「芥川賞について話をしよう」第30弾
小谷野敦×倉本さおり
第一七五回芥川賞は、小砂川チト「ゾンビ回収婦」に決定した。ほか候補作は村司侑「ソリティアおじさんがいた頃」、八木詠美「アンチ・グッドモーニング」、仁科斂「丹心(まごころ)」、鈴木涼美「悪い血」。今回も小谷野敦氏と倉本さおり氏に対談いただいた。(編集部)
未見の世界を認知する景色
◎小砂川チト「ゾンビ回収婦」
小谷野 お手上げです。これは、どういう頭の構造で書いているのか。古谷田奈月の『フィールダー』を思い出しました。あれもゲームの仮想空間がモチーフになっていましたよね。
倉本さんは、小砂川推しでしょう。
倉本 小砂川さんは、認知によって見えてくる景色を描くのが抜群に上手いんです。私たちが当たり前のように見ている現実の景色ではなくて、ゾンビから見た景色はどうなのか、あるいは前回候補になった『猿の戴冠式』では、ボノボから社会はどう見えるのか。そういった未見の世界の構築が非常にこまやか。様々な角度からの世界の見え方を書くことができる点が、私はいい作家だと思っているんです。
小谷野 ボノボは実在するけれど、ゾンビは実在しませんよね。
倉本 でもVRゲームにハマりこむ人の視界は、この作品を通してよくわかります。ヘッドセットを数日ぶりに外すシーンで「皮膚を脱ぐように、それを一気に剝ぎ取った」と書かれていますが、現実の世界に焦点が合わず「目玉が床に抜け落ちそう」な感覚は、プレイしていた主人公こそがゾンビだったというメタファーになっている。
VRゴーグル越しの世界に自分の身体の動きをリンクさせているから、それを外して目にする現実の世界とうまく嚙み合わなくてちぐはぐな感じに陥るんですよね。人間の認知がVRを通して変化している、そのさまを描いているんです。
小谷野 私にはわからない。『夏帆』を読んでいてなんていい小説だろうと思ってしまうくらいわからなかった。
倉本 主人公が、ゲームの中で、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)に成り代わろうという設定も面白い。NPCというのはプレイヤーが操作できない、プログラムやAIによって動く存在です。ほかのNPCが語っているときに、どうせ対話はできないのだからと、主人公が室内を歩き回ったり、抽斗を開け閉めしたり、勝手な動きをしていたら、そのNPCにはAIが搭載されていて「きみってどうして、そんなにかわいそうなんだ?」と憐れまれてしまう。それにショックを受けて、カッとなって撃ち殺してしまうシーンには、自覚もなくAIに依存しながら舐め切っている私たちの姿が痛烈に描かれていると思いました。
小谷野 私は経済的にも年齢的にも、今更ゲームは始められない。だからこの手の小説は、永遠にわからないままです。
倉本 最近はエンタメ小説よりも純文学のほうがVRやAIがよく出てくる、と言った人がいましたが、それは認知の問題がモチーフになりやすいからだと思うんです。 ファミコン黄金期を経験した私ぐらいの世代にとっては、時にゲームのほうが現実世界よりも近しいものだったりする場合があるのですが、そうでない人はなぜ文学にVRを持ち込まねばならないのかと思うでしょうね。
小谷野 この作品を面白いと言っている人が、どの年代で、どんな文学歴を持っているのか知りたいのですが、周りに読んでいる人がいないんです。とにかく問題なのは、芥川賞受賞者の新刊が売れないという現状です。
抑制の効いたウェルメイドな作品
◎村司侑「ソリティアおじさんがいた頃」
小谷野 今回は、高学歴回なんです。村司さんが九州大でしょう。「丹心(まごころ)」の仁科斂は、東大の比較文学の院生らしいんですよ。比較文学の院生、小説書き過ぎです。
この作品は、最初は主人公が女性だと気づかずに読んでいたのですが、倉本さんはどうでした?
