ラテンアメリカ文学
立林 良一
今年四月、ペルーのノーベル賞作家マリオ・バルガス=リョサが八十九歳で亡くなった。一九六〇年代に始まる世界的ラテンアメリカ文学〈ブーム〉の立役者の一人で、ガルシア=マルケスに代表される魔術的リアリズムとはまったく異なる、モダニズムの延長線上にある手法で数多くの小説を晩年まで旺盛に発表し続けた。今年翻訳された『激動の時代』(久野量一訳、作品社)は、六年前に発表された最後から二番目の長篇で、東西冷戦期の一九五〇年代に中米グアテマラで起きた政変を描いた歴史小説である。米国の介入によるアルベンス政権の崩壊と、その後の権力争いをテーマとする長篇に取り組んだ背景には、自由と民主主義の盟主を標榜しながらも、自国の裏庭と見なすラテンアメリカに対しては二十一世紀の今日に至っても、力による介入を辞さない米国に対する批判的思いが込められているように感じられる。
キューバのレオナルド・パドゥーラによる『風に舞う塵のように』(寺尾隆吉訳、水声社)は、冷戦終結後にフロリダに亡命したキューバ人マルコスを通して、世界各地で暮らす亡命キューバ人たちの祖国への思いを浮かび上がらせる、スケールの大きな長篇小説だ。物語を通して、ソ連崩壊後もあくまで社会主義を貫き続けるが故に、米国からの圧力に苦しむこの国の厳しい状況を読み取ることができる。
今年はこの他、メキシコの現代作家グアダルーペ・ネッテルの『一人娘』(宇野和美訳、現代書館)とアルゼンチンのシルビナ・オカンポ、アドルフォ・ビオイ・カサーレスが一九四六年に出版した推理小説『愛する者は憎む』(寺尾隆吉訳、幻戯書房)も翻訳された。ネッテルはすでに出版されている二冊の翻訳も高く評価されており、女性の出産をめぐる今回の物語も、日本人の読者の心に強く響くものがある。後者はホルヘ・ルイス・ボルヘス監修によるシリーズの一冊として出版された夫婦共作の推理小説で、〈ブーム〉に先行するこの国の文学的豊かさが伝わってくる。
ネルソン・ロドリゲスによる『結婚式』(旦敬介訳、国書刊行会)は、ブラジル、リオデジャネイロのブルジョア一族を描いた一九六六年の小説で、同性愛が物語の重要な鍵になっているため、当時の軍事政権から発禁処分を受けている。
中村達の『君たちの記念碑はどこにある?』(柏書房)はジャマイカの大学で学位を取得した著者による全九章からなる評論で、イギリスから独立したジャマイカや、フランスから独立したハイチなどを含むカリブ海地域の多様性について、とかくキューバにばかり目が行きがちな視野を大きく広げてくれる。
本田誠二の訳によるアメリコ・カストロの『スペイン文明論集Ⅰ[文学・言語篇]』、『同Ⅱ[歴史・文化篇]』(水声社)は、二十世紀スペインを代表する歴史家、文芸評論家である著者の未訳の評論を集成した、千四百ページに上る労作である。ラテンアメリカの作家にも多大な影響を与えた泰斗の著作が、これでほぼすべて日本語で読めるようになった意義は計り知れず、今年の収穫のひとつとして本欄で紹介することをお許しいただきたい。(たてばやし・りょういち=同志社大学講師・ラテンアメリカ文学)
