二十一世紀の妖怪研究の総括 鼎談=小松 和彦×廣田 龍平×安井 眞奈美
〈怪異・妖怪学コレクション〉(全六巻、河出書房新社)の刊行が開始された。怪異・妖怪研究の最前線を示す論考をまとめるシリーズで、監修は国際日本文化研究センター名誉教授の小松和彦さんが担当する。第一巻は、『怪異・妖怪とは何か』。刊行を期に小松さんと、第一巻の編者である大東文化大学助教の廣田龍平さん、国際日本文化研究センター教授の安井眞奈美さんに鼎談をお願いした。(編集部)
小松 「監修のことば」にも書いていますが、改めて〈怪異・妖怪学コレクション〉シリーズの刊行について、私の考えを述べます。そもそも二十五年ほど前、私が責任編集となって〈怪異の民俗学〉というシリーズを出しました。妖怪研究のスタンダードな出発点を意識した論集で、『憑きもの』『妖怪』『河童』『鬼』『天狗と山姥』『幽霊』『異人・生贄』『境界』の全八巻です。ちなみに二〇二二年に、新装復刊しました。
当時――〈怪異の民俗学〉シリーズを刊行するまでは、妖怪研究の分野は盛んとは言い難い状況にありました。ですが、埋もれているだけで、妖怪研究に関するいい論文はたくさんあった。それらが手に入らない、読めないような不都合が生じないようにしたかったんですね。その頃の状況を考えると、新しい着眼点だった『境界』などを入れることができた点でも、自分としてはそれまでの妖怪研究の蓄積を示すことができたシリーズだったと思っています。
以後、妖怪や怪異の研究が進まなければ、今回の〈怪異・妖怪学コレクション〉を作る必要はなかったでしょう。研究分野によっては、論文を一冊にまとめることすらもできない場合があります。ところがこの四半世紀の間に、妖怪・怪異研究は私の想像を絶するぐらいに進みました。隔世の感という言葉がありますが、妖怪研究の本も論文も本当にたくさん出た。ならばこの二十五年間の研究成果を、若い研究者たちがきちんとまとめ、さらに次の世代に提供するべきではないか。時期としてもちょうどいいですし、二十一世紀の妖怪研究は、私から見て次の世代の研究者たちが第一線で牽引してきました。新しいシリーズを刊行するなら、そういう人たちに責任編集をしてもらいたかった。
今回私は監修を務めていますが、あくまでもバトンを渡す係です。前代から現代の世代へ妖怪研究のバトンを渡すという意味で、監修の仕事をしている。ですから私は、各巻に収録する論文は選んでいません。第一巻『怪異・妖怪とは何か』に関して言うと、安井さん、廣田さんが論文選定者で、総論や解題もお二人が書いている。学問において、次の世代に渡すバトンを持っていて、それをちゃんと次世代に繫いでいけるのは、非常に幸せなことです。同時に、二十五年でこんなにも怪異・妖怪学が進展したというのは、私個人としては大変に嬉しい。新領域だった私の研究をいろんな人が違う観点から考えたり、修正したりして、進んできたことの証でもあるからです。二十五年間、何にも反応がないのはつまらないですからね。
廣田 小松先生が責任編集した〈怪異の民俗学〉シリーズの初版は、僕が大学に入る少し前に刊行されました。本当に助けられたシリーズで、特に、妖怪学の分野にどういう論文が存在しているのかを知る上で、大変勉強になりました。
それから約二十五年経った今、小松先生のおっしゃる通り、妖怪・怪異の研究は膨大なものになっています。実は密かに、『怪異の民俗学』第二期みたいなものが出るならあれこれの論文が入るかな、などと考えてはいたんですね。でも、まさか自分が〈怪異・妖怪学コレクション〉シリーズに関われるとは思ってもいませんでした。しかも、シリーズにおいて重要な第一巻の編者をお任せいただけたのは、驚きであり嬉しくもあります。
