トルコ共和国のイスラーム教育と世俗主義
上野 愛実著
佐藤 香寿実
トルコ共和国は国民の大多数をムスリムが占めるイスラーム社会であるが、同時に「ライクリキ」という政教分離原則を国是とする世俗主義国家でもある。一九二三年の建国以来、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの強力な指導力のもと西洋的近代化をすすめ、その根幹をなすものとしてライクリキを打ち立ててきた。しかし、そのアタテュルクの亡きあと、およそ半世紀のうちにトルコ政府はイスラームの再価値化の方向に舵を切ることになった。この方向転換は、公教育における宗教教育の変遷にも色濃く反映されており、一九三〇年代、公教育における宗教教育がすべて廃止されてから、紆余曲折を経て、一九八二年、宗教教育科目は再設置され必修化されるに至った。はたして、この半世紀の間に何が起こり、どのような理屈によりこの劇的ともいえる方向転換が合理化されたのか。本書は、日本からはなかなか見えてこない、その「ミッシング・リンク」を詳らかにしてくれる良書である。
本書は、主に一九四〇年代から一九七〇年代までを対象に、イスラーム教育科目に関する政策の変遷とそれをめぐる公的議論を追うことで、トルコ共和国政府が宗教をどのように扱ってきたのかを通時的に考察している。本書の重要な特徴のひとつは、政教関係を固定的なものとして捉えず、あくまでもプロセスとしての側面に注目している点である。それぞれの時代における政治家や知識人による議論を紹介し、内部の多様な意見の存在に目配りしながらも、時代ごとの全体的な議論の展開を丁寧に論じている。このようなアプローチによって、トルコにおける政教関係およびライクリキ理解の多面性・可変性を提示することに成功している。そこで示唆されるのは、アタテュルク亡きあとを継承する共和人民党政権による政策転換と、現在のエルドアン長期政権にまで続く公正発展党によるイスラーム化政策との連続性である。世俗主義は多義的な概念であり、ライクリキに対してなされる意味付けも、時代・立場・状況によって変化してきた。そうした意味付けにかかわる政治的言説を一つ一つ拾い上げ、客観的・論理的に分析することで、本書は、「ライクリキ擁護派」と「イスラーム復権派」とされる両陣営の共通性をも明らかにするのである。
構成は歴史的な流れを反映しており、論旨は明確かつ説得的で読みやすい。とりわけ、トルコ人とイスラーム性の関係性の変容に焦点をあてた宗教教育政策の分析は、宗教とナショナリズムの関係性を読み解くものとして興味深い。学習指導要領や教科書の内容にも踏み込み、トルコ人アイデンティティとイスラーム性が次第に強固に結び付けられていく過程を描き出している。ライクリキをはじめとする近代化政策を国民統合の礎としたアタテュルク時代とは異なり、アタテュルク没後には、少なからずイスラーム性が「トルコ国民にとっての共通の価値」として検討されるようになった。イスラームは世界中に広がる普遍的宗教であり、そこでは民族の別なく教えが説かれるが、トルコで展開される宗教教育においてイスラームはトルコのナショナリズムと堅く結びつけられ、トルコ性とイスラームの共通性ないし本質的不可分性が、時代を追うごとにいっそう強調されるようになったという。時代によって様相を変えるさまざまな政治的言説が明らかにするのは、公的議論において「前提」や「常識」とされるものがいかに容易に変わるかということでもある。公教育分野の宗教教育をめぐって二転三転する議論で賭けられているのは、トルコの国民統合の基盤をどこに求めるかであり、読者は、その賭け金をめぐって苦心する為政者たちの姿を見出すことができるだろう。
ライクリキはフランスの「ライシテ」を範としたこともあり、評者の研究対象地であるフランスにおける議論と、トルコの事例は高い類似性を持つ。一方、世俗主義との関わりでイスラームを捉える場合、ムスリムが全人口の一割程度とされるフランスと、国民の大多数がムスリムであるトルコとでは、社会状況はもちろん、イスラームという宗教の伝統的な重みも全く異なる。世俗主義とイスラームという主題においては、西欧社会の事例がとかく注目されがちだが、トルコの政教関係の歴史的変遷を追った本書は、西洋的文脈とは異なる観点から政治と宗教をめぐる普遍的課題を考えるための手掛かりを与えてくれる。(さとう・かずみ=お茶の水女子大学グローバルリーダーシップ研究所・研究協力員・フランス地域研究・人文地理学)
★うえの・まなみ=岩手県立大学専任講師・トルコ現代史。
書籍
書籍名 | トルコ共和国のイスラーム教育と世俗主義 |
ISBN13 | 9784326200689 |
ISBN10 | 4326200685 |