成すべきなのかという問いに対する緻密な哲学的論証を行い、示唆に富む。(こうもと・まり=日本女子大学教授・西洋美術史)
