百人一瞬
小林康夫
第97回 アンヌ・チャン
「とうとうパリに到着したんだ……とまどいに似た驚きとともに、どこからかこの言葉が降ってきて、ひとたびそう表現されてしまうと、もうそれ以外のなにものでもなかった」とわたしは書いた。所属していた東大・教養学部の二〇一三年秋の「学部報」、その一年前のパリ滞在を振り返って書いたエッセイの冒頭。奇妙である。パリはわが人生を貫く最大のベクトルであったが、だからこそ七十七年にはじめて訪れて(第24・25回参照)以来、一年の、あるいは半年のサバティカル(研究滞在)まで含めて、何十回となくパリに行っているのに、この時、ついに「パリに到着した!」と感じたのだった。 なぜか? それは、パリのコレージュ・ド・フランスで四回の連続講義をさせてもらえたから。そのようにわたしを招いてくれたのが、コレージュのアンヌ・チャン先生だった。
コレージュは大学ではない。学生はいない。教壇に立つのは各分野の突出した知識人だが、その講義は誰でも自由に聴くことができる。つまり、フランスにおける知の「開かれた殿堂」。わたしにとっては、なによりもメルロ=ポンティ、フーコー、バルト……といった名前と深く結びついた場で、実際、留学中はしばしば講義を聴きに通っていたのだった。
アンヌさんは、父親がフランスで有名な中国出身の作家・学者のフランソワ・チャン(彼の『美についての五つの瞑想』などはわたしの愛読書でもある)で、その後継にふさわしく中国思想の専門家。彼女の著書『中国思想史』を、わたしの同僚の中島隆博さん(第94回)らが邦訳した(知泉書館)のを契機に、わたしの哲学センターで二度にわたって講演してくれた。
その直後、今度は、東大のプロジェクトで――「知の際」という際どいタイトルだったが――隈研吾さんら東大教授陣がコレージュでシンポジウムを開くことになり、わたしも参加。それなら、若い時に講義を聴きに通ったフーコーにオマージュを捧げようと、フーコーのコレージュ開講講義からsuprepticementという一語を拝借して「Suprepticement parallère(法をかいくぐってパラレルに)」というタイトルで仏語の発表をした。そしたら、セッションが終わった瞬間、アンヌさんがわたしのところに来て「いい開講講義だったわね、こうなれば来年、コレージュにひと月教えに来てくださいね」と言ってくれたのだ。
まさに「一瞬」の判断。その瞬間にコレージュの門が開き、約束通り、翌年の秋、わたしはコレージュの教壇に立つこととなった。
だが、難題である。一度きりのパフォーマンスではなく、知の「殿堂」での四回の連続講義。悩んだ末、結局、日本の文化を講じるしかないとなって、わたし自身が生きた日本の戦後文化の存在論的基礎を――少しおどけてオペラ風に――論じるという冒険的パフォーマンスを演ることにしたのだった。
そう、今になって思えば、パリで、わたし自身が生きてきた戦後日本の「時間」を論じることを通じて、わたしは「とうとうパリに到着した」のだった。
この時からパリは、わたしにとって真の――カフカの極小の物語が言う――「隣り村」となった。この到着を可能にしてくれたのがアンヌ・チャンさん。アンヌさんは、わたしの人生に時折、出現する「女神」のひとりとなったのだった。
この経緯の詳細は、拙著『存在のカタストロフィー』(未來社)で読むことができる。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)
