2026/07/31号 9面

《必読、注目の時代小説&ミステリー 各9選》

必読、注目の時代小説&ミステリー  文芸評論家の末國善己さんと、杉江松恋さんに、文庫特集参加版元9社から、それぞれ一冊ずつ、末國さんには「時代小説」、杉江さんには「ミステリー小説」を、セレクトの上、その魅力、読むべき理由をご寄稿いただいた。この夏必読! 読めば新たな秋が来そうな、全18冊! お楽しみください。(編集部) 末國善己さんが選ぶ時代小説9選!  峰隆一郎が切り開き、佐伯泰英が人気ジャンルにした文庫書き下ろし時代小説は、読者の口コミで広がり書評で取り上げられることは少ない。今回は、剣豪、市井、捕物、料理といった定番から外れる作品も増えている文庫書き下ろしの中から傑作を紹介したい。 *  四半世紀以上、文庫書き下ろし時代小説を牽引している佐伯泰英は、「密命」(祥伝社文庫)、「居眠り磐音」「酔いどれ小籐次留書」(共に文春文庫)など長大なシリーズを発表している。そのため何から読めばいいか分からない方にお薦めしたいのが、初の短編集『めじろ鳴く』(文春文庫)である。老境の宮本武蔵を柳生十兵衛の弟子が訪ねてくる表題作、男社会の職人の世界に入った女性を主人公にした「寒紅おゆう」、参勤交代の途上で家紋入りの槍の穂先が強奪される「手毬」など、様々なジャンルでベテランの風格が味わえる。「密命」シリーズの外伝「虚けの龍」もあり、最適な入門書となっている。  技術に着目した歴史小説を発表している植松三十里の『侍たちの沃野 大久保利通最後の夢』(集英社文庫)は、那須疏水、琵琶湖疏水と並ぶ日本三大疏水の一つ安積疏水の建設を題材にしており、令和七年度土木学会出版文化賞を受賞した(『橋をデザインする』と同時受賞)。独学で測量、土木などを学んだ南一郎平は、松方正義に建築中だった水路の工賃を出して欲しいと歎願したのを機に内務省に入る。東北で大規模な新田開発を行いたい大久保利通の命を受けた南は、福島県の安積原野に目を付け、猪苗代湖から人工の水路(疏水)を引く工事に着手する。疏水工事で水が減ると心配する地域の農民が反対し、莫大な予算は税金の無駄、費用対効果があるのかなどの声が上がるのは現代の公共工事と同じである。実際に工事が始まっても問題山積で、それを南が癖はあるが一流の技術者たちと協力しながら解決する展開は、『プロジェクトX』のような面白さがある。  仁志耕一郎は歴史小説が多いが『闇抜け 密命船侍始末』(新潮文庫)は時代小説で、仁志の故郷である富山を舞台にしており、薬の販売網を全国に持っていた富山と薩摩の意外な関係など興味深い史実を背景にしている。元富山藩士の金盛連七郎は、重臣の寺西左膳に富山から蝦夷へ行き薩摩を回って再び富山へ帰る御法度の抜け荷の船へ乗る密命を受ける。成功すれば復職できるが、難破したり捕縛されたりすれば命はない。生活苦ゆえに危険な仕事を引き受けるしかない連七郎の境遇は、闇バイトに手を出す現代の若者を想起させるので、過去の物語とは思えない読者もいるのではないか。危機を次々と乗り越える海洋冒険小説の中に、アイヌ民族の娘、何ものにも縛られず生きる商人たちと交流するうちに、連七郎が進むべき道を見つける青春小説の要素があり、働き方が多様化する現代日本で、どのような選択をするのがベターなのかを考えるヒントも与えてくれる。 *  近年、東京創元社主催の新人賞からは、岡本好貴、羽生飛鳥、伊吹亜門、柳川一ら時代ミステリでデビューする作家が増えている。今村昌弘『屍人荘の殺人』が受賞した第二七回鮎川哲也賞の最終候補になった『恋牡丹』(創元推理文庫)でデビューした戸田義長も、その一人である。江戸北町奉行所の戸田惣左衛門が探偵役だが、息子の清之介や吉原の遊女が謎を解く話もあり、それが物語に絶妙な変化を与えている。動機が秀逸な「花狂い」、倒叙ミステリ「願い笹」、アリバイ崩しの表題作など一作ごとに凝った仕掛けが用意されており、本書が横溝正史「人形佐七捕物帳」シリーズ、久生十蘭『顎十郎捕物帳』、都筑道夫「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズといった謎解き重視の捕物帳の系譜に連なっていることがよく分かる。  