映画の閾穴
西田 博至著
伊藤 弘了
伊良湖水道の一方の端に位置する神島を、聖地巡礼と洒落込んでかつて訪ねたことがある。渥美半島(愛知県)と志摩半島(三重県)を結ぶ海上線のほぼ真ん中に鎮座し、半世紀以上を閲していまだ構想段階に留まり続ける「伊勢湾口道路」に代わって、さながら伊勢湾と太平洋を境界づける閾の役割をあてがわれているかに見えるこの島が、何の聖地であるかなどとは今さら問うまい。
三島由紀夫の『潮騒』(一九五四年)の舞台として知られ、五度にわたる映画化を通してことごとくロケ地として採用されたこの島には、おそらくは作中でもっとも有名な三浦友和(を思い浮かべても浜田光夫を思い浮かべても構わない)が焚き火の炎を飛び越えて山口百恵(でも吉永小百合でもどうぞご随意に)と愛を確かめ合うシーンが展開される、「監的哨」が残っている。鉄筋コンクリート製二階建のその「暗箱」(と呼ぶにはいくぶん明るすぎるが)のぐるりには大小いくつかの矩形の穴が穿たれ(開口部が設えられ)ており、よもや大砲の弾着は拝めないまでも、流行りの縦型動画様にであれスタンダードであれワイドであれ、はたまた三幅対のマルチ式にであれ、任意のアスペクト比のスクリーンに見立てて海景を望むことができる。穴だらけの外壁は、形態的には壁というより「「光」の射し込むスリットのある「柵」」(三六頁)に似る。
本書『映画の閾穴』の著者の考える映画批評とは「一つの空間からもう一つの空間への視界を生み出すこと」(六頁)である。「ニューヨークは同時に、ベルリンになる」(五四頁)ような事態を可能にするその力学は「映画を閾穴にすること」(六頁)によって機能する。映画にはスクリーンという大穴が空いている。しかし、それを穴として正しく機能させるためには、その中に「閾」を設定しなければならない。映画が示そうとする「自分以外のもの」の顔貌を見定め、それが発する声に耳を傾けて、スクリーンの内側に閾としての穴(スリット)を開けること。そしてその外側に広がる「世界」との交通を確保すること。
内部から外部の眺めを得るために作られた『潮騒』の監的哨は、逆説的なことに、本来顧みられなかったはずの内部で展開される私秘的な愛の試練をまなざすよう人々の双眸を指嗾する。生物の身体がまさにそうであるように、外部と内部の暫定的で便宜的な区分は、ときに主客を転倒させる捻転力を発揮する。口という文字通りの開口部を通して内部と外部が通じているがゆえに、さんざっぱら人間を食い殺した『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、一九七五年)の人喰鮫は酸素ボンベを食わされて爆散させられるのだし(三七頁)、人に吐き気を催させることもあれば(『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』二〇一四年、『関心領域』二〇二三年、監督はいずれもジョナサン・グレイザー[一二七〜四五頁])、身体が裏返るような性的絶頂を予感させることもあるだろう(『愛のコリーダ』大島渚監督、一九七六年[二一三、二三一頁])。『憂國』(一九六六年)の三島由紀夫であれば、無理やり自らの身体に穴を開けて血と臓物をぶち撒けようとするだろうが(二三四頁)、刀のような大仰な得物を持ち出さずとも、ユマ・サーマンの皮膚に突き立てられたような注射針でも十分に致命的でありうる(七一〜二頁)。
ギー・ドゥボールを引きながら著者が説明するように「現実はスペクタクルのなかに生起し、スペクタルは現実である」(二頁)のだから、世界から生まれ、世界を構成する諸芸術を介して、映画もまた世界と通底することができる。著者は、世界に犇く諸芸術を媒介にすることによって映画に開けるべき穴の在処を精確に見定め、シャベルを突き立ててみせるのである。本書劈頭に登場するゴードン・マッタ=クラークの現代アートを皮切りに、小説、絵画(壁画)、オペラ、音楽(MV)、建築に映画自身、それからもちろん先行する批評の言葉が、映画の閾穴を探るために縦横無尽に動員されていく。
とはいえ、スピルバーグが戦場のトーチカ(防御陣地)から逃れようとしてそれと相似形をなす映画館に逃げ込んだように(二六頁)、あるいは、大島渚が京都を恨みながらもその引力に囚われ続けたように(一九九頁)、人が「まさに逃れるべきそのなにものかを、ふたたびなぞってしまう」(一四頁)運命にあるのだとすれば、「革命」は不可能で、「出口なし」なのだろうか?
本書を通して著者が繰り返し披露しているのは、「バッドランズ(悪い場所)」から映画監督としてのキャリアを開始したテレンス・マリックがなぞって見せたのと同じ種類の「跳躍(ジャンプ)」(二一頁)の身振りにほかならないだろう。書物とはそれ自体が小宇宙を構成する小さな暗箱の謂である。「うち」と「そと」とを往還するための出入口たる閾の確保に砕心する本書の表紙に、二つ閾穴が確保されているのは、なるほど道理である。(いとう・ひろのり=批評家・熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授・映画研究)
★にしだ・ひろし=批評家。『キネマ旬報』『ユリイカ』『美術手帖』などで映画や文学、美術や音楽についての批評文を執筆。一九七六年生。
書籍
| 書籍名 | 映画の閾穴 |
| ISBN13 | 9784863857131 |
| ISBN10 | 4863857136 |
