2026/03/20号 4面

香港の日本人

香港の日本人 陳 湛頤著 村田 雄二郎  中英アヘン戦争(一八四〇―四二)の結果、香港がイギリス領となるまで、東アジアにおける「西洋」の拠点はマカオだった。一八三七年、日本の漂流民を載せて浦賀沖に現われ、「異国船打払」に遭ったアメリカ商船モリソン号はマカオから出航している。ペリー黒船艦隊の通訳であったアメリカ人宣教師サミュエル・ウィリアムズも、マカオで乗船している。本書には「ウエンサン」の名で登場する(四六―四七頁)。マカオと香港で印刷業を経営していたかれは、マカオに居住する日本人漂流民を雇用していた。  南京条約で香港島が清朝からイギリスに「給与」されると、貿易や人流の拠点はマカオから香港に移り、はやくも一八五〇年代には通商や宣教のハブとなった。一八六〇年に植民地香港は本島から対岸の九龍半島先端まで広がり、さらに九八年にはnew territory(新界)が九九年の約束でリースされ、イギリス人香港総督の管轄下に置かれた。まさにその九九年後、香港の主権は中国に返還される。東洋の中の「西洋」。林立する摩天楼や島と半島をつなぐスターフェリー、清代の旧県城が治外法権的な城塞となった九龍城など、その独特な都市景観はある世代以上の日本人に旅行や映画を通じてよく知られるところである。  本書は一九世紀はじめから後半の時代に、香港を訪れたさまざまな日本人の記録(漂流記・見聞記・日記・旅行記など)を紹介する。著者は香港中文大学を卒業した生粋の香港人。広島大学に留学した経歴があり、香港では長年大学などで日本語教育に従事した。日本語・日本文化を研究する中で、香港と日本の関係に興味を持ち、旅行記をはじめとする資料を博捜して成ったのが本書だと「まえがき」でいう。  資料紹介の性格をもつ本書は三部からなる。第一篇は「鎖国」期の各種漂流民の記録。第二篇は幕末明治初期の使節団の記録で、遣米使節団・遣欧使節団・パリ万博使節団や岩倉使節団が取り上げられる。有名どころでは福沢諭吉や渋沢栄一が登場する。第三篇は成島柳北・矢野龍渓・森鷗外・徳富蘇峰ら香港に上陸したジャーナリスト・文人の見聞記である。  著者自身の論は比較的少なく、ときに原文で引用される漢字・カナ混じりの漢文体や手紙の候文は、補注付きでも現代日本の読者にとってとっつきやすいものではない。それでも最も精彩に富むと感じたのは、香港に居住した日本人漂流民が登場する第一篇である。「鎖国」の時代、海難で国外に漂着した漁民や、運よく外国船に救助された漂流民は、さまざまなルートでマカオ・香港に送られ、そこから中国の舟山〜乍浦(浙江省)経由で長崎に向かうのが定番だった。  先にあげたモリソン号にも背景の異なる二組七人の漂流民が乗っていたが、「打払」のため帰国できなかった。やむなくマカオに引き返したかれらの情報はごく断片的に知られるのみである。開港直後の香港に転居した庄蔵はアヘン戦争の混乱に乗じて財を成し、多くの使用人を抱える洋服店を経営する富商になった。仲間の力松はアメリカ人女性と結婚し、他船の日本人漂流民が香港に来ると歓待した。また、漂流中にスペイン船に拾われ、米国カリフォルニアからマカオに到着した弥市は香港に移り、『東航紀聞』に開港初期香港の情景を詳細に伝えた。  第二篇以下の香港見聞が、おおむね欧米を最終目的地とする旅の経由地として香港を観察・記録するのに対し、第一篇に登場する漂流民の波乱に富んだ香港経験は、スナップ・ショットのような断片的な文字情報を通じて、かえって読者の想像力を刺激する。   原題は『日本人与香港――十九世紀見聞録』。「亜洲学術文庫」の一冊として香港教育図書公司から一九九五年に出版された。原書は二五九頁あり、全訳すれば日本文では四〇〇頁をゆうに超えよう。訳出されたのは原書の三分の一ほどか。訳者は香港通の広東語専門家で、その知識と経験は訳注や「はしがき」「あとがき」に活かされている。訳注も多く、ほとんど共著者に近い役割を演じる。(千島英一訳)(むらた・ゆうじろう=同志社大学教授・日中関係史・中国近代思想史)  ★チャン・チャム・イー=一九七四年に香港中文大学崇基学院を卒業後、日本の広島大学に留学。一九八〇年に香港に戻り、大学等にて日本語教育に従事。主たる研究領域は日本語文及び日本文化研究。著書に『日語應對』など。

書籍

書籍名 香港の日本人
ISBN13 9784863293250
ISBN10 4863293259