安井さんという心強い方と一緒に編纂できたので、気楽……というと表現が悪いかもしれませんが、自分で論文を選べるのは責任と同時に、好きなものを入れられるという、やりやすさもある。第一巻に収録した論文はどれも、これからの妖怪研究を発展させるにあたって、若い世代の研究者に読んでもらいたいものです。他の巻は歴史、現代、文芸、娯楽というように、「○○と妖怪・怪異」とある程度テーマが絞られている。でも、第一巻はずばり「妖怪とは何か」。妖怪そのものを議論している論文が求められたので、概念や方法論、比較研究など幅広い切り口から集めました。
大枠は第Ⅰ章が概念、第Ⅱ章が方法論、第Ⅲ章が比較です。Ⅰ章とⅢ章収録の論文は僕が中心になって選んでいて、Ⅱ章は安井さんにお世話になりました。中でもⅢ章「グローバルな比較妖怪学」は、今後どんどん盛んになる分野だと思っています。「妖怪」という言葉は世界的にもメジャー化してきていて、“yōkai”で通用するようになっています。また、小松先生や安井さんが所属する国際日本文化研究センター(以下:日文研)でも、中国・韓国を中心とした東アジアにおける妖怪の比較研究について、シンポジウムや共同研究が活発に行われています。
安井 〈怪異・妖怪学コレクション〉シリーズの第一巻目の編者としてお声がけいただけたのは、私も大変光栄に思っています。〈怪異の民俗学〉の創刊の頃、私は小松先生が日文研で組織された共同研究会の末席で参加していました。名だたる研究者や京極夏彦さんのようなクリエイターの方々など、錚々たる面々が日本全国から集まって、まさに時代が動いていくような雰囲気を肌に感じました。
その時に、これまでどんな妖怪研究があったのかを抑えておかねばならない、と「妖怪」だけではなく「山姥」「鬼」や、「異人」「境界」などの重要な概念を軸にして先行研究を集め、丁寧な解説も付いた〈怪異の民俗学〉シリーズは、妖怪をテーマに研究を始めようとした若手の研究者たち、また妖怪に興味のある人々にとっても、非常に役立つ論集でした。
安井 では、今回の〈怪異・妖怪学コレクション〉の狙いは何か。怪異、妖怪の定義に加え、「グローバルな比較妖怪学」に向けて、多様な文化の「怪異、妖怪」の研究を紹介すること、また同時に、さまざまな方法論による日本の妖怪研究を海外に発信することです。日文研では、妖怪に関する海外からの問い合わせが近年、増えています。問い合わせには二タイプあり、一つは日本語が十分にでき、妖怪の論文を書くために日本語の資料を集めたい研究者の方です。そういう方々は『日本妖怪考』の著者で、第一巻にも収録しているマイケル・ディラン・フォスターさんの論文で日本の妖怪を学んでおられることが多い。私たちとしては、妖怪に関する日本の研究の最先端は、ここまで進んでいるというのも示したい。〈怪異・妖怪学コレクション〉は、それをしっかりアピールできるシリーズになっています。
もう一つのタイプは、日本語はできないけれど妖怪に興味を持って研究している方です。今は翻訳AIなどもありますから、そういう人たちにとっても二十一世紀の妖怪研究をまとめたこのシリーズの刊行は大変意義のある企画になったと思います。近年、“yōkai”で通じるようになってきましたが、簡単な英語で妖怪をわかりやすく定義することも重要です。その点を、日文研とニューヨークのコロンビア大学との共同研究で、マイケル・フォスターさんにもご参加いただき、議論してきました。その様子は、小松先生、廣田さんもご執筆いただいた『グローバル時代に生きる妖怪』(せりか書房、二〇二五)にまとめています。
廣田 今回は盛り込めませんでしたが、編者としては、本当はジェンダーの視点も第一巻の切り口として加えたかった。というのも、〈怪異の民俗学〉シリーズは全一六〇本ほどの論文のうち、女性著者は一〇人弱。民俗学に限らず、女性の研究者が少なかったという状況もあって、アンバランスなところがあったんですね。そこはやっぱり問題だと感じたので、〈怪異・妖怪学コレクション〉第一巻に関しては、著者が男女半々くらいになるよう、かなり意識して選びました。