倉本 確かにすぐに特定できるような書き方ではなかったですね。
小谷野 マルグリッド・デュラスの『ジブラルタルの水夫』もそうです。私はフランス語で読んで、人称がjeだったからかもしれませんが。というとフランス語ができるみたいですけど、フランス語の勉強をしていた時に読んだんです。
私は「ソリティアおじさん」推しでした。主人公が女性だとわかってからが、妙に面白くなりますね。それなのに今回の選評では、なんでこんなに寄ってたかって「ソリティアおじさん」叩きをしているんだ、と少し腹が立ちました。山田詠美に至っては、『おらおらでひとりいぐも』まで持ち出して、「ソリティアおじさん」の関西弁ひとり語りは成功していないと言うんですよ。平野啓一郎も、「吉本的な関西弁について、あまりに無自覚」だと言っている。「叫び」は推しておいて。京大出身だと推すのか。
倉本 いやいや(笑)。吉田修一さんは褒めてますよ。
小谷野 「沈黙に語らせて秀逸だった」と書いていますね。ただ吉田修一は純文学をいつ書いたんだ、と私は思っていますが。
倉本 私もこの作品はすごく上手い小説だと思っています。読みやすいのですが、実は非常に複雑なことをしている。
小谷野 そうなんです。元同僚の訃報をきっかけに、主人公の中でほんの少しずつ何かが変わっていき、最後に同棲している男と別れる決意をする。古典的な筋ですがそれをうまく書いている。
最近、ウェルメイドという言葉が良くない意味で使われることがある。純文学はウェルメイドではいけないと、選考委員の一部が思っている気がします。
倉本 小谷野さんは、まさにウェルメイドだと言われかねない作品を積極的に評価する傾向がありますよね。
小谷野 私は芥川賞の存続のためには、受賞作は売れる作品でなければいけないし、そのためには現代音楽になってはいけないと思っています。「コンビニ人間」のようなウェルメイドがいい。かつても、室井光広「おどるでく」のような前衛が受賞したことがあったんですよ。当時の受賞作としては唯一文庫化されなかった。文庫になったのは作者が亡くなってからです。前回は「叫び」と「時の家」が受賞し、今回は「ゾンビ」。前衛が二度続いたのは、よくない傾向です。
倉本 私は、吉田さんの「ソリティアおじさんの寡黙の方がどれほど雄弁に人生のままならなさを語っているか」という評と、小川さんの「分かり得ない領域には踏み込まないという節度を保っていた」という評に完全同意です。
導入は会社でいつもソリティアをしていた元同僚のおじさんの訃報からはじまり、主人公はおじさんと接点がないと思っていたけれど、だんだん記憶が蘇ってきて、実は大切な関わりがあったことに気づく。その抑制の効いた距離の詰め方がいいと思いました。物語の語り手の「全知の視点」が都合よく導入されるような違和感がなかった。ただ推し切れなかったのは、彼氏との関係のオチの付け方です。
小谷野 どこが気になりましたか。
倉本 ソリティアおじさんに対する抑制の効いた叙述とは違って、彼氏に対する屈託があまりに引っかかりがなくツルツルしている気がしたんです。ソリティアおじさんについては多くは語られないことで、注意深く、その身の置き所のなさのようなものを浮かび上がらせているのに、彼氏との関係は天秤がガチャンと跳ね上がるような、軽い感じがしてしまった。
小谷野 それは、積もり積もったものが臨界点に達したということではないですか。
倉本 ソリティアおじさんのことは知らないから語れなかったけれど、彼氏については知っているはずなのだから、もう少し、向き合えなさと向き合ってもよかったのでは、と思ったんです。
小谷野 この作品は、題名は良くないですよ。
倉本 私は好きです。「ソリティアおじさん」という言葉がネットミームになってるのを知らなかったからかもしれませんが。
小谷野 いや、「ソリティアおじさん」まではいいんだけど、続きが覚えられない。「限りなく透明に近いブルー」は長くても覚えられる。
小川洋子は今回で退任するけれど、選考委員の補充はないんですか。
倉本 あると思いますよ。おそらく女性ではないかと。
小谷野 それなら、村田沙耶香でしょうね。
小川洋子は四度芥川賞候補になっているけれど、古井由吉は選評で一度も触れなかった。これは不気味な話です。
社会の歪さを鋭敏に捉える
◎八木詠美「アンチ・グッドモーニング」
倉本 この作品は、最後に残った三作のうちの一つだったんですよね。
小谷野 太宰賞から芥川賞候補になったのは、岩城けい、津村記久子、今村夏子。八木が太宰賞を取った「空芯手帳」は、海外でも評判が良いようですが。
倉本 小谷野さんはお好きじゃない?
