読書人を全部読む!
山本貴光
第30回 わが子の読書指導
1959年頃の「読書人」には、「文学芸術」「社会科学」「自然科学」などと並んで「児童教育」というコーナーがある。児童書や学習参考書、辞書、語学書などを扱うコーナーで、当時の子供観や教育観が窺える。その「児童教育」コーナーに、「わが子の読書指導」という連載記事があり、これがまた面白い。作家や評論家などに、それぞれの家庭で子供にどんな読書指導をしているかを取材する記事だ。
例えば、1959年3月23日(第267号)6面に中村武志(1909―1992/50/作家)が登場している。いまでは書店であまりお目にかからない名前かもしれない。国鉄職員をしながら、内田百閒に魅入られて文章を書き始めた人である。出世作は『小説サラリーマン目白三平』(カッパブックス、光文社、1954)で、国鉄本庁校正局校正課一級課員の目白三平という男の生活と意見を綴る小説。これがヒットしてシリーズ化した。
ついでながら中村が百閒の本に出合ったエピソードに触れておこう。本が人の人生を変える例である。自伝的エッセイ『目白三平二足のワラジのすすめ』(時事通信社、1979)で中村が回顧しているところによると、1933年11月に丸善書店で『百鬼園随筆』を手にとって「ご本人は絶対に笑わないユーモアと飄逸と滑稽と諧謔」に感銘を受ける。この本が欲しい。そう思ったものの当時お金がなかった中村は、それまで2年ほど1日おきに通っては立ち読みをするだけで、丸善で本を買ったことはなかったという。その彼が、どうしても今日中に手に入れたいと、蓄音機を質屋に売ったお金で『百鬼園随筆』を買って読んだという。
もっとも別の著作『沢庵のしっぽ』(四季新書、四季社、1954)所収の「図書目録」では、丸善で彼が出合ったのは百閒の『無絃琴』(中央公論社、1934)としている。また、中村が丸善ではじめて本を買ったのは後のことで、吉村冬彦〔寺田寅彦〕の『蒸発皿』(岩波書店、1933)だったと記されてもいる。この手の逸話は、どこまでが本当でどこからが誇張なのかは知る由もないけれど、ともかく百閒に心酔した中村は、その文章をしばらく模倣し、やがては作家として地位を占めるに至るわけである。
さて、「読書人」の記事である。取材は中村の勤め先の国鉄本庁で行われたようだ。中村は「読書指導よりテレビ指導をした方が早道だと思います」と述べている。自分たちの時代には勉強の合間に読書をしていたところ、現代(当時)の子供は勉強で疲れたらテレビを見る。しかし、テレビは子供に見せたくないような酷いものを放送している。むしろテレビ指導が必要ではないか、というわけである。当時はテレビが普及しつつあるところで、「読書人」紙上でもしばしば読書かテレビ・ラジオかといった議論にお目にかかる。いまならネット、あるいは動画やゲームに置き換えられるところだろうか。もっとも、ネットをどう使うかは、もはや指導でなんとかなるようなものでもなさそうだ。なにしろ多種多様で人によって使い方もさまざまだし、どんどん変化してゆくものでもある。そう思うと、ごく限られた数の番組からどれを見るかというテレビ時代の選択肢は、まだ我々の身の丈に合っていたのかもしれない。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
