2026/10/09号 5面

フージャの休日

フージャの休日 セオドア・ドライサー著 青木 耕平 『フージャの休日』は、小説ではない。一九一五年、小説家セオドア・ドライサーは画家フランクリン・ブースと自動車に乗り、ニューヨークから故郷インディアナへ向かった。本書はその旅の記録であり、回想録であり、社会観察であるだけでなく、私的な告白や文学論までもが入り込む、ジャンルを分類するのが難しい本である。  刊行は一九一六年だが、これは後にドライサーの代表作となる『シスター・キャリー』(一九〇〇)と、大ベストセラーとなり一世を風靡した『アメリカの悲劇』(一九二五)のあいだに位置する。『シスター・キャリー』では、ウィスコンシンの小さな町からシカゴへ向かうキャリーの移動が、近代アメリカの都市における上昇と欲望の物語そのものを駆動する。また『アメリカの悲劇』では、中西部出身の若者クライドが社会的上昇を夢見て、その欲望に押し流されていく。対して『フージャの休日』でドライサー自身がたどるのは、まったく逆向きの道だ。ニューヨークからインディアナへ、都市から故郷へ帰る。それはつまり、自らの過去、自らの記憶に立ち返る旅でもある。  旅の前半にドライサーを魅了するのは、何より移動手段としての自動車そのものだ──「今日完成されつつある自動車が、全世界の鉄道システムを現在の姿とは大きく異なるものに作りかえるだろうと言われても、私は少しも驚かない。… 旅行とは、いかに必要に迫られて出かける用ではあれ、突きつめればたいていの場合快楽を求める行為であり…長距離であろうと短距離であろうと、自動車は人間を独立させ、多くの選択肢を与える」(第十二章)。この自動車旅行には、小説家ドライサーと画家ブースに加え、スピードという名の運転手がいるが、このスピードを中心に読み解いた場合──訳者である村山淳彦氏が「あとがき」で指摘していることだが──ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』や映画『イージー・ライダー』などのロード・ナラティヴの源流として本書を読み解くこともできる。  このように最新の移動手段のテクノロジーに乗り込んでドライサーたちは移動するが、現在から眺めた時、旅の舞台である一九一五年という時代もまた、変わりいく激動の年であった。作中を通してドライサーは懐かしい場所に寄り、懐かしい人々と出会い、年をとった人々の昔話に耳を傾けるが、同時に「現在ヨーロッパで吹き荒れている戦争の嵐を見せつけられている今となっては、やや精細にかける感じがする」と述べ、「変化の波を感じたいと願いつつ立ち去った」(第十七章)りもする。ここでいう「現在」とは、一九一四年に勃発して戦火を拡大していた第一次世界大戦であり、アメリカが参戦を決めるのは本書刊行翌年の一九一七年だ。第一次世界大戦は、人類史上初の全面的な近代戦争であった。自動車と戦争という、近代の相反する二面性が刻み込まれているのが本書の特色であり、ここには、都市文明から逃れる牧歌的な旅行者というより、むしろ新しい機械によってアメリカの風景を発見する近代人としてのドライサーがいる。  本書の優れた先行研究に土屋陽子「空間旅行から時間旅行へ」(『路と異界の英語圏文学』)があるが、そこで土屋は本書が都会から田舎へと移動する「空間旅行」の前半から、後半では現在から過去へと移動する「時間旅行」と質的に変化していると指摘する。本書は六五〇頁を超える大著なのだが、確かにこの変化が面白い。ドライサーはかつて自分が暮らした場所を訪れる。そこには家も道路も町も残っている。しかし、そこにある現在の風景は、記憶のなかの風景とは違っている。これがドライサーを最終的に過去とは何か、記憶とは何か、という思索へと誘う。  評者がここで思い出したのは、ドストエフスキー『冬に記す夏の印象』だ。ヨーロッパを旅したドストエフスキーは、人間の精神と故郷とのあいだには、それを離れても最後には戻らせる「化学的結合」があるのではないか、と考え、ヨーロッパにいながらにして祖国「ロシア」のことを思った。対してドライサーは現在の故郷に戻りつつ、理念としてのアメリカ建国の精神──全ての人が平等で民主的な国家──を最終的な問いとして提出する。  このように、本書はドライサーの読者だけでなく、近代化、都市化に興味がある者や、旅行記やジャーナリズムを好む人、ノスタルジーや記憶との関連性に興味がある読者にも開かれている。原著通りにフランクリン・ブースの挿絵を収録して欲しかった、というのは偽らざる本音だが、それ以上に翻訳刊行の意義は大きい。(村山淳彦訳)(あおき・こうへい=愛知県立大学准教授・アメリカ文学)  ★セオドア・ドライサー(一八七一―一九四五)=作家。米国インディアナ州の田舎町でカトリック系ドイツ人移民の貧しい家庭に生まれる。小説のみならず、旅行記、自伝、エッセー、戯曲、社会評論など多方面で活発に執筆し、米国社会のオピニオンリーダーとみなされた。

書籍

書籍名 フージャの休日
ISBN13 9784867801055
ISBN10 4867801054