小谷野 嫌いというか、誰か説明してくれと思っているんです。だってあの結末、わからないでしょう。私は石原千秋に、妊娠は噓だと言ったのが噓だったんじゃないか、と言ったのですが。それについて海外の人は何と言っているのか。
倉本 私の知る限りでは、想像妊娠がどうのというより、そもそも女性社員だけがお茶汲みや雑用を任せられているという状況にショックを受けている人が多かったですね。
小谷野 それは日本でも同じです。そのことばかり取り上げて、妊娠の謎には誰も触れない。
文芸評論にはときどき空白地帯が生じるんです。たとえば、五木寛之の『蒼ざめた馬を見よ』はパステルナーク事件を下敷きにしてるのに、五木寛之はソ連派なのかという話を誰もしない。あるいは大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』は、あさま山荘事件を肯定しているかに見えるのに、そこに言及する人がいない。「空芯手帳」も、空白地帯ができた例です。
それに比べると今度の作品には謎はなく、高瀬隼子の、夫が風呂に入らなくなる……。
倉本 『水たまりで息をする』。
小谷野 そう、あの感じです。夫と妻のなんとも微妙な日常が描かれる。
倉本 日常から外れていくのが夫であるのと、妻である自分なのとでは、だいぶ違いがあるように感じますけれどね。
小谷野 高瀬の作品では、夫が風呂に入らない理由を、妻は問いたださないんですよね。今回は不眠ですが、そんなものは精神科に行ってハルシオンをもらえば済む話です。三島由紀夫が太宰治について、「冷水摩擦をすればいい」といったのと同じで、眠れなかったらハルシオンを飲め、それだけです。なのに精神科へ行こうとしたら、夫に止められる。差別的なところがない人だと思って結婚したというけれど、精神科に行くのを止めるのは、立派に差別的なんですよ。
倉本 結婚するときには見えなかった夫の本質がわかってきたということだと思います。
小谷野 差別的なところがない人だと判断するのに、一日しかかけていない。少なくとも二年、三年見なければ、そんなものはわかりませんよ。夫の選び方が妙に安易で、その辺りのちぐはぐさが気になる。それから前半が長すぎる。芥川賞狙いの作品は、候補になるとすぐ本にするから、二〇〇枚越えで書かせるんですよね。この作品は、前半が水増し。
倉本 私は前半よりむしろ、後半の展開が安直なファンタジーに流れてしまったと感じたんですよね。不眠解消のために魂を売れと迫られるあたりが、とってつけた寓話のようになってしまった気がして。それよりは会社の同調圧力、ヘルシーとポジティブの強要の嫌らしさや、家庭内での違和感を発展させた方が面白くなったのではないか。穏やかで差別的でないと思っていた夫が、ごりごりのオーガニック右翼みたいだったところも面白いと思いましたし。
小谷野 私はごく若い頃から不眠症で、三〇代からハルシオンを飲んでいるんです。
そのうちにハルシオンでも眠れなくなり、サイレースを飲んで、それさえ効かなくなったところからが、本当の不眠だと私などは思ってしまう。
倉本 この主人公の場合、もともと不眠体質だったわけではなく、社会システムに過剰適応した結果、眠れなくなってしまったわけですよね。
八木さんの描きたかったのは、社会の歪みを象徴するものとしての不眠だったんだと思うんです。企業体質のいびつさ、家庭生活の欺瞞などを鋭敏に捉え、その違和感の細部まで丁寧に描こうとしたところがよかったと私は思います。
日本的でない叙述の新規性
◎仁科斂「丹心(まごころ)」
小谷野 山田詠美も書いていたけれど、読み始めた時は、私もこれは面白い作品なのかなと期待したんです。専門は違うけれど、仁科自身がレンくんで、教授は國分功一郎をモデルに書いたのかなと。ところが、レンくんが中国に行ってからの展開が、あまり面白くならなかった。
倉本 私は今回、小川さんの評に全体的に同意したのですが、鹿野川教授と助手のレンくんの、「二人のピントが常にすれ違っている」ところ、この小説のよさは、まさにそこだと思いました。
それから、山田さんが指摘していた、比喩の大仰さですが、李琴峰さんも、デビュー作の頃はこの作品に近いような、装飾的なレトリックを多用していた気がします。そこからどんどん表現が変わっていった。
「丹心」は、日本の、少なくとも私小説に象徴されるような叙述とは、一風異なる面白さがあると感じたんです。情緒や機微みたいなものが、日本のそれとは違うというのか……。
小谷野 斂くん自体が、中国に精通しているんですか。
倉本 プロフィールに、香港、上海、ロンドン育ちとありましたね。
小谷野 その経験をもとに書いたのか。それにしてもまだ小説の造りが上手くない。
彼は國分功一郎の著書『ドゥルーズの哲学原理』を英訳している。
倉本 レンくんと鹿野川教授の関係性と同じですね。
小谷野 横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」という本を思い出しました。上海を舞台に日本語と漢語で書かれて、当時少し受けましたが、文壇から消えてしまった。
