- ジャンル:政治・法律・社会
- 著者/編者: クィン・スロボディアン
- 評者: 下村晃平
破壊系資本主義
クィン・スロボディアン著
下村 晃平
前著『グローバリスト』(白水社、2024年)が、グローバルな自由貿易体制を成立させるための国際機関の設立や条約の制定など、国民国家より「上」のスケールの問題を扱ったのに対して、本書が扱うのは、主に国民国家より「下」のスケールの問題である。そこで焦点をあてられるのが世界に5400カ所を超えて存在する「ゾーン」である。ゾーンとは、「国民国家の領地に異なる法律で動く例外的な区域を作り、民主的配慮もなく運営する仕組み」(4頁)であり、具体的には経済特区、輸出加工区、租税回避地などが含まれる。本書では、それらの増殖が「穿孔」と表現されるが、その比喩が示すように、ゾーンは国民国家からなる世界地図に穴をあける存在である。
このゾーンの重要な起源の一つとして、本書は、ミルトン・フリードマンを魅了した香港に注目する。15%の一律課税や均衡予算を義務づける憲法条項、そして何より、政治的自由を欠いたまま経済的自由を実現しうる可能性を示した香港は、その後「持ち運び可能な香港」として各地に輸出されていく。スロボディアンは、シンガポールやドバイをはじめとする諸事例を通じて、ゾーンの増殖に邁進するリバタリアンたちの活動を描き出している。
本書の大きな特徴は、ネオリベラリズムを国家縮小の思想としてではなく、資本を民主的統制から保護するために国家の法制度や領域編成を組み替えるプロジェクトとして捉え直した点にある。そこで問題となるのは、市場と国家の単純な対立ではない。むしろ本書が明らかにするのは、国家権力を利用しつつ、民主的統制の及びにくい空間を設計しようとする実践である。
この点で重要なのは、ゾーンをリバタリアンたちの楽園としてのみ理解してはならないという、本書の主張である。スロボディアンによれば、「ゾーンが生み出す世界は、実は民間企業が激しい競争を繰り広げる1000の政体からなるパッチワークなどではない。国家資本主義体制を採用するひと握りの超大国の立場を強化する存在、それがゾーンの正体だ」(274頁)。リバタリアンは、最小限度の国家介入を認める最小国家主義者と、国家そのものを否定する無政府資本主義者とに区別できるが、いずれも私有財産と契約を基礎とする社会を理想とする点では共通している。本書は、民主主義の存在しない資本主義の実現過程を描く歴史研究であると同時に、リバタリアンたちによる「主権」や「社会契約」の再解釈をたどる政治思想史として読むこともできる。
以上のような議論は、近年のネオリベラリズム研究の到達点の一つとして位置づけることができる。本書でいう「ネオリベラル」とは、フリードリヒ・ハイエクらが1947年に設立したモンペルラン協会と、その関連シンクタンクの関係者たちを指す。彼らは、資本主義を民主的統制から保護するという点では一致するものの、その内部には複数の立場の違いが存在する。スロボディアンの近年の三著作は、こうした人びとをひとまとめにせず、グローバリスト、リバタリアン、コンサバティブという三つの類型に分け、それぞれの活動を歴史的に追うことで、ネオリベラリズムの時代を重層的に描き出そうとする試みとして理解できる。
このような立場は、2009年に刊行されたフィリップ・ミロウスキー、ディーター・プレウェ編『モンペルランからの道』以降、とくに注目されてきた「ネオリベラル思想集団」の歴史研究に連なるものである。そこでは、ハイエクやフリードマンのような著名な経済学者のテクストだけでなく、彼らを取り巻くネットワークをも視野に入れることで、ネオリベラルたちの活動の実態が明らかにされてきた。学説史的に見れば、スロボディアンの仕事はこうした流れを継承しつつ、ネオリベラルたちの活動だけでなく、彼らのアイデアがいかにして実現されるのかという問いへと研究の射程を広げている。前著『グローバリスト』が世界市場を安定させるための国際秩序の構想を描いたとすれば、本書は、資本が民主的統制を回避するために国民国家の内部へいかなる例外空間を作り出してきたのかを描いているのである。
もっとも、本書の議論に検討の余地がないわけではない。リバタリアンたちの構想やネットワークを活写する手腕は見事であるものの、その一方で、ゾーンの形成を支えた現地の官僚機構や実務家、あるいは各国・各地域に固有の政治経済的文脈の差異は、やや後景に退いているようにも見える。また、ネオリベラルの下位区分に「リバタリアン」を置くことは、ネオリベラルたちの政治思想を区別するため分析上有効である反面、現実には相互に重なり合う部分も少なくない。また、ネオリベラルに固有の政治思想が存在しないのかどうかは検討が必要だろう。こうした点にはなお検討の余地があるとしても、本書を含めスロボディアンの著作がネオリベラリズム研究に新たな視角を持ち込んだことは間違いない。
本書が今日的な意義をもつのは、そこで描かれるゾーンの論理が、過去の特殊な実験にとどまらないからである。経済特区、輸出加工区、租税回避地など、資本が民主的統制から距離を取ろうとする動きは、現在でもさまざまなかたちで続いている。本書は、そのような動きを個別事例としてではなく、資本主義と民主主義の緊張関係のなかに位置づけて理解するための、有力な手がかりを与えている。(松島聖子訳)(しもむら・こうへい=立命館大学専門研究員・社会学)
★クィン・スロボディアン=カナダの歴史学者・ドイツ史・国際関係史。著書に『グローバリスト』など。一九七八年生。
書籍
| 書籍名 | 破壊系資本主義 |
| ISBN13 | 9784622098300 |
| ISBN10 | 462209830X |
