2026/04/03号 5面

生のみ生のままで

〈書評キャンパス〉綿矢りさ『生のみ生のままで』(山口拓海)
書評キャンパス 綿矢りさ『生のみ生のままで』 山口 拓海  常識や世間体から逸脱してしまわないために本心を理性で抑えてしまう、そんな時はありのままの自分ではいられない。「生のみ生のまま」とはどういうことなのか、深く考えさせられる小説であった。  本作では、二人の女性のひたむきで情熱的な恋愛が、視点人物である逢衣の一人称で語られる。物語の前半では逢衣と彩夏が出会い、葛藤しながらその人生を交差させていく。「男も女も関係ない。逢衣だから好き」とまっすぐに思いを伝える彩夏と、性別という枠組みを簡単には乗り越えられないと感じる逢衣。この二人の価値観は容易には交わらない。それでも互いの存在を無視できないものとして実感していく中で、二人は揺れ動く思いを抱えながら関係を深めていく。物語の後半では、二人の関係によって迫る問題と、彼女達が対峙していく。筆者はその中から、逢衣が彩夏を受け入れる過程での変化に注目したい。  物語の序盤、逢衣は自らの感情よりも「普通」であることを優先しようとする人物として描かれる。高校生の頃、探検家に憧れて一人で各地を訪れていた逢衣は、危険な目に遭いかけた経験をきっかけに、自分の行動が周囲を傷つけうることを思い知る。以来、彼女の中には「普通」から逸脱することへの強いためらいが生まれていた。彩夏に告白された逢衣は彼女の存在が自身の中で少しずつ大きくなっていることを感じる。しかし、同性である彩夏と恋愛関係になることによって、「普通」の外側へと自分の存在を置いてしまうことを恐れ、逢衣は彩夏の告白を拒絶してしまうのである。つまり当初の逢衣は、社会性を優先して本心を隠してしまう人物だった。ところが、物語が進むにつれ逢衣は彩夏との恋愛関係を受け入れるようになる。では何が彼女を変化させたのだろうか。それは、随所に書かれる身体的感覚だろう。本作には彼女達の身体的接触が繊細に記され、それに伴う逢衣の戸惑いと、同時に情熱の沸き起こる複雑な心情が書かれている。逢衣は彩夏と触れ合うことで自分の本心を認めていき、彼女との恋愛を受け入れる。つまり、身体的感覚が理性による抑圧を超えたのだ。私たちは自身の身体を理性によって制御できていると考えてしまう。逢衣は無意識のうちに、この理性と身体の関係を変えることによって、自身の本心と向き合うことができたのではないか。  「生のみ生のまま」とは、理性によって抑制されてしまう本心を、理性を超える身体的感覚によって発露させることではないだろうか。理性と身体の関係を逆転させることによって、変化が困難な状況に大きな作用を与える。物語を通じたこの大胆な方法の提示は、心を抑えてしまいがちな読者に、ありのままの自分について考える機会を与えてくれる。 しかし、本作はそこで終わらない。逢衣は理性を身体的感覚によって乗り超えるという手段を発見したが、それは逢衣と彩夏の二者関係でしか有効にならなかった。社会で異端とされず生きていくためには、少なからず「適切」と見なされない本心を抑えることが必要となる。自分の本心に従おうとするとき、そこには必ず他者の意志との衝突が生じる。「生のみ生のまま」が身体に基づくものであるならば、その身体は痛みを引き受けることを避けられないだろう。逢衣と彩夏は社会とどう向き合い、いかに生きていくことを選択したのか。ぜひ本作を読んで確認してみて欲しい。

書籍

書籍名 生のみ生のままで
ISBN13 9784087711899
ISBN10 4087711897