2026/08/21号 6面

メガホンとペンライト

メガホンとペンライト キム・キョンファ著 井上 睦  二〇二四年冬、非常戒厳反対デモで広場を埋め尽くしたのは、コンサート会場を彷彿とさせる色とりどりのペンライトだった。本書は、この「デモのエネルギーが極大化する現場」である韓国から、世界各地で揺らぐ民主主義を再考するための視座を提示する。表題の「メガホンとペンライト」はデモの変容を象徴する。国家権力に対し抵抗の意志を突きつける「メガホン」から、参加者一人ひとりの共感と連帯を明るく照らし出す「ペンライト」へ。これは単なる時代的変化ではなく、今日のデモの二重性――不当な権力への対抗という政治性と、他者との文化的共鳴との共存――を示している。  メディア人類学を専門とする著者は、この変容を読み解く鍵に「メディア」を据える。それは情報の伝達道具にとどまらず、人が他者とつながり、世界を認識し、意味を共有する「営み」そのものである。さらに本書では民主主義を、選挙や政党政治という「制度」の枠を超えた人びとの実践による「営み」、すなわち社会に内在する矛盾や対立を顕在化させ、それを改善していく不断の「プロセス」として捉え直す。デモは、制度の外部から現れ、「営みとしての民主主義」を支える市民社会の実践にほかならない。  非暴力の原風景となった二〇〇八年のキャンドル・デモから、市民が「政治的主体」と「消費者(観客)」という二重の立場を往還した二〇一六年のろうそく集会、そして参加者の多層的なアイデンティティが浮き彫りになった非常戒厳反対デモへ。本書がたどるのは、メディア環境の変遷と結びついた韓国のデモの軌跡であり、その先に浮かび上がる社会と民主主義の現在である。デモは、国家権力と正面から対峙する従来型の「闘争の場」から、「政治的実践」と「文化的実践」とが重なり合い、遊び心と差異が交差する開放的な公共の場へと拡張されてきた。規格化された組織の旗に代わって広場に翻るのは、個を鮮やかに可視化する無数の旗である。広場はいまや、女性や若者からLGBTQ、障害者、貧困層や難民にいたるまで、支配的な公共圏から周縁化されてきた人びとが声を上げる「多声性」の舞台となった。その矛先は国家権力のみならず、運動圏内部の、そして日常に根づいた差別や排除の言説という内なる抑圧にも向けられる。こうした変化は同時に、文化や社会認識、日常生活を漸進的に変えていく「長い革命」(R・ウィリアムズ)の現在形でもある。  この変容を支えてきたのが、連帯の土台としてのメディアである。軍事独裁政権下の壁新聞は、公的な言説空間から排除された情報を可視化し、公開の討論空間を切り拓く抵抗のメディアであった。今日それはデジタル空間に引き継がれ、SNSの投稿リレーを用いた表現文化が、他の参加者との連帯を可視化することで日常の交流空間そのものを政治化している。一方で、この情報空間は、アルゴリズムによって分断を深め、敵意を増幅し、自由と平等を否定する排外主義の世界的台頭を招いてもいる。著者は、異なる他者と出会い論じあう共通の討議の場、すなわち公共圏そのものの喪失に民主主義の最大の脅威を見る。  韓国の広場を通して、日本社会も照らし出される。日本では、メディアによる「表象」が変容するなかで市民の声が不可視化され、公共空間の利用が制限されるなかで公的領域が矮小化されてきた。著者は、地域の緩やかな連帯や分野横断的な協働のしくみ――「小さな運動」――が根づいてきたことが、かえって「大きな運動」の切り離しと社会問題への無関心を生んだと指摘する。  異なる人びとがともに生きる社会において、対立は避けられない。むしろ、対立や差異の顕在化は、私たちが多様であることの現れでもある。それゆえに民主主義は「長い革命」であり続ける。制度と並び、広場に灯をともし、旗を掲げ、声を上げ続ける人びとがそれを支える。揺らぐ民主主義を立てなおす手がかりとして、本書はその現場を映し出している。(いのうえ・まこと=北海学園大学教授・比較政治・福祉政治)  ★キム・キョンファ=韓国在住のメディア人類学者。著書に『韓国は日本をどう見ているか』など。一九七一年生。

書籍

書籍名 メガホンとペンライト
ISBN13 9784774408866
ISBN10 4774408867