2026/06/05号 5面

文芸・6月(松田樹)

文芸 6月 松田樹  大澤真幸「〈世界史〉の哲学」(『群像』)が完結した。第一回は二〇〇九年。類を見ない長期連載だった。開始時には「資本主義をその胎児の段階であるキリスト教にまで差し戻してから探究する」と銘打たれていたが、その問題意識は今日ますますアクチュアルである。ピーター・ティールの異端的キリスト信仰、トランプの強固な支持基盤たる福音派、イーロン・マスクの終末論的想像力……。資本主義は未だにキリスト教と隠微な結託を見せている。最終回で大澤はこうしたテクノリバタリアンたちが主張するユートピアとは、「世界の破局(大洪水)」後に訪れる「方舟」であると説いている。  ナンシー・フレイザー×上野千鶴子「日米マルクス主義フェミニスト、相見える」(『新潮』)でも、「億万長者階級」による寡占が指摘されている。現代の「方舟」の乗車券は、世界の四割もの富を占有するというその上位一%にしか発行されない。かつて福田恆存は――やはり聖書を参照しつつ――文学とは「九九匹」の多数派のものではなく、「一匹」のためにある、と少数派の栄光を説いた。だが、億万長者が己の特権を振りかざし、幼児的で肥大化した妄想を垂れ流している今日、文学はむしろ「一匹」同士がどう繫がりうるのかを問わねばならない。  こんな窮状で手に取ったがゆえに、古川真人「近づくと遠ざかる船」(『新潮』〔初出:『文學界』二〇二五年九月号〕)は、その試みの尊さに感じ入った。長崎の海沿いにある祖父母の事務所を掃除する話。登場するのはお馴染みの小説家稔、中学から視力を失った兄の浩、妹の奈美。稔が廃屋を片付けながら何かと過去に固執しがちなのに対し、奈美はテキパキと掃除を進める。浩は幼少期と視力を失った現在との間でしばしば立ち止まる。が、蒸し暑い廃屋の空気とむせかえる漁具の匂いの中、三者三様の過去との対話は次第に溶け合い始める。「事務所の中はたいへんに暑かった。そのせいで、平生ならば三人の内に留まっているはずの思念をおさえることもできず溢れ出て、お互いの心のあいだを往き来しているのだった」。望洋とした記憶の海に読者もまた溺れていく。川端康成文学賞受賞に当たって選考委員がプルーストに言及しているが、優れた文学は丹念な描写によって特定の人間に固有な体験を「一匹」、また「一匹」と他者に向かい開いてゆく。貴重な実践が賞を受けたことを喜びたい。  群像新人賞が発表された。今回は二作同時受賞。まず、永田修矢「骨と鎖」(『群像』)。汰月と陸という二人の少年を軸に、小六から中二までの思春期特有の不安定さを描く。陸はいじめられており、汰月は見て見ぬふりをしていたが、ある日陸の感情が暴発し、いじめっ子を海に突き落とす。「明順応した陸の目には深くなり過ぎた穴の奥がよく見えない。単なる暗闇とは少し違う。光量は足りているはずなのに」。星や花火、光の明滅など、暗い世界の中で光を探す少年たちの苦闘が印象的。冬島いのり「夏蚕の翅」は、カルト宗教が蔓延る北海道の港町が舞台。キリスト教を信仰し始めたことで母が追われ、孤児となった姉弟は互いをケアしながら過ごす。だが、姉が小樽で生活することになり、自立を迫られる。「骨と鎖」には比喩が走り過ぎている箇所が散見され、「夏蚕の翅」は世界観を重視するあまりに人物や展開にご都合主義的な面があり、若書きであることは否めない。しかし、それゆえに模索の跡が好ましい。「部屋の暗がりと月明かりの光跡で、僕の目は明暗順応を繰り返しました」。偶然にも両作ともに光のモチーフに成長が託され、不器用ながらも徐々に世界に順応してゆこうとする過程が描き出されている。「一匹」同士がスパークする。  独特な題材の下でやはり変態の過程を描くのは、ピンク地底人3号「おもちゃの指輪がほしいねん」(『すばる』)、福海隆「ある乳化およびその柔らかい構造」(『文學界』)。前者は万引きGメンの話。手記の形式に、万引き犯の思考を追体験してゆくようなドライブ感がうまく定着されている。「万引き犯は、自分が万引きするという事実と少しずつ折り合いをつけていきます。盗んだけど盗んでないというか、たまたまポケットに入っただけ、(中略)これもいけた、じゃあ次は一気に二つやってみよう」。後者は彼氏に結婚を迫られ、気乗りしないままに家族を持つことを迫られる話。「わたし」は家族を「構造」として捉え、それは一個人の複合体でしかないと考えている。「所詮は一個体どうしであるわたしたちにできるのはせいぜい乳化までだ。融合することなんてできない」。最終場面で乳化のイメージは、彼女が繫いでいる友人の子の小さく柔らかな手に結び付く。固く握り締めれば、全てを破壊することもできる。破局が暗示されたラストである。「乳化」の段階を維持することは難しい。破局のその一歩手前で、「一匹」同士が繫がったり、バラバラになったりする過程を、ただただ丹念に描き出すところに文学の仕事はある。(まつだ・いつき=文学研究・批評・愛知淑徳大学創作表現専攻講師)