倉本 仁科さんはもう少し小説の骨格が大きい気がしますよ。荒削りなところは確かに目につきますが、もう一歩進むと、日本的でない、この独特の叙述が味として受け入れられるようになると思う。レンくんのキャラクターも多面的に描かれていたと思います。
小谷野 鹿野川に美術館設計を依頼してきた、中国側の女史がいるでしょう。
倉本 スーパーエリートの「ミスQ」ですね。
小谷野 スパイ映画のような……文学以外の何かから、妙な影響を受けている感じがします。
倉本 私も最初は謎の女性のように思っていたのですが、読んでいくと人間くさい、父親と確執のある、ありふれた娘であるところが肝心なんだろうなと。
小谷野 遠近感がちょっと変なんです。
倉本 確かに、描写のバランスの歪みは感じます。他の方のレビューに、中国に精通しているレンくんではなく、慣れない鹿野川の視点を中心にして書いた方がよかったのでは、という意見がありました。良くも悪くもダイナミックな中国の仕事や交渉の進め方にカルチャーギャップを感じる、日本の中年男性のドタバタ劇になって、安定的な面白さが生まれたのではないかと。
一方では、レンくん視点をメインに据えているからこそ、安直なエキゾチシズム消費の構図に陥らずに済んだのでは、と言う人もいました。
スタンス転換後の小説
◎鈴木涼美「悪い血」
小谷野 今回、「ゾンビ回収婦」の授賞理由として、フィクションを作り上げる意思、という評価があったことに、「ここまで来たか!」と思いました。それは、私小説を排除する宣言じゃないですか。最近ほとんど私小説は、芥川賞の候補に上がりません。その中で、鈴木涼美は多少、私小説に近いのだけれど。
そもそも鈴木涼美はなぜAVに出たんですか。
倉本 もちろん正確なところはご本人に確認していただかないとわかりませんが、いろんな著作を読むかぎり、当時は女性としての自分の身体をひとつの資本として捉えていたのではないかと。
小谷野 鈴木涼美はいくら慶應や東大を出ていても、AV女優だった過去がぬぐえなくなっている気がします。
倉本 鈴木さんが学生の頃は、コギャルブームと同時に、援助交際が社会問題になった時代ですよね。今は価値観が変わっていますが、当時は女性の側が売り手市場に立って、自分自身を交渉材料にできることをポジティブに捉えていた。上野千鶴子さんとの『往復書簡 限界から始まる』でも、身体を資本と考えて自分自身を切り売りしてきた、という話をしています。それに対して上野さんは、無傷のまま身体を資本にできると思っているならばそれは幻想であると、鈴木さんのことを案じているんです。そのやりとりの中で鈴木さんのスタンスが変わっていったように見てとれる。変わった後に書いた小説が、私は今作だと思っています。
小谷野 上野千鶴子が、いつの間にか売春撲滅論者になっていたのは、鈴木涼美の影響だと思います。ただ、鈴木涼美は金に困っていたわけじゃないのにAVに出たことが問題で、生きていくためには性風俗で働かざるを得ない人もいる。
倉本 鈴木さんも現場にいたからこそ、生きるためにやむにやまれず性風俗に就く人がいることが分かっていて、自分の行為に必然性があったのか、後ろめたさを感じているのかもしれません。
小谷野 つまり、倉本さんの解釈では、前に候補になった小説と今回のものとは違う。
倉本 違うと思います。それを進化とみなして、二作受賞もあるかなと思っていたんです。
小谷野 私もこの作品は受賞してもいいと思ったけれど、鈴木涼美は現実をそのまま描いた方がいいと思います。前回候補になった「グレイスレス」ではAV業界の化粧師が主人公で、今回はぼんやりと性風俗業界にいる人間だけれど、AV女優とは書いていない。
今回、明らかなミスがあって、高校中退という設定が途中で大学中退になっている。
倉本 本当ですか⁉ わあ、見落としてた。
小谷野 単行本でも修正されていなかった。
倉本 今回の小説は前の二作より目線が低く設定されていますが、やや視点の不安定さは感じていたんですよね。
小谷野 『ハックルベリー・フィンの冒険』の時から、「なぜこの人物にこの言葉が語れるのか問題」というのがある。「悪い血」の主人公も学歴がないと言いつつ、硬質な知的レベルの高い言葉で語れてしまっている。だからね、もう全部そのまま、鈴木涼美の目線で書いた方がいい。
『娼婦の本棚』という新書を出していますが、AVに出るのは娼婦ではないんですよ。鈴木涼美が商品にされてしまっていることは、私だって心配しているんですよ。
倉本 鈴木さんは、自分が娼婦というイメージで消費されることを良しとすることで、他の娼婦をしないと生きていけない人たちを損なっているのではないか、という不安がどんどん強くなってきているのではないかと。その実直な向き合い方に、今回の小説は推せると思いました。次作にも期待しています。(おわり)
★こやの・あつし=作家・比較文学者。著書に『聖母のいない国』(サントリー学芸賞受賞)『とちおとめのババロア』『この名作がわからない』(共著)『蛍日和』『あっちゃん』『謎解き『八犬伝』』『ルソーとその妻テレーズ』など。一九六二年生。
★くらもと・さおり=書評家・ライター。一九七九年生。