「三河雑兵心得」(双葉社)、「北近江合戦心得」(小学館文庫)、「真田武士心得」(文春文庫)など、軽輩武士の視点で戦国時代を描いたシリーズで注目を集める井原忠政の『羆撃ちのサムライ』(河出文庫)は、漫画化もされている人気作で、熊害が社会問題になっているだけにタイムリーな作品といえる。箱館戦争で敗れた旧幕府軍の奥平八郎太は、兄や戦友と北の森に落ち延びる。だが巨大な羆に襲われ昏倒したところを、羆撃ちが生業の元庄内藩士・鏑木十蔵に救われる。十蔵は大自然の中で生きる知恵や、猟の方法を八郎太に教えるが、幕府への忠義、武士の誇りが捨てられない八郎太は北海道の大自然で生きる決断ができない。八郎太が、投降して新政府に出仕した兄との再会や、羆と対決する生活を通して再生する展開は、先が読み難い現代の読者にも勇気を与えてくれる。  江戸時代は、恋愛感情での結婚は少数で家と家との繫がりが重視された。こうした江戸の結婚事情を踏まえた馳月基矢『日本橋恋ぞうし』(角川文庫)全四巻は、武家の実家・三津瀬家を助けるため名前と身分を偽って骨董商の佐久良屋に嫁いだおるう(本名は美鳥)が、丹精な顔立ちで優しいのに、なぜかおるうには冷たい夫との仲を深め、心を通わせていくプロセスを追った市井人情ものにして、異色の恋愛小説である。それに加えて、小太刀が得意なおるうの立ち回りもあれば、骨董商の仕事や骨董品の解説もあれば、身近な家族のトラブルなども盛り込まれていて、市井もののどの分野が好きでも楽しめる。 *  かつて剣豪小説のヒーローといえば、剣にも女性にも強いマッチョが多かったが、最近は世相を反映してか草食系の主人公が主軸になっている。〝猪母真羅〟を持つ美男子で女性に大人気、大身旗本の次男坊ゆえに宮仕えを嫌い自由奔放に生きている放念無慚流の達人で頭も切れる麗門愛之助が活躍する富樫倫太郎「ちぎれ雲」(中公文庫)は活劇あり、エロありなので往年の剣豪小説が好きな読者は絶対に満足できるシリーズだ。江戸を荒らす盗賊団で巨大な陰謀を企んでいる煬帝との戦いを軸にしながらも、各巻ごとに多彩な敵役、ヒロイン、冒険が用意されているので、一巻を読めば続きが読みたくなるだろう。  現在までに三五巻、外伝一冊が刊行されている坂岡真「鬼役」(光文社文庫)は、文庫書き下ろし時代小説を代表するシリーズの一つといっても過言ではあるまい。主人公の矢背蔵人介は、将軍の毒味役である御前奉行(別名「鬼役」)にして、幕府の奸臣や悪党を成敗する暗殺役も務める田宮流抜刀術の達人である。表の御前奉行は僅かなミスで死罪になるかもしれず、裏の暗殺役はいつ敵に斬られるか分からないハードなもの。だが、蔵人介が家に戻ると、薙刀の名人の養母、小笠原流弓術を修めた妻の幸恵、武術一家に生まれながら武芸が苦手な息子の鐡太郎ら、個性的な家族が織り成すユーモラスな場面もあるホームドラマになる。この硬軟の二面性が、物語に深みを与えているのは間違いない。  Netflixでドラマ化され世界的にヒットした『イクサガミ』(講談社文庫)に続き、今年の一月から四月まで全一二話でアニメ化されたのが、今村翔吾のデビュー作にして出世作の「羽州ぼろ鳶組」シリーズ(祥伝社文庫)である。江戸の火消といえば、いろは四八組の町火消が有名だが、今村が取り上げたのは幕府に命じられた大名家が組織した大名火消だ。旗本の松平家に仕え「火喰鳥」の異名を持つ凄腕の定火消だったが、ある事件を切っ掛けに役を解かれた松永源吾は、出羽新庄藩から火消方頭取になり壊滅状態の新庄藩火消を再建して欲しいと頼まれる。源吾は、一芸に秀でた男たちをスカウトするが、貧しい新庄藩は同じ火事装束が揃えられず、江戸庶民から「ぼろ鳶組」と揶揄されてしまう。底辺にいた新庄藩火消が、その活躍で逆転する痛快な展開に加え、多様な価値観を持っている人材を枠に押し込まず、対話とフィードバックでまとめる令和的なマネージメントも描かれていて、若い世代の作家が現代社会に投げ掛けるメッセージ姓も強く出ている。  ★すえくに・よしみ=文芸評論家。時代小説、探偵小説を中心に、幅広く文芸評論を執筆。