2025/11/28号 4面

批判的犯罪学

批判的犯罪学 批判的犯罪学研究会編 藤間 公太  本書は、日本で初めて「批判的犯罪学」をタイトルに冠した書籍である。批判的犯罪学は1970年代の欧米にルーツを持つ「集合的実践の総称」であり、世界各国で議論が蓄積されてきたが、「日本の犯罪学や犯罪社会学ではほとんど無視されてきた」(iii頁)。「批判的犯罪学・綱領」に同意した研究会メンバーである著者らは、この状況を問題視し、批判的犯罪学を自身らの視点から1つの学派として打ち出すことを企図して本書を編んだという。この綱領は(1)刑事司法と主流派犯罪学への批判的視角、(2)研究者の規範的コミットメントの明示と検討、(3)個人化の拒絶と社会の変化に対する要請、の3か条からなる。この綱領を共通の立場性とし、時に著者自身らの実存も記述しながら(第2章、第3章、コラム①など)、多岐にわたる議論を本書で展開している。また章によってはかなり多くの注が付されていることも特徴である。本書という実践を日本社会に打ち出すにあたり、かなり分厚い議論がなされたことを想像させる。  批判的犯罪学は、経済的・政治的・文化的に弱い立場にある人には不利に働き、「権力者」には有利に働く刑事司法制度の不均衡を批判する。その上で、刑事司法制度が生み出すソーシャルハーム(social harm:ハームと略記されることもある)や、経済大国が権力者の犯罪に対応できていないことを問題化する。本書では、実態的なハーム概念を放棄しないが、代わりに、「『専門家が特定の方法論を用いることで、規範的・政治的なバイアスを免れた客観的なハームの定義を行える』という発想」(15頁)を退ける。何をハームとみなすかは依拠する規範によって変わるため、ハームを論じる者は、自身が依拠する規範の正当性についての自省的検討を、公共的な対話の中で厳しく問われる。  紙幅の関係で詳述することはできないが、本書全体の概要を紹介しておこう。第Ⅰ部は、先述の綱領の紹介(第1章)のほか、「抵抗の歴史」としての批判的犯罪学の系譜(第2章)、オートエスノグラフィを手掛かりとした被害者研究と研究者の実存の接続(第3章)、オートエスノグラフィによる「問題の個人化」への批判(コラム①)、ゼミオロジー(zemiology)学派からのハーム概念に対する問題提起(第4章)から成る。第Ⅱ部では、刑罰が植民地主義と同型の論理で不平等である点に着目した刑罰廃止論(第5章)、刑事法研究による批判的犯罪学の受け止めと共闘の可能性(第6章)、「未成年者の性」をめぐる法改正に潜む「成人中心主義」が、子どもたち自身の身体感覚や社会の仕組みに対する理解、問いかけを軽視していることへの批判(コラム②)、『更生保護』誌に掲載されたケース検討から、刑事司法と福祉との連携の論理を描写し、より根源的な刑事司法への批判を目指す試み(第7章)、フィルム・ノワールと批判的犯罪学の間に「アウトサイダーへの想像力」というつながりを見出し、階級闘争としてのフィルム・ノワールの歴史的文脈から、政治的解釈を媒介としてラベリング論と社会的犯罪論とを架橋する議論(第8章)から成る。  著者らに尋ねてみたいのは、ハームおよびそれが依拠する社会正義について「万人が合意に至る定義」が提出されていないなかで、議論に参加する人間は、自分たちが何について議論しているのかについての共通理解をどのように得られるのかという点である。一様たりえない「ハーム」についての定義が依拠すべき「社会正義」の定義もまた一様ではないという、二重の定義の不確実性についてどう理解すればよいのか、と言い換えられるかもしれない。議論を尽くしても定義について合意することができなかった場合、それも「ハーム」についての議論だと言えるのだろうか。もし「各自の定義でよい」ということなのであれば、統一されない定義にもとづき議論を積み重ねた先に立ち現れる「ハーム」についての「学」とは、どのような体系を持ちうるのだろうか。実はこの点は、家族研究における家族定義をめぐる問題と通底する論点である。評者は「子どもの幸福こそ最優先で公的保障の対象とすべき」という価値観のもと、家族社会学、福祉社会学の視角から施設養護や児童虐待を対象とした研究を行い、「子育ての脱家族化」を主張してきた。こうした研究には家族定義をめぐる政治性に向かうことが不可避であるため、この点をぜひ尋ねてみたいと感じた。  もっとも本書のインパクトに照らすとこの疑問は些末なものに過ぎない。そもそも「学」である以上は何らかの体系を持っているはず、という評者の想定自体が、旧態依然とした学問に囚われていると著者らからは批判されるかもしれない。本書はあとがきに至るまで支配的な制度・学知への批判的精神が表現されており、自身の規範性、立場性に対して徹底的に自覚的である。複数名の著者からなる書籍としては類を見ないぐらい、1つのメッセージが強く打ち出されている良書である。研究者はもちろんのこと、何かを考え、論ずる際の自省的姿勢を学ぶためにも、多くの人に一読を進めたい。(執筆:山口毅・山本奈生・岡村逸郎・上原由佳子・吉間慎一郎・松原英世・周筱・盛田賢介・渋谷望)(とうま・こうた=京都大学大学院教育学研究科准教授・社会学)

書籍

書籍名 批判的犯罪学
ISBN13 9784908736421
ISBN10 4908736421