安井 もちろん、ジェンダー論的な妖怪研究という章を立てることもできました。でも、上野千鶴子さんがかつて指摘されたように、二十一世紀の研究はジェンダー抜きには考えられないが、あえてジェンダーを強調せずともよい状況まで来ています。第一巻だけでなく、他の五巻にしてもジェンダー的な視点から研究を進めた論文がいくつも入っています。また、妖怪の研究者も女性が随分増えた印象がある。妖怪や怪異の本の読者も、女性の割合が多いというご指摘もあります。
廣田 第一巻の僕たち三人に共通しているのは、民俗学と文化人類学の両方を研究している点です。一般的に、「妖怪研究といえば民俗学」というイメージがあるかと思います。実際は、民俗学において妖怪研究はそこまで主流ではない。一方、文化人類学は「比較」と密接に結びついた学問です。民俗学と一緒に文化人類学も専攻している小松先生、安井さん、そして僕の研究や論文は、他の文化や社会との比較を念頭に置いて書かれたものが多い。比較の視点で怪異や妖怪を考えると、“yōkai”がグローバルに広がっているという見方だけでなく、妖怪以外の存在も見えてくる。それが面白いんですね。
廣田 たとえば、本書収録の山中由里子さんの「自然界と想像界のあわいにある驚異と怪異」では、不思議な事物や生き物をラテン語で「ミラビリア(mirabilia)」、アラビア語・ペルシア語で「アジャーイブ(ʾajāʾib)」(いずれも「驚異」の意味)と、ムシャバーシュさんの論文では“monster”と呼んでいる。他の分野や他の言語で研究される不思議な存在を知ることで、日本の妖怪との比較も可能になります。そうなれば僕らがまったく予想もできない研究も出てくるだろうし、民俗学や文化人類学に限らず、さらに幅広い分野の研究者が妖怪に注目してくれるかもしれません。
妖怪研究の裾野を広げるためにも、『怪異・妖怪とは何か』と題した本書には、文化人類学的ルートから比較に関する論考をいくつか入れておきたかったんです。いわば第一巻は、民俗学と文化人類学ふたつの視点から、この世界と妖怪とは何かを軸に編まれている。妖怪研究のさらなる広がりへの期待が強く出た巻になっていると思います。
小松 私が学んだ人類学の先生方は、それぞれ異なる地域――たとえばフィリピン、南米、アフリカなどを専門にしており、教え子たちもまた、それぞれ異なる地域を対象にしていました。そうなると指導教員は、学生が論文や博論で報告している調査内容に間違いがあるなどとは言えない。専門外の地域ですからね。代わりに何を指導するかというと、理論や分析概念、あるいは翻訳についてです。自分もそういう風に学んできたこともあって、私はやはり分析概念に強い関心があります。
民俗学の研究者たちは、語彙史のような研究には強い。たとえば「怪異」という言葉の、歴史的変遷を丹念に辿ります。でも言葉は時代や文脈によって、まったく違う意味に変わることがある。民俗学においては、そのことが必ずしも十分に理解されていないように感じます。私は「妖怪」という対象や概念も、固定された意味を持つものではなく、時代や文化の中で変容しうると捉えるべきだと考えてきました。しかし私の考え方は、民俗学の立場からはなかなか理解してもらえなかった。このあたりに、民俗学と文化人類学の考え方の違いが表れているような気がします。
そういう意味でも、「怪異・妖怪とは何か」という議論を整理するには、人類学的な視点を持つ安井さんと廣田さんが適任だと私は思いました。民俗学だけを専門にしている研究者がこの議論の編者を担当すると、収録する論文の評価や見方は違ったものになったでしょう。総論や解題も読みやすく仕上がっており、良くまとまった一冊になっています。
