2026/04/10号 7面

代島治彦の奇妙な謝罪

代島治彦の奇妙な謝罪 酒井 杏郎編著 古賀 暹  本書が出版されるに至ったきっかけは、代島監督への酒井氏からの抗議に始まる。映画『きみが死んだあとで』と同タイトルで出版された書籍の「あとがき」に代島監督は酒井氏の発言を引用している。この発言が、同監督のデッチあげ(偽造)だというのが、事の始まりだ。  事は一九六七年に遡る。10・8羽田闘争だ。この闘争で京都大学一回生の山﨑博昭君が殺された。当時、日大の二年生であった酒井は山﨑君が警官に殴打され穴守橋の欄干へぐちゃりと寄りかかっているのを目撃している。ところが、当時の佐藤栄作政権に指揮された警察は、装甲車を乗っ取った酒井君を含めた日大生たちが、運転する装甲車で山﨑君を轢殺したというフェイクニュースを流し、すべての責任をデモ隊に押し付けた。つまり、暴徒と化したデモ隊の仕業として反暴力キャンペーンを敷いたのだ。  この事件を描いた代島監督は、同名のエッセイの「あとがき」で、酒井氏に「もしかすると自分が乗った装甲車が山﨑君を轢いたかもしれないと考えるとぞっとした」と語らせている。そして続けて、「後味が悪かった」と言わせ、それを後に起こった内ゲバにおける殺人、ナチスのユダヤ人虐殺などとまでつなげて論じているのだ。  当時、日本の警察とそれに使嗾されたマスコミは、権力が学生を虐殺したという事実を押し隠し、学生たちに、一時、乗っ取っとられた装甲車が学生を轢き殺したという報道を大量に流し、権力による犯罪を「学生による学生殺し」にすり替えようと試みたわけだ。ところが、六〇年後の今日、代島治彦はその流れに乗っかり、それを更に拡大し、学生が闘えば、必ずユダヤ人虐殺のような大量虐殺を生むとまで定式化しようとしているのだ。もちろん、そこにまで持っていくには更なる虚偽の羅列が必要となるが、これもやってのけているのだ。  私は、永いこと、編集者をやってきたが、こんなことは想像もできない。インタヴューをするときには、自己でありながら相手になり切って話を聞かなければならない。そうでないと、記事になり得ないのだ。自己の論理に都合の良いところだけを取り入れれば、それは、単なる自己主張にすぎず、そんなものは無価値なのだ。ましてや、他者の発言を偽造してしまうなど考えられることではない。それが記録映画屋さんと言われる人の手法なのか。  たしかに、インタヴュアーは事前に、自分のストーリーを持っている、しかし、それが、否定されることもまた、まま、あることだ。いや、否定されることが、その時の自分には苦しいけれど、実はインタヴュアーのインタヴューの狙いでもあるのだと言ってよい。この問題に対して、本書のなかで、菅孝行は塩野谷恭輔に対して以下のように語っている。  「虚構を作る表現者、構築主体は己自身の代行性に対する自覚をどれだけ作品で貫きうるのか。その上で当事者との緊張関係を、表現として最終的に結実させることができるのかというところに、センシティブな感覚を持てるかどうか、それが芸術家の芸術家たる資格だろうと思います」  ここで語られている表現者、構築主体というのは、まぎれもなく、映画監督であり、酒井氏に対するインタヴュアーである代島治彦氏そのものであるが、このインタヴュアーと対象者の関係を、この対談の末尾で語られている長崎浩の『叛乱論』におけるアジテーターと大衆の関係に、ひいては、党派と党派との関係にまでも引き伸ばして解釈することができると思われる。たとえ、AにとってBが革命の敵対者である権力に見えたとしても、A前衛にとっては、B前衛は大衆であり、逆も、また、そうなのである。理念的には、革命とは「全世界を獲得するため」に行われるのだから、すべてを味方にする必要があるのだ。  だが、言うまでもなく、「全世界を獲得する」などということは、思想とか、理論とか言われるものであり、全て観念に属することなのである。それらは、現実を判断する際の一つの仮説、ストーリーに過ぎない。現実は自己に対する敵対者を含む他者たちとの関係の中にある。それらの人たちとの関係は自己を豊富化させ、彼らを味方に転化させる「政治なるもの」の重要な過程なのだ。  ここで、語られるのは言うまでもなく軍事や暴力の次元のことではない。軍事は他の手段を混入する政治の延長なのであって、軍事には軍事の法則がある。原爆一個で何人の人を殺せるか考えてみればよい。機関銃一丁でもよい。だから、軍事と政治の次元は峻別されねばならない。先の対談で菅孝行がガンジーの無抵抗運動が、政治の次元では有効だったと語っているが、それは、政治という次元に属することなのであって、政治主体の判断に属する事柄だということを意味するのだろう。  本書を読みつつ、私が書かなければならないことは、もちろん、ほかにも多々ある。この書の編著者である酒井氏の育ち一つ見ても重要な素材だ。彼は原爆が投下された広島に生まれた。胎内被曝者でこそないが戦争直後の生まれで叔父や親せきは被爆して死亡している。また、彼とともに戦った神田の経済学部の秋田明大も、日大郡山(工学部)闘争の委員長の大塚規雄氏も同じ広島出身で酒井の高校の同級生たちである。  こうした世代の若者が、日大という戦前の日本をそのまま残し、学生を暴力によって支配して金儲けに奔走する大学に進んだ時に何を考えるだろうか。永年の右翼支配で鬱積した学生たちには、戦後民主主義の力が蓄積される。それは大学の金儲け民主主義を突破して進まざるを得ない。右翼暴力団の日本刀を打ち破って進む。そうした暴力をユダヤ人虐殺と同列に扱ってはならないのは当然だ。同様のことは羽田闘争を闘った若者たちにも言えるだろう。代島はそれらとの対話で自己を豊かにしようとしないばかりか、自己のストーリーに独裁を許したのだ。(執筆者:酒井杏郎・東條守・菅孝行・前田和男・満田正・加藤直隆・水谷保孝・塩野谷恭輔)(こが・のぼる=編集者・元「情況」編集長)  ★さかい・きょうろう=元日大全共闘副議長。学生運動を通じて社会の矛盾と向き合い、後に企業を創業し上場を果たす。一九四六年生。

書籍

書籍名 代島治彦の奇妙な謝罪
ISBN13 9784910556048
ISBN10 4910556044