著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』など。『山本周五郎探偵小説全集』などの編集をてがける。一九六八年生。 杉江松恋さんが選ぶミステリー9選!  文庫はミステリー・ファンの入場口だ。  ミステリーの面白さに目覚めると、すぐ近くに金脈があることに気づく。各レーベルの文庫には、手に取りやすい値段、サイズで名作が取り揃えられている。現代ミステリー界を俯瞰して、まずこれを読めば通になれる、という一冊を各レーベルからご紹介したい。 *  まず、角川文庫から青崎有吾『地雷グリコ』をお薦めしたい。二〇二三年に発表されるや、その年の各種ランキングで一位を独占し、純粋なミステリーとしては珍しく直木賞候補にも挙げられた。既存のものに変形を加えたオリジナルゲームで天才的な頭脳と勝負勘を持つ高校生・射守矢真兎が強敵たちと闘っていくという物語である。ミステリーの中核である伏線埋設とどんでん返しの技巧が優れているのは言うまでもなく、射守矢が対戦相手の心理を読んでいく過程がスリリングである。自分ではない人間が次に何をするかを当てる、というのは推理の究極形であり、わずかな手がかりから相手が何者かを見抜く、シャーロック・ホームズの神業にも似た味わいがある。かつて青崎は〈平成のクイーン〉の異名をとったが、今や〈令和一おもしろい〉(命名:杉江)ミステリー作家となった。  光文社文庫は秀作が多く目移りがするが、あまり読み慣れていない方のために東川篤哉『探偵さえいなければ』を挙げる。「謎解きはディナーのあとで」シリーズで東川は知られているが、当代きってのトリックメイカーの一人であり、ユーモアをまぶした文体に手がかりを混ぜ込んで大胆な謎解きをやってのける名手である。『探偵さえいなければ』は東川がデビュー以来書き続けている烏賊川市シリーズの一冊だ。人口の割には犯罪発生率が高い、文字通りイカガワシイ地方都市が舞台で、無闇矢鱈と災難に巻き込まれる私立探偵・鵜飼杜夫など複数の人物が交替で探偵役を務める。本書は短篇集で、着ぐるみばかりが集まった会場で殺人事件が起きる「ゆるキャラはなぜ殺される」が白眉で素晴らしい。シリーズはたくさんあるし、どの巻からでも読めるので気に入ったらどうぞ。  次はシリアスな作品を。集英社文庫はなんといっても佐々木譲『抵抗都市』が必読だ。大ベテランの佐々木は近年、SF的設定を取り入れた作品を意欲的に発表している。本作は、日露戦争で日本が敗北したもう一つの歴史を描いた作品で、東京がロシアの占領下に置かれているという設定になっている。警視庁の刑事である新堂裕作が捜査を開始すると、なぜかロシア統監府保安課からの干渉が始まり、事件の背後にあるきな臭いものの存在が浮かび上がってくる。本作は『偽装同盟』『分裂蜂起』(未文庫化)の三部作で完結しているが、通読すると作中で描かれている過去の日本が、国際情勢の中で地位が弱まった憤懣を弱者叩きに転じて糊塗しようとしている日本の現実に重なって見えてくる。自身を見つめ直す鏡としての意味もある作品なのだ。 *  新潮文庫からは白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』を推す。この七月に出たばかりの新刊だ。白井は究極の技巧派と言うべき作家で、この作品の前にもさまざまな新しい試みに挑戦してきた。本作の舞台はカルト教団がアメリカに設立したコミュニティで、特殊な決まりに縛られた信者たちが次々に命を落としていく。日本から教団に乗り込んだ探偵が、その謎解きに挑むのである。個々のトリックがよく考え抜かれているだけではなく、一つひとつの事件にそれぞれ複数解が出される、いわゆる多重解決ものになっている点が特徴である。同趣向の作品としては、現時点で書かれた中で最高水準作と言える。現代の日本ミステリーは一作にこれだけ技巧を詰め込むのだ、という見本市のような作品でもある。  他にあまり類例のない作品ということで、祥伝社文庫からは石持浅海『扉は閉ざされたまま』を紹介する。石持は奇妙な動機を描く作家で、なぜそんなことをしたのか、という行動の謎において、幾重にもねじ曲がった奇妙な心理を描き出してみせる。