安井 妖怪研究から日本の豊かな文化を示すのは大切です。それと同時に、世界の各地域、各文化にも同じような霊的な現象や存在がある。これは小松先生がかなり早い時点で、文化人類学の立場から指摘していたことです。日本の妖怪を相対化したうえで、海外の似たような現象をどう捉えるのか。ここに「グローバルな比較妖怪学」の可能性がある。そういう問いを立てられるのも、本書の大事なポイントです。この問いは、次世代に妖怪研究を繫ぐひとつの架け橋にもなる。そうした比較研究を行う時に最も重要な基盤が、妖怪をどう定義するかです。そこをちゃんとフォローしようと意識したのが、第一巻の最大の特徴ですね。
廣田 第Ⅰ章は、妖怪という言葉・概念をどう定義するかを考える論文が中心になっています。小松先生の「怪異・妖怪とは何か」から始まって、「モノ/コト」で妖怪概念を考える京極夏彦さんの重要な論考である「モノ化するコト」、僕の論文や後藤晴子さんの「畏怖の保存」などは、ちょっと違う角度から妖怪を捉えられないか分析している。そして最後の香川雅信さんの「柳田國男の妖怪研究」は、柳田に立ち戻り、改めて彼がどのように妖怪を考えていたのか再発見しています。
趣こそ異なるものが揃っていますが、いずれにしても、妖怪という概念をどう考えればいいかの基本となる論文を第Ⅰ章に選んでいる。この本を読む人は、まずはここから始めるのはどうかというラインナップです。所収の論文と総論を読んでもらって、これを土台に妖怪研究を広げてもらえればと思います。
小松 私としては、ようやくここまで来たという実感がありますね。今までは、妖怪は何かとか怪異研究について、具体的な軸を示せなかった。皆さんのおかげでやっと、「妖怪とは何か」を立てることができるようになりました。
その点で改めて強調したいのは、私の編集ではないということです。私から見て次の世代である皆さんが、二十五年の間に出た論文をまとめている。私が編者なら入れたい論文も、もちろんありました。この間に民俗学を支えた人や人類学の発展を促した論文は、収録しているもの以外にもたくさんあります。でも、何を選ぶかは編者の役割です。私は若い人たちの選定になるほどと思いながら、各巻の調整役をしたに過ぎない。別の巻に同じ論文が載らないように調整したり、各巻であまりに主張が違うものには指摘を入れたりね。その辺には多少意見は述べましたが、あくまで調整役として監修したつもりです。
廣田 ここに収録できた論文は、妖怪研究の中でもほんの一部です。さすがに編者の論文は入れなければ違和感があるので、自分のものからも一本選んでいる。僕の「妖怪の、一つではない複数の存在論」は、小松先生の妖怪概念の議論を批判し、新しい妖怪研究の方向性を示そうとしています。これは二〇一四年に『現代民俗学研究』に発表した論文で、ここ一〇年間ほど僕が取り組んできた研究のベースであり、原点でもあります。
収録する論文を選ぶうえで大変だったのは、まずは長さです。論集という性質上、あまりに長大なものはNGなので、適当な長さでかつ良い論文を選ぶのは苦労しました。あとは、「妖怪」というワードで検索して見つかりづらいもの――たとえば後藤晴子さんのものや、調査記録的側面のある藤坂彰子さんの「「妖怪」という問いかけ」は、良い論文ですが埋もれているものだったので、引っ張り出してきました。
それから僕のこだわりとして、一本は翻訳を入れたかった。学問だけでなく、社会全体の状況を見ても、言葉の壁というのは明らかに薄くなってきている。それこそAIを使えば、知らない言葉でも読めるようになってきています。この先は、日本語だけに閉じこもって何か研究するだけでは、圧倒的に物足りなくなる。そういう意識もあって、第一巻の最後に収録したヤスミン・ムシャバーシュ「怪物」は僕が英語から訳しています。この論文の日本語訳は現状、本書でしか読めないオリジナルです。日本語に訳されていない論文にも読むべきものはあると、示したかったんですね。
安井 自分で翻訳したものを載せられるのは、編者の特権ですね。また本書に入れられなかったけれど重要な論文については、なるべく総論で触れるようにしています。あわせて読んでもらえれば、より理解が深まるのではと思います。
