-196℃の願い
松岡 かすみ著
白井 千晶
私たちにとって卵子とはいったい何なのか。
それがあることによって自由になったり、それがあることによってとらわれたりする。本書は自らの卵子の凍結保存をめぐる9人の物語と、医師らへのインタビューによってまとめられている。
一般に、年齢を重ねると妊娠しづらくなるが、卵子を凍結しておき、妊娠出産が可能になったら、その卵子を使った体外受精によって妊娠を試みようとするのが卵子凍結である。がん治療などにより妊孕性の低下が予測されるときに、あらかじめ精子や卵子あるいはその組織を凍結する「妊孕性の温存」が医学的卵子凍結として始められていたのが、近年、それ以外の理由、つまり社会的卵子凍結に拡大してきた。前者は助成金が拡充したが、後者についても東京都が助成をはじめ、山梨県でも始まった。
社会的卵子凍結は医学的理由がないので健康保険適用外となる。窒素凍結下の保存にも費用が必要で、それらには一般に数十万円必要だ。すべての卵子がその後の体外受精や着床に成功するわけではないため、卵子の個数を確保しようと何回か採卵すると、総額が100万円を超えることもある。自治体や企業による助成はそうした費用負担を軽減するだけでなく、公的に認められたような安心感をもたらしているかもしれない。
しかし卵子凍結のためには排卵誘発、膣から卵巣に針を刺す採卵、麻酔など身体的侵襲があり、社会的卵子凍結の賛否は分かれている。実際、本書に登場する女性たちの中にも、想像以上の痛みや卵巣過剰刺激症候群(OHSS)を経験した人たちが少なくない。一方で、身体への負担はそれほどなかったという女性がいるのも事実である。
そのようなコストやリスクを引き受けても卵子を凍結しておきたいと考えるのはなぜなのか。本書の帯には「今は産めない」とある。パートナーがいない、職業キャリアの重要な時期であるなど、人それぞれの理由が語られている。本書に登場するのはすべて排卵誘発と採卵を経験した人だが、日本では経済的理由から産むことも卵子凍結もどちらもできない人もあるだろう。
とはいえ卵子凍結を選択した人にとっても小さな負担ではない。それでも選んだ人は、凍結卵子は「心のお守り」になり、パートナー探しに対する焦りや妊娠へのプレッシャーから解放されて、自由になったと語っている。
非常に印象的だったのは、女性たちが卵子凍結と向き合うことにより、単に凍結にとどまらない経験をしているということだ。「卵子凍結は一人でできる妊活」だと語られたが(エア妊活というそうだ)、妊娠・出産・子育てを具体的にイメージしたことにより、恋愛に求めるものが変化したり、「母親になるスイッチが押された」ことがつづられている。
産まない人生になると卵子凍結が「無駄」になると逆に焦ったりして、かえって凍結卵子にとらわれることになったというエピソードは、人が自己の卵子をめぐって自問自答し、葛藤することを教えてくれる。廃棄によって凍結卵・受精胚(受精卵)から「解放される」感覚をもつ人もあれば、「ペンダントにしてもっておきたい」と思う人もいる。養子縁組や里親、継親など遺伝的つながりのない親子関係は様々にある。それでも卵子を(しかも誰かの精子で受精させておく受精胚凍結ではなく)凍結することに意味があるのはなぜなのか。冒頭に戻るが、人にとって自身の卵子とはいったいいかなる存在なのか。
凍結保存卵子を廃棄するさいにも、パートナーなしで産み育てたいか、子どもをもちたいか、自問する。結果として廃棄を決めたとしても、「やれることはやった」という自己承認が重要である。現代社会は、加齢によって妊孕性が低下するというリテラシーをもつこと、「後悔しないように」卵子凍結によって選択肢を残す努力をすることが自己責任化している。本書はそれを示しているのではないだろうか。
なお、本稿で卵子凍結する人を「女性」と記したが、卵巣があるトランス男性もいる。戸籍の性別変更に関する法律で性腺や生殖能力の喪失が要件となっているため、あるいはその他の理由により卵巣の摘出をする前に、自身の卵子を凍結するトランス男性もあることを付言しておく。それを認識しておくことはとても重要なことだと考えるからである。(しらい・ちあき=静岡大学人文社会科学部教授・社会学)
★まつおか・かすみ=PR会社、宣伝会議を経て二〇一五年より「週刊朝日」編集部記者。二〇二一年からフリーランス記者として、雑誌や書籍、ウェブメディアなどで活動する。著書に『ルポ 出稼ぎ日本人風俗嬢』など。一九八六年生。
書籍
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