本作はそうした石持の特質を世に知らしめた記念すべき一作でもある。大学サークルの同窓会で、伏見亮輔という人物が仲間の一人を殺害する計画を立て、実行する。犯人が最初から明かされている、いわゆる倒叙形式の作品だ。殺害現場の扉を開けさせずに発覚の瞬間を遅らせるというのが犯行計画の根幹で、それはなぜなのかという興味が物語を牽引していく。謎解き役の碓氷優佳が登場する続篇『君の望む死に方』も書かれ、シリーズ化されている。  新刊だけではなく、旧作にも必読作は多数存在する。河出文庫『帰去来殺人事件 山田風太郎傑作選 推理篇』(日下三蔵編)はまだお手に取っていない方がいたら、急いで読んでいただきたい一冊だ。山田風太郎は、伝奇時代小説の書き手としての方が高名かもしれないが、キャリアの要所でミステリーの秀作を発表した作家である。『帰去来殺人事件』もその一つで、堕胎などを請け負う酔いどれ医者の荊木歓喜が探偵役を務める作品を集めた連作短篇集だ。大胆不敵なトリックに感嘆せざるをえないのが表題作で、その他「西条家の通り魔」「落日殺人事件」など代表作級の短篇が収録されている。山田風太郎は敗戦を機に権威を見限った現実主義者であり、ニヒリズムに裏打ちされた渇いたユーモアが横溢しているのも魅力の一つだ。 *  短篇集をもう一つ。文春文庫のジェフリー・ディーヴァー『クリスマス・プレゼント』(池田真紀子他訳)もまた必読である。ディーヴァーは全身不随の科学捜査官リンカーン・ライムと助手のアメリア・サックスのコンビが活躍する長篇シリーズにおいて、名探偵対怪人という古くからある物語図式を現代に復活させた。サプライズに次ぐサプライズで読者を翻弄するのが作風なのだが、短篇だともう少し腰の落ち着いた、じっくりと物語に引き込んでおいてから、不意打ちのような驚きを味わわせるという技法をとることが多い。本書収録の「ジョナサンがいない」を読んだときは、いつの間に話がよじれてそういうことになっていたのかがわからず、一瞬視界が失われたかのような恐怖を覚えた。そういう短篇がぎっしり詰まっている。  もう一冊、驚きを味わえる翻訳ミステリーを、今度は長篇で。中公文庫『スミルノ博士の日記』は、名のみ高いが実際に読んだ人は少なかった幻の名作の文庫化だ。作者のサミュエル・アウグスト・ドゥーセはスウェーデン生まれで、戦前に活動していた作家だ。本書は〈私立探偵レオ・カリング〉シリーズの一作で、すでに死亡しているワルター・スミルノという天才法医学者が遺した日記を読み解きながら、過去に起きた殺人事件の謎を解いていくという形式の物語である。あるトリックにおいて某名作に先行するものと見なされ、言及される機会の多い作品だ。なぜマニアが本作にのめりこむのかは、読めばわかると思う。(宇野利泰訳)  古典名作に言及したからには、この作品に触れなければならないだろう。創元推理文庫のエラリー・クイーン『Xの悲劇』(中村有希訳)である。フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーはクイーンの名で多くの傑作をものしたが、他にバーナビー・ロスを称して悲劇四部作と呼ばれる長篇を発表した。その第一作にあたるのが本作で、盲目の元俳優探偵ドルリー・レーンが初登場する。満員状態の市電車内で、ニコチンを沁み込ませた針による毒殺事件が起きる。その顚末を描いたものなのだが、推理に圧倒的な迫力がある。物的証拠を積み上げて論理的に可能性を狭めていくという静の推理だけではなく、今犯人は何を考えて行動しているか、という動の推理によって、状況が常に変わり続けるのである。何十年も前の作品と思って舐めてかかると、本作の醸し出すスリルに圧倒される。現代でもまったく古びていない作品なのだ。そして、青崎有吾『地雷グリコ』の源流はこの作品にある。  ★すぎえ・まつこい=文芸評論家・書評家・作家。『日本の犯罪小説』で第七八回日本推理作家協会賞評論・研究部門を受賞。著書に『浪曲は蘇る』『芸人本書く派列伝』 『路地裏の迷宮踏査』『名探偵と学ぶミステリ』(共著)など。一九六八年生。