2025/07/11号 6面

二十世紀中国美学

丁乙著『二十世紀中国美学』(鄭 子路)
二十世紀中国美学 丁 乙著 鄭 子路  研究はだれのためにするものであろうか。それは私を含め、若手研究者がよく悩むことである。この問題について、それぞれの専門分野にはそれぞれの答えや考え方があるが、学会発表や投稿に挫折していた本書の著者は、「研究とは周囲のためにするものではなく、百年後の人と対話するために行われるべきものだ」(二六九頁)という提言を小田部胤久先生(現日本学士院会員・東京大学名誉教授)から受けたようである。  小田部先生が指摘した通り、学問領域が細分化されつつある現在では、自分の地味な学術研究、とりわけ哲学系の研究を周囲の人に理解してもらうのは容易なことではない。カントであれ、ヘーゲルであれ、彼らの思想を理解しなくても日常生活には支障がない。しかし、これらの思想家はかつて人類の知性の最先端に立った人々であり、彼らを理解し、絶え間なく対話を重ねることによって、我々人類の知恵も進化し続けることができるだろう。  この若手研究者にとって重大な褒賞ともいえる東京大学南原繁記念出版賞を受賞し、東京大学出版会から出版された『二十世紀中国美学 『ラオコオン』論争の半世紀』のなかで、著者が対話したのは朱光潜(一八九七-一九八六)、宗白華(一八九七-一九六八)、銭鍾書(一九一〇-一九九八)という三人の碩学である。その中で、朱氏と宗氏は中国でそれぞれ西洋美学と中国美学の研究系譜を築いた学者と見なされ、「美学の双峰」という定評がある。銭鍾書は一般的に美学者として扱われていないものの、『談芸録』『管錐編』など優れた文学理論書を著した「大学者」として尊敬されてきた。しかも、三人とも深い中国の伝統的な漢学教養を持つ上、ヨーロッパにも長く留学した英才である。したがって、この三人は確かにその時代の中国の美学・芸術論の最先端を代表できる人物といえる。  ところで、二十世紀の中国は激動の時代であり、様々な文化運動が相次ぎ、各流派の思想も激しく競合し続けてきた。そのような背景のもとで、思想的パイオニアとして活動した美学者も数多く存在していた。それでは、二十世紀の中国美学をどのように論じるのか。また、その学術史をいかにして築くのか。この三人だけでは「二十世紀中国美学史」という大きな枠組を十分に成り立たせることはできない。  そこで、著者が着目したのは「ラオコオン論争」である。ラオコオンとは古代ギリシア神話に登場する神官であり、トロイア戦争の際、ギリシャ人の木馬計を見破ったため、アテーナー女神の怒りを買い、息子たちと共に海蛇に襲われ命を落としたとされる人物である。この神話をテーマにした「ラオコオン像」という群像彫刻が一五〇六年にローマで発見された後、ドイツ芸術史家ヴィンケルマン(一七一七-一七六八)はこれをギリシャ芸術の代表として、「気品ある単純と静穏なる偉大」と彫刻における精神性を称賛した。その一方、レッシング(一七二九-一七八一)はこれが彫刻という芸術ジャンルの物質的・空間的制約に起因すると主張し、またこれを例として時間芸術(詩)と空間芸術(画)との本質的な差異を論じた。「ラオコオン像」の解釈をめぐる二人の論争は、「ラオコオン論争」と呼ばれ、近代芸術学の始まりとも位置づけられてきた。  宗白華の論文集『美学散歩』は現代中国においても美学の入門書として用いられ、「ラオコオン論争」も本書を通じて中国で広く知られるようになったが、それが「近代中国美学の展開において独特な役割を果たしている」(五頁)もの、「中国の芸術的伝統にも通底する問題」(五頁)ないし「彼ら[朱光潜・宗白華]の中国美学思想を具体化する過程には、……決定的な影響を与えた」(二五八頁)と見なされたことはない。これは著者の知見であろう。  「ラオコオン論争」を通じて、著者はただ中国における西洋美学・芸術学の受容の「観察」から、中国伝統的な芸術論、とりわけ西洋近代の芸術ジャンル論と異なる東洋的な詩画比較論の世界に深く「進入」し、東西の思想的交流の視点を取り入れることも可能にした。さらに、「ラオコオン論争」の中国受容を手がかりにして、朱・宗・銭の三人以外の方東美(一八九九-一九七七)、呉宓(一八九四-一九七八)らをも視野に入れることができた。このような「論争史」こそが美学史・思想史の一つの有効な手法であろう。(てい・しろ=中国・江西師範大学美術学院準教授・日本美学・芸術学)  ★てい・おつ=北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院専任講師・中国美術。

書籍

書籍名 二十世紀中国美学
ISBN13 9784130160537
ISBN10 4130160532