小松 論集には一番気に入っているものや自分の出発点となったものは入れていいと思います。何を入れるかという部分に、最も編者の個性が出ますからね。この巻に入れたかったけれどはみ出してしまったものが、他の巻でフォローされていることもあります。
かつてと違い、今は妖怪研究にも非常に学際性が出てきている。歴史や文学、絵画における妖怪研究の蓄積が、このシリーズを読むと非常によく分かるし、そこに面白いものがあります。私の時代と比べ、大衆文化研究も深まって、妖怪が世間一般でも市民権を広く獲得していったことを感じる論文ばかりです。
安井 私は「妖怪・怪異に狙われやすい日本人の身体部位」という自分の論文を選んでいます。最初は、私が身体論の立場から妖怪を考えるようになったきっかけである「産女」を論じたものにしようと思っていました。産女は出産の際に亡くなった女性の妖怪で、この妖怪について考察した論文が、私にとっては重要な出発点だった。
ただ、他の論考と比べると文量も多く、妖怪研究の中でも「産女」という個別の存在からその生成と展開を論じた内容でした。ジェンダーの視点を示せるのはいいけれど、これを『怪異・妖怪とは何か』に入れると少し偏ってしまうのではないか。それで廣田さんに相談したところ、妖怪と身体論の組み合わせとしても、「妖怪・怪異に狙われやすい日本人の身体部位」がいいのではと仰ったので、それに決まりました。
廣田 安井さんの論文に関しては、身体論から妖怪を考えている部分ももちろん素晴らしいですが、小松先生が監修の「怪異・妖怪伝承データベース」を利用している。量的研究を学問的に行っている点からも、これを入れるべきだろうと考えました。今までの民俗学研究の方法論は質的、つまりテキストの分析や民俗誌を書くものがメインでした。けれど今後は、人文学においても量的な研究が盛んになっていくでしょう。
その点でも、「怪異・妖怪伝承データベース」は先駆的ですよね。実際に広く活用されていて、妖怪の研究者なら誰もが知っているデータベースの古典です。それを利用した論文は入れなければという、編者としての意識もありました。
小松 日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」は、「怪異・妖怪」現象に関する書誌情報を集めています。文字資料のみで、絵画資料は扱っていない。このデータベースは、収録する資料の基準と根拠を明確にすることを意識して作っています。間違っていることが判明したら謝って、適宜修正する。フェイク記事などが増えているからこそ、根拠を示すことを大切にしておいて正解だったと思います。「怪異・妖怪伝承データベース」を公開したのは、二〇〇二年です。最近ようやく人文科学でもデジタル化が急務だと言われるようになりましたが、動きの遅さは感じますね。
安井 デジタルヒューマニティーズの近年の研究成果をもとに、今後、何ができるか。この研究は昨今非常に盛んなので、韓国での国際学会やコロンビア大学での共同研究の際に日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」と「怪異・妖怪画像データベース」を紹介し、それを基にした研究の可能性を分析しました。その中で課題として感じるのは、データベースの英語での利用です。海外から「妖怪データベースが面白そうなので、概要を教えてほしい」という問い合わせが増えたため、急ぎ、データベースの概要を英訳してホームページを更新しました。データベースの開発経緯や特徴、検索の仕方などを英語で解説しています。
ですが、「怪異・妖怪伝承データベース」の検索は、ローマ字に対応していない。これが決定的で、今後何とかしなくてはならない部分です。現在、登録されている伝承データは三万五千件ほどで、一つ一つのデータを翻訳するのはさすがに厳しい。でも、キーワードだけでいいのでローマ字で検索できるようにしたら、機能性が一気に高まると考えています。「怪異・妖怪画像データベース」は、妖怪の画像を集めたものなので、こちらは文字を介さずとも、楽しくご覧いただけます。
