経済学
塚本恭章
2016年から「年末回顧号」の〈経済学〉を執筆してはや10年。
おそらくは、私の最も大きな知的関心のひとつをなす〈資本主義〉を考え直す書物を中心に選抜してきた。本当に幸運だったのは、岩井克人『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社、2015年)にめぐりあえたことだ(「補遺」を含む文庫版は2021年)。2025年で刊行10年になる『経済学の宇宙』をあらためてどう語り直し、読み継いでいけばよいか(本稿は本務校の紀要に先立って発表した内容に全面的に依拠している)。
2025年7月25日のBS1スペシャルで放送された、「欲望の資本主義特別編」である「欲望の会社論2025~あなたの組織は誰のもの? 法人の謎」が、そのためのひとつの契機となった。興味深いのは、「欲望の資本主義」をその中核で支えているのは、岩井のいう「欲望の貨幣論」と「欲望の会社論」であるということだ。「貨幣+会社(法人)+信任関係(倫理)→資本主義」として捉え直すことができる。
貨幣が中核をなしている資本主義経済においては「セイの法則」は成立しえず、マクロレベルでの総需要と総供給は乖離する。資本主義はそうした〈不均衡〉から生じうる〈不安定性〉を本質的に内包しているが、貨幣賃金の下方硬直性という「市場の不完全性」などの「不純物」の存在によって〈一定の安定性〉をもつシステムでもある。それを論証したのが、主流派経済学批判をなす『不均衡動学の理論』(岩波書店)だ。資本主義のなかに〈不安定性のなかの安定性〉を見いだす岩井は、資本主義における「効率性と安定性の二律背反」、「資本主義の不都合な真実」という不均衡動学的テーゼを強調する。われわれはこの基本認識をまず引き継がねばならない。
じつは貨幣こそが、この世に存在する「もっとも純粋な投機」であるとみなす岩井の思考は、資本主義社会が内包する不安定性のその〈根源〉を炙り出し、そのことは、自己の私的利益のみを追求しない政府・中央銀行の機能的意義に直結しうる。岩井の不均衡動学がフリードマンらの自由放任主義と真っ向から対立するものであるのはいうまでもない。資本主義の利潤を「収入マイナス費用」として算出するうえで、貨幣は経済的価値を一元化する決定的に重要な役割をもち、足し算と引き算という最も単純な算術のみによって資本主義は動いている。だからこそ、資本主義は〈普遍性〉をもち、グローバル化する〈必然性〉をももつのだ。
貨幣と同様に資本主義の中核をなす会社は、「法人+企業」である。二階建て構造の岩井「会社・法人論」では、会社の資産を所有するのは法律上のヒトである法人としての会社(1階)、会社のモノとしての株式を所有するのが株主(2階)なのであり、したがってそれは、資本主義の根幹をなす私的所有制の〈二重の〉活用にほかならず、「まさに会社という制度それ自体の中に多様な組織のあり方を生み出す仕掛けが仕組まれている」(引用は『経済学の宇宙』305頁)ということである。
会社とその経営者の関係はどうなっているか。それは「契約関係」ではなく「信任関係」であり、経営者は信任関係のもとで「忠実義務」を負うことになる。「忠実義務」とは、「一方の人間が他方の人間の利益や目的のみに忠実に一定の仕事をする義務」(引用は『経済学の宇宙』358頁)のことであり、その「忠実義務」こそは、まさにイマヌエル・カントが晩年に著した『人倫の形而上学』で説いた、人間の「倫理的」義務に相当するものである。そう、資本主義社会の中核をなす会社を動かすには、厳然たる「倫理性」が要請されているのだ。岩井は、アダム・スミス以降の経済学が、その理論体系から葬り去った「倫理」を掘り起こし復権したのである。このことは、経済学を越境する新たな地平を切り拓く研究の射程を示し、岩井経済学にいっそうの知的厚みをもたらしている。
以上を簡潔にまとめてみよう。岩井「資本主義論」が明確に浮かびあがらせているのは、資本主義が本質的に内包する〈不安定性〉であり、そのなかにもじつは一定の〈安定性〉があること、貨幣に基礎づけられた資本主義は〈普遍性〉をもち、グローバル化する〈必然性〉をもつシステムでもあること、会社を中核とする資本主義には〈多様性〉と〈多元性〉を生み出す仕組みそのものが内蔵されており、会社が作動するためには信任関係という〈倫理性〉が絶対に不可欠なこと、である。ここでは、「資本主義→貨幣+法人(会社)+信任関係(倫理)」がわかりやすい。
岩井「経済学史」は、岩井理論にもとづく「資本主義」についてのそのような総合的理解を、より内在的かつ構造的に把握するためのいわば「宇宙」である。現時点で岩井の「経済学史」の著作はない。したがってじつは、『経済学の宇宙』は未完成なのだ。だが、未来進行形のテーマでもある。重商主義者、アダム・スミス、マルクス、シュンペーター、ヴィクセル、ケインズ、ハイエク、そしてアリストテレスやカントらの残した知的遺産としての古典と「対話」し、徹底的に読み抜いてきた岩井自身が、彼らの偉大な学問史の系譜に位置している。資本主義を考え直すことは「経済学史」を考え直すことであり、『経済学の宇宙』はこれからも世代を超えて語り直され、そして読み継がれねばならない。
最後に、中野剛志『政策の哲学』集英社、太子堂正称『ハイエク入門』ちくま新書、河野龍太郎『日本経済の死角』ちくま新書、河野龍太郎・唐鎌大輔『世界経済の死角』幻冬舎新書、成田悠輔『22世紀の資本主義』文春新書、江原慶『資本主義はなぜ限界なのか』ちくま新書、そしてジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』庭田よう子訳、慶應義塾大学出版会の各著書を、2025年の注目作としてあげておきたい。(つかもと・やすあき=愛知大学教員・社会経済学)
