- ジャンル:民俗学・人類学・考古学
- 著者/編者: ジュリアン・リース
- 評者: 松村一男
宗教の起源
ジュリアン・リース著
松村 一男
現生人類を他の生命体と区別するマーカーとしてこれまでいろいろなものが選ばれてきた。四つ足でなく直立姿勢なのでホモ・エレクトス、賢いのでホモ・サピエンス、言葉を喋るからホモ・ロクエンス、物を作り出せるからホモ・ファベル、遊ぶことができるからホモ・ルーデンス、象徴を使えるからホモ・シンボリクス、そして他の生命を殺害して生きるのでホモ・ネカンスなど。その一つに宗教を持つことを挙げるホモ・レリギオーススという名称もある。つまり宗教は他の生命体にはないという見方である。しかしこれは証明が難しい。しかしそれでもやろうとする人々はいる。信仰を持った宗教学者である。本書の著者ジュリアン・リース(一九二〇―二〇一三)もその一人だ。彼はベルギーのルーヴァン・カトリック大学の宗教史学・宗教人類学の教授にしてローマ・カトリック教会の枢機卿であった。しかし信仰を持っているからバイアスがかかっているだろうと初めから疑うのはよくない。果たして超自然世界の存在を認識する能力を現生人類は最初から有していただろうかという疑問と、有していたはずだという信念のいずれの立場からのスタートであろうとも、その後の研究とは無関係である。
ホモ・レリギオースス研究は主として宗教現象学者によって担われてきた。その系譜はイタリアのラッファエーレ・ペッタッツォーニ、オランダのゲラルダス・ファン・デル・レーウ、ドイツのフリードリッヒ・ハイラー、そしてルーマニア生まれで、アメリカで生涯を終えたミルチア・エリアーデと繫がっている。リースはエリアーデへの強い共感を本書でも示している。
宗教現象学は次の三段階を踏んで行われるとリースはいう。まずあらゆる資料を歴史学的に集める。次に体系化するために命名と分類を行う。そうして本質と構造を理解しようとする。このやり方が現象学的と呼ばれる。そして最後の段階は解釈の提示、つまり解釈学である。本書ではこの方法論は宗教人類学という言い方もされている。こちらの方が一般読者には分かりやすいという配慮だろうか。
現生人類がホモ・レリギオーススであるならば、旧石器時代から現代に至るまでのあらゆる時代の地球上のあらゆるその生息地域に宗教が認められるはずだろう。そこで本書ではよく知られている誰もが認めている諸宗教の紹介はもちろんしているが、何よりも独特なのは、宗教の存在を示す文字資料がない時代や地域について、多数の大判のカラー図像を掲載して感覚的に理解、納得させようとしている点である。
リースが手本としているエリアーデは、宗教現象学の古典『宗教学概論』(せりか書房、エリアーデ著作集の一から三)と世界の宗教の歴史を単独で著述する離れ業『世界宗教史』(ちくま学芸文庫、ただし途中で亡くなったので、終わりの方は複数の手になる)を著したが、彼はいずれにおいても図版を使わなかった(使えなかった?)。リースの本書はその問題を克服して、エリアーデを補っている。そしてそれは見事に成功している。
個人的感想になるが、大判の見開きページでのカラー写真の迫力は圧倒的だ。目を離すことができず、激しく心を揺さぶられる。一瞬現実を忘れて、自分もその超自然界にいるような気持になる。現実には洞窟の動物壁画をこれほどの大きさと鮮やかで見ることはできないし、博物館で見るヴィーナス像も小さくて細部までは見えない。本書でこれらを目の当たりにするなら、解説の言葉を読む前からすでに、これらを作った人々が超自然界の存在を深く信じていて、それを表現しようと努めたことを疑うのは難しい。この本は適切な図版の選択と理論的な枠組みによって、私に自分がホモ・レリギオーススであることを感得させてくれた。
本書の理論的枠組みの宗教現象学(宗教人類学)は系譜からしてもヨーロッパ、わけてもイタリア、フランス、ベルギーを中心に進められてきた。アメリカ合衆国やイギリスや北欧ではこうした研究手法はあまり盛んではない。だから本書にはイタリア、フランスではよく知られているが、他の地域の研究ではあまり参照されない優れた研究者の業績がリースによって(おそらく意識的に)多数紹介されていて、そうした面でも多くの新しい知的刺激を与えてくれる。
ところで、『宗教の起源』という同じ題の本が本書より少し前に刊行されている。著者は、集団の規模の最適数を一五〇と提唱し、それにダンバー数という自身の名前さえつけられた、英国の進化心理学者・霊長類行動学者のロビン・ダンバーである(原著は二〇二二年、日本語訳は白揚社、二〇二三年)。こちらは理系の宗教起源論である。社会の変化によって最適な集団規模を超えた大集団での生活が不可避になったときに宗教は創られた、という立場だ。
リースの立場とダンバーの立場は両立しうると思う。ダンバーが考えているのは一神教の起源である。しかしそれ以前から人間はホモ・レリギオーススであった。そうでなければ一神教も生まれなかったはずだ。
あらゆる時代と地域の宗教についての著作を読みやすい日本語に翻訳するのは大変な作業であったろう。監修者と訳者の労を多としたい。(江川純一監修、小藤朋保・溝口大助訳)(まつむら・かずお=和光大学名誉教授・神話学)
★ジュリアン・リース(一九二〇―二〇一三)=ベルギー出身の宗教史家・ローマ・カトリック教会の枢機卿・宗教史学・宗教人類学。
書籍
| 書籍名 | 宗教の起源 |
| ISBN13 | 9784336066718 |
| ISBN10 | 433606671X |
