2025/07/18号 6面

シネパトグラフィー

小林聡幸編『シネパトグラフィー』(伊集院敬行)
シネパトグラフィー 小林 聡幸編 伊集院 敬行  本書は六人の医療従事者による、映画の創造と作家の病理についての論考集である。タイトルの「シネパトグラフィー」とは、シネマとパトグラフィーの語を組み合わせた造語で「映画の病跡学」を意味する。では病跡学とは何か。一般に文学作品や芸術作品を論じる場合、我々は作家がそこに込めたテーマ、作品とそれに先行する作品との関係、あるいは作品と当時の社会状況との関係などを考察しながら作品を解釈していく。この場合、解釈の中心はあくまで作品であり、作家の個性や生い立ちは二次的なものとなる。これに対し病跡学は、精神医学・心理学の立場から、天才と呼ばれる人物の個性や生い立ちに注目し、その病理と創造性との関係を明らかにしようとする学問である。  さて、天才たちが何らかの病理を抱えていたという話はよく聞くことである。また、彼らは自身の抱える病理が周りから理解されず、しばしば孤独であったとも聞く。とすれば映画製作のような場では、一般に病跡学の対象になるような天才が活躍するのは難しいと思われる。というのも集団による制作が基本である映画において、対人関係は避けられないからである。だが、しばしば我々は映画に病理的なものを認め、ときに心かき乱されることがある。では、なぜ集団創造である映画でそのようなことが起こるのか。それは、まさに映画が集団創造のメディアだからである。  本書では作家の個性(パーソナリティ)や病理的なものの現れる場として、映画のさまざまな表現や技法が論じられる。たとえば長回し、編集上の矛盾、グロテスクな身体表現などに作家の個性や病理の反映を認め、それらに医学的診断に基づいた分析がなされる。ただし本書は単に映画を作家の症状と見なすだけではない。ここでは作家を中心とした人間関係、すなわち映画の制作集団(スタッフ、仲間)も分析の対象とされ、作家個人の個性や病理がどのように制作集団に影響を与えたのかが分析されている。もちろん、その関係の形は作家ごとに違う。だが、それらに共通して認められるのは「転移」である(ただし、本書ではこの語はあまり用いられていない)。  転移とは、ある人間関係がほかの関係に置き換えられる現象である。精神分析では、患者の過去の人間関係が現在の治療者との間で再演されるとする。治療者はこの転移を解釈することによって、患者の過去の葛藤や苦悩を理解していく。この転移という概念を映画制作に当てはめるなら、作家の過去の人間関係(病理)が作家と制作集団との間に、さらには制作集団と作品との間に投影、再演されていくということになる。そのとき、個人である天才が病理に苦しむように、制作集団も一人の人間のようにその病理に苦しみ、また、個人の病理のエネルギーは制作集団全体にまで拡大しつつ、創造性へと結晶化するのだろう。とすれば映画において、作品を生み出す主体はもはや作家個人ではなく、むしろ制作集団のほうである。  ところで、本書で論じられる作家たちは、いずれも個性の強い者ばかりで、彼らは何らかの診断名が与えられるような傾向を持っていたり、人間関係に問題を抱えていたり、トラウマ的な経験をしたりしていた。彼らの中には問題を起こす者もいたが、仲間の目には逆に常識的で、ときに魅力的に映る者もいたようである。しかし、作家の病理が集団の中でどのように機能していたのかを問うことで、作家の個性が病的であれ、健康的であれ、彼らの制作を支える映画の集団創造のプロセスそれ自体が作家にとって「癒し」としてあったことを本書は教えてくれる。  たとえ作品がどれほど病的なものに見えようとも、またどれほどその制作現場が混乱に満ちたものであっても、だからこそ集団創造は転移の場となって作家を癒していた。と同時に、創作過程の中で作家の感情が再演・強調されるからこそ、そうして制作された作品は作家自身の内奥を明かし、我々の心を激しく揺さぶるものとなる。精神医学・心理学の視点から集団創造を論じることで本書は、病跡学の可能性を映画へと開くだけでなく、デジタルメディアやSNSを考察する切り口をも我々に与えてくれる。(いじゅういん・たかゆき=島根大学法文学部准教授・映像論)  ★こばやし・としゆき=自治医科大学教授・精神病理学・病跡学。著書に『うつ病ダイバーシティ』『音楽と病のポリフォニー』『シンフォニア・パトグラフィカ』など。 (著者=小林陵、斎藤 環、濱田伸哉、丸谷俊之、大島一成)

書籍

書籍名 シネパトグラフィー
ISBN13 9784865593082
ISBN10 486559308X