小松 英語版が必要だという話は、データベースを作り始めた早いうちからありました。ですが、やっぱりものすごいお金がかかる。とはいえ、この四半世紀の間は特に、デジタル化が妖怪研究の役に立っていることは間違いない。それがこのシリーズの成果にも繫がっていると考えます。
廣田 そうですね。今の話に関連していうと、デジタル化によって、様々な論文がネットで読めるようになったことは確かです。それゆえに「妖怪」と検索すると、英語にせよ日本語にせよ、何万件もの膨大な量の論文がヒットする。アーカイブがあまりに大きくなりすぎて、初心者は何を読めばいいか分からなくなっています。どれが良い論文で、それがどういう風に評価されているのか。大量の情報に、誰でも簡単に触れられる時代だからこそ、〈怪異・妖怪学コレクション〉のようなアンソロジーが必要だと強く思います。
小松 本当にその通りです。デジタル化していないのでネットでは引っかからないけれど、優れた論文というのはある。反対に、ネット上の論文でも良し悪しはあるわけですね。だからこそ誰かが情報を整理し、「こういう良い論文もある」と案内しなければならない。その点で、このシリーズにはマニュアル的な役割もあります。収録された論文には、なぜこの論文を選んだのかという解題が付されている。また、収録していないけれど、関連する優れた論文は総論で紹介されていて、情報の広がりが工夫されています。
先ほど話題になったように、「妖怪とは何か」という定義は研究する上で重要です。AさんとBさんで、怪異や妖怪の定義は違っていてもいい。大切なのは、「違いが分かること」。妖怪が何か、その人がどう定義したのか示されていない論文というのは、評価しにくい。多分、本人は本人なりの定義がぼんやりとあるのでしょうが。同時に、定義だけでは済ませられないのが学問です。そうなった時、「妖怪とは何か」に答えるものが必要になってきます。たとえば柳田國男と自分の定義の違いは、ここにあると。それに答えることができたなら新しい研究が始められるし、そこが研究者としてのスタート地点です。
葊田 話が変わりますが最後に、〈怪異・妖怪学コレクション〉シリーズは研究論文を集めた論集です。その中でも第一巻は、一般の妖怪好き向けというより、研究者向けの内容になっていると思うんですね。たとえば伊藤龍平さんが編者の第六巻『怪異・妖怪の博物誌』などは、たくさんの妖怪が紹介されていて、理論などにはあまり関心のない妖怪好きでも楽しめるでしょう。けれども、概念や方法論、比較研究などを集めた第一巻を、研究者以外の読者はどういうふうに楽しめるのか。この点が少し気になっています。
小松 逆に言えば、この巻が唯一研究者としての立場から書かれているとも言えます。極端に言えば、研究者にしか書けない論文です。妖怪のコアなファンやオタクの人たちは、面白い事例などはたくさん知っているけれど、分析・考察することに対しては、そんなに訓練を受けていない。でも、研究者は分析したものを、読み解いたり、新しい視点で解説する必要がある。その分だけ難しくなるかもしれないけど、分析こそが研究者に課せられた仕事です。ただし研究成果を報告する論文は、専門用語ではなく、一般の人にも分かる言葉で書いてほしいとは思っていますよ。まあそれは表現力の問題であって、中身は分析が大切です。分析・考察があって、学問は進んでいくんです。
それから、学問はひとりだけでもダメです。たとえば柳田学とか折口学、宮本学とか呼ばれる個人研究がありますよね。でも個人名を冠した学問で研究が終わっていては、その先に広がりません。次世代が共有し、それぞれが自分で広げていかなければ学問は続かない。もしも私が個人でずっと妖怪の本を出していたら、所詮は「小松妖怪学」で終わった可能性もあります。個人で閉じることなく、多くの人が自分なりの妖怪を発見し、考え方の違いや素材を見つけ出していく。次世代に繫がり、広がりを見せて初めて学問は新領域として認められます。
