<台風のような事件が残した傷跡を活写する>
平山 周吉著『天皇機関説タイフーン』(講談社)を読む/【評=尾原 宏之】
雑文家・平山周吉氏の新著『天皇機関説タイフーン』(講談社)が昨年一一月に刊行された。雑誌『群像』連載を加筆修正の上、書籍化したもので、台風の如く人々を翻弄し、敗戦に至る日本の行く末を決定した天皇機関説事件、「合法無血のクーデター」の真相に迫った一冊である。
本書刊行を機に、甲南大学法学部教授の尾原宏之氏にロング書評をお願いした。(編集部)
大学などの授業で昭和戦前期の歴史を扱う場合、一九三五(昭和一〇)年の天皇機関説事件を外すことはまずできない。とはいえ、この事件に適切に触れようとすると骨が折れる。「天皇機関説とは、統治権の主体は天皇ではなく国家であり、天皇は国家という法人の機関と考える政府公認の学説で……」などと平板に解説することはできるだろう。だが、なぜこれが激しい排撃運動を呼び起こしたのか、なぜ時代を暗転させる大事件になったのかについて説明しようとすると、考え込んでしまう要素が実は多いのである。
平山周吉氏の『天皇機関説タイフーン』は、主人公たる美濃部達吉はもちろん、事件の発生源や、事件に翻弄された界隈――極右雑誌『原理日本』とその周辺、東大法学部、政界、出版界、宮中、軍部など――の人々の言動を追うことによって真相に迫ろうとする。巨大な台風のように事件は到来し、それぞれの場所に大きな傷跡を残して去っていく。その有様を活写しようとした書物といえる。
本書の特徴のひとつは、個々人の「体質」つまりキャラクターに着目した登場人物の描き出し方にある。事件を語る上でおなじみの原理日本社・蓑田胸喜は、執拗な美濃部攻撃を繰り広げた狂信的右翼として知られるが、平山氏は、蓑田の東大に対する執着とともに、勤務先の慶應義塾の関係者と福沢諭吉に対する「律儀」さにも目を配る(福沢は蓑田から排撃されてもおかしくない人物だが、意外なほど高く評価されている)。美濃部にとって版元のひとつである岩波書店の社長、岩波茂雄については、「トラブルが起こりそうになると、処理は現場任せにして、自分は社長室に引っ込む」性格が描かれる。極右の次なる標的とされた宮沢俊義(美濃部の後継者)の、難を恐れて講義内容を調整したり、戦時中には体制迎合してしまう「小さい」人物のありようにも、触れられる。
皇道派のボスで、陸軍における機関説排撃の中心と目される真崎甚三郎には多くの紙幅が割かれている。真崎は天皇からひどく嫌われていたが、平山氏は、天皇や皇族に対する真崎の態度に注目する。閑院宮参謀総長時代に次長だった真崎は、「宮の御徳は仰いだけれども、その能力は仰がなかった」と語り、決裁も求めなかったという。また、皇族を使って天皇への工作を試みる「無神経」さもあった。真崎は熱心な尊王家である反面、天皇や皇族を棚上げにしようとする「無意識の天皇機関説論者」なのかもしれず、宮中の機微に対する無理解も相まって嫌悪された、と平山氏は見る。このほか、機関説排撃に奔走した小林順一郎、井田磐楠らについても、軍人としての経歴をはじめ多彩な側面が描かれている。
それでは、帝国議会で糾弾され、右翼や在郷軍人の攻撃対象となった美濃部はどんな「体質」の人物なのだろうか。事件の主人公だけにエピソードは豊富で多面的だが、そこかしこに「猪突猛進」「空気不感症」「平地に波を立てる体質」といった文言が踊る。危険を察知せずに自身の学説を掲げて突き進む美濃部、正しいかもしれないが余計な一言を放って周囲を困らせる美濃部、といったところだろう。平山氏も触れるように、事態が急激に深刻化するきっかけは、美濃部自身が貴族院で反論演説(「一身上の弁明」)を敢行したことである。右翼議員を説得しようとしても無意味かつ火に油を注ぐだけなので、やめるべきだという制止を押し切っての演説だった。一徹な性格は「時局」への抵抗を支える基盤になりうる。平山氏はそのことに十分な敬意を払いつつも、「偉大な学者であったとしても、断じて政治家ではない」美濃部自身が引き起こすハレーションに着目している。
本書の視点は、最近の刺激的な政治史研究と重なる部分がある。政治学者の米山忠寛氏は、機関説事件を「防御に徹すれば延焼防止は容易な事件」「何故か奇矯な美濃部が批判をかわさずに正面衝突して自爆したという事件」と評する(「日本政治史における天皇機関説事件」)。米山氏は、政治問題として機関説を取り上げる非専門家議員に対し上から目線で学説を講ずる美濃部の姿勢や、そもそも美濃部自身が批判の論点を理解していなかったことを指摘する。「時局」への抵抗者は称賛されるべきだが、本人の意思とは裏腹に、その抵抗が状況をかえって悪化させる場合がある。近年の学術研究の多くはこの点に意識的だと思われるが、美濃部の「体質」にメスを入れた本書にも通ずるところがあるように思われる。
ところで、機関説事件は議会政治崩壊の転換点に位置づけられることがある。平山氏も政治評論家の阿部眞之助と同様に、政党による機関説排撃を「政党の自殺行為」として捉える。したがって、政友会の鈴木喜三郎総裁や元農相の山本悌二郎は「政党没落の殊勲者」ということになる。彼らと対比的に描かれるのは、政友会代議士の中で美濃部を擁護した芦田均(美濃部の教え子で、戦後の首相)である。芦田は、宮沢俊義とのやりとりも絡めながら印象的に描かれるが、戦後につながる隘路をそこに見ることもできよう。