妖怪研究が「妖怪学」になっているかはまだ分からないけれど、今、まさに理論化は進められているし、比較学的な視点も深まっていく。〈怪異・妖怪学コレクション〉の第一巻だけでも、一三人の研究者が名前を連ねています。これだけの人が、妖怪という分野の研究を進めてくれている。それは本当にすごいことだと思います。
安井 そうですね。それに海外での、日本の妖怪研究も進んでいます。日文研への問い合わせも、アメリカ、中国だけではなく、ドイツやハンガリーなどさまざまです。それぞれの国、それぞれの地域で、ある程度の研究の蓄積があったりするので、各国の研究者や関心を持っている研究者以外の人たちとも、交流ができるようになればと考えています。すでに国際学会に限らず、研究会やシンポジウムレベルで国際交流も企画されている。日本の研究者も一緒に議論できるようなところまで進めるのが、この先の課題でしょうか。
日文研では毎年、中国の研究者たちと日中妖怪研究シンポジウムというものを行っています。去年も、中国からたくさんの研究者を招待して開催しました。中国でも妖怪学を立ち上げようとしているそうで、その時に必要不可欠となるのが、小松先生が進めてこられたような理論化の作業です。だから中国の研究者がこぞって日本に学びに来られた。中国では、俗信や迷信は研究の対象としにくく、妖怪研究も進めにくい側面があります。日本にやってきた研究者の皆さんは、今後、どうやって中国の妖怪研究を日本と同じ水準まで持っていくのか、真剣に考えていました。
そういう意味ではまた違う段階――つまり妖怪なるものをきちんと定義した上で、多文化の研究者とどういう対話ができるか、ここが大事になってきます。特に中国に関しては、日本の妖怪画への影響や、概念的な共通点と差異など、研究を深めていく余地がある。そういった部分で共同研究ができれば、妖怪研究はより面白く発展するのではと思いますね。
廣田 妖怪に関しては現状「怪異・妖怪伝承データベース」が一番使い勝手が良く、信頼できます。他方で、妖怪オタクの人達は、そこに載っていないものも探し集めて、ついには事典を何冊も出版するところまできています。大変に価値のある活動ですが、研究者としては、小松先生の言う通り、分析と理論化を大切にしたい。
僕たちの巻に関しては、どちらかといえば研究者向けではあります。けれども、シリーズ全体について言えば本当にバラエティーに富んでいる。単純に、妖怪のことを知りたい、読みたい、イラストを見たいという方の需要にも応えられるのではと思います。第一巻でも、朴美暻さんの「韓国の「ドッケビ」の視覚イメージの形成過程」などは、絵や資料が用いられている。僕自身、ゲラなどでは目を通しているとはいえ、他の巻を本の形で読むのを楽しみにしています。
小松 〈怪異・妖怪学コレクション〉シリーズ全六巻と、〈怪異の民俗学〉シリーズ全八巻を手元に置いていれば、妖怪研究の輪郭を摑むことができます。あとは読者の皆さんの関心や興味の赴くままに、個別の研究者の論文を探したりして、探索を進めてほしい。〈怪異・妖怪学コレクション〉が、二十一世紀のこれまでの妖怪研究の総括であり、妖怪研究の最前線を示すシリーズになれば何よりです。(おわり)
★こまつ・かずひこ=国際日本文化研究センター名誉教授・文化人類学、民俗学。著書に『妖怪文化入門』『妖怪学新考』など。一九四七年生。
★ひろた・りゅうへい=大東文化大学助教・文化人類学、民俗学。著書に『ネット怪談の民俗学』『〈怪奇的で不思議なもの〉の人類学』など。
★やすい・まなみ=国際日本文化研究センター研究部教授・文化人類学、民俗学。著書に『狙われた身体』『怪異と身体の民俗学』など。
書籍
書籍名 | 1怪異・妖怪とは何か |