しかし、機関説の否定がなぜ「政党の自殺行為」になるのかを考えてみると、そこには一筋縄ではいかない難しさがある。『憲法講話』などの著作を見る限り、美濃部は議院内閣、政党内閣を肯定したとはいえるかもしれないが、天皇機関説から政党政治の必然性が自動的に出てくるわけではない。それは、宮沢俊義の言葉でいえば「機関説プロパー」つまり学説の問題ではなく、「立憲主義的ないし自由主義的傾向」を持つ美濃部の憲法解釈つまり「広義の機関説」の問題に属する。同時代的にも歴史的にも、「天皇機関説」という言葉にはさまざまな意味が塗り込められてきた。平山氏も、政府当局にとっての焦点が、機関説そのものではなく美濃部が天皇の詔勅に対する批判や議論を肯定したことにあったと見る。なお前述の米山氏は、美濃部の憲法学説自体が欠陥を抱えていてすでに時代遅れとなっていたこと、強まる政党政治批判への対応に苦慮していた当時の政党が、積極的に美濃部を排撃して状況打開を図ったことなどを指摘している。だからこそ「貴衆両院全会一致での美濃部排撃」になった、という。
本書の特徴である人物の「体質」への着目は、必然的に多くの寄り道を生む。右翼や在郷軍人から猛烈な攻撃を受ける美濃部から離れて、二・二六事件の軍法会議や東京裁判へ、丸山眞男や三島由紀夫の真崎評へ、さらに周辺の人物のエピソードへ、叙述は自在に往還する。著者の語りに引き込まれて方向感覚を失う人も出てくるかもしれない。評者が魅力を感じた語りに、書誌学者阿部隆一をめぐるものがある。林望(リンボウ先生)の恩師としても知られる阿部は、戦後の村夫子然たるたたずまいとは裏腹に、戦前・戦中は蓑田胸喜を師と仰ぎ、『原理日本』の編集に加わった青年右翼活動家だった。平山氏は慶應で「浮世離れ」した「古びたキューピーさん」のような阿部の講義を受けており、かつての右翼ぶりを知って意表を突かれた、という。評者は逆で、日本主義学生運動の重要シーンに出てくる熱烈な慶大生・阿部が、書誌学者の阿部隆一だと気づくのに相当時間がかかった。著者自身の「慶應文脈」などにも触れた闊達な人物評論も、大いに楽しめる要素である。
平山氏にリクエストしてみたいことは二つある。ひとつは、機関説排撃に対する国民の反応についてである。本書では、山本七平などを引いて庶民の「無関心」ぶりが強調された。たしかに、庶民には小難しい憲法解釈問題など理解できないだろう。だが、機関説事件とは第一に政治問題であり、憲法学への理解程度は関係ないとさえいえる。たとえば、「天皇陛下を器官だの機関車だの許せない」という反応でも、政治問題なのだから十分に機能する。近年の日本学術会議問題を例にとっても、同会議に反感を持つ人々の多くはおそらく加藤陽子氏や宇野重規氏の本など読んでいないし、ひょっとすると名前さえ知らないだろう。いくら知識人がファクトに基づいた正論を唱えても、糠に釘どころかますます大衆の反感を買っているのが二〇二六年現在の世相である。評者は歴史の授業でことあるごとに寄せられる「その時一般の庶民はどう感じていたのですか?」式の質問に苦しめられているので同じ要求はしたくないが、漠然とした当時の空気に分け入ってみたいとは常々思っている。
二つ目は、せっかくなので事件の結果としての官製国体明徴事業を本書の筆致で描いてほしかったことである。著者も言及している文部省の『国体の本義』には、和辻哲郎、紀平正美、久松潜一、作田荘一ら錚々たるメンバーが編纂委員として加わっている。本書の参照先である宮沢の著書『天皇機関説事件』の関連記述もあっさりとしたものだが、同時代の知識人がどのように機関説の論理に対置する「国体」像を編み出していくのか、その人間模様は是非読んでみたい。
本書は、憲法学者清水澄の自殺、美濃部の戦後、そして平山氏が「陰翳を欠き過ぎ」ているのではないかと評する宮沢の「八月革命説」で終わる。「八月革命説」のくだりでは、二〇二四年に出たばかりの『丸山眞男集 別集』第五巻の談話記録をもとに丸山眞男の寄与が論じられた。平山氏は、新刊を含むおびただしい数の研究文献や公刊資料を読み解きながら、これまであまり注意を払われてこなかった論点を押し広げている。
「タイフーン」たる所以だろう。台風一過のような読後感がある。機関説事件で徹底抗戦を決意したはずの美濃部は、なぜ貴族院議員をはじめとする公職から「あっさりと」去ったのか。平山氏は、そこに天皇の「思し召し」が強く働いたと見る。敗戦後、美濃部が枢密顧問官に就任したのも、いわば天皇の「思し召し」だった。美濃部はそこで日本国憲法の制定にただひとり抵抗する。そうすると、台風の目はやはり昭和天皇だったのだろうか。(おはら・ひろゆき=甲南大学法学部教授・政治学・日本思想史)
★ひらやま・しゅうきち=雑文家。著書に『江藤淳は甦える』(第一八回小林秀雄賞)、『小津安二郎』(第五〇回大佛次郎賞)など。
書籍
| 書籍名 | 天皇機関説タイフーン |
| ISBN13 | 9784065415085 |
| ISBN10 | 406541508X |
