<英語・英国文化の楽しみ、雑学の喜び>
安藤 聡 インタビュー
『英文学者がつぶやく 人生を豊かにするかもしれない英語と英国文化の話』(平凡社)
物語の生まれる国・英国
――安藤さんは英国児童文学がご専門でいらっしゃいますが、このたび、英語と英国文化を楽しむ教養エッセイ『英文学者がつぶやく 人生を豊かにするかもしれない英語と英国文化の話』を刊行されました。今日は英国文化や英文学の楽しみ方を教えていただきたいのですが、英文学の特徴や英語の面白さはどういったところにあるとお考えでしょうか。
安藤 学生に教えるときに、英文学の入り口としてよくお話しすることですが、われわれは意外とイギリスの文学に初めから親しんでいるということです。『不思議の国のアリス』や『ハリー・ポッター』など、十九世紀後半から現在に至るまで、主だった児童文学の名作の相当な割合がイギリスの作品で、必ずしも本で読んでいなくても映画やアニメで、すでに馴染んでいる作品が多いんです。一方でシェイクスピア、オースティン、ディケンズなど、世界中で読まれている国民的作家の作品もありますが、児童文学の名作が多いのも英国文学の特徴だと思います。
今回の本に「物語の生まれる国」というタイトルの章がありますが、これまでの研究を通して、イギリスにはそうした優れた作品を生み出す土壌があるのではないかと感じていて、そこにずっと注目しています。作品の背景や舞台にその土地でなければストーリーが成立しない物語がたくさんあって、例えば『思い出のマーニー』であれば、入り江の潮の満ち引きがなければ物語が成立しませんし、『トムは真夜中の庭で』は、川が凍っていなければスケートのエピソードが成立しないとか、土地の特徴とストーリーとの密接な関係があって、作品の背景に非常にリアルに風土や文化的特徴が描かれているのがイギリスの作品ではないかと思います。
複雑怪奇な英語と驚くほどの多様性
――「はじめに」では、「英語という言語そのものの中に驚くほどの多様性が見受けられる」と書かれています。
安藤 そうですね、英語は呆れるほど不規則性と多様性に富んだ言語なんです。綴りと音の不規則な関係や動詞変化、文法も柔軟でかつ例外が多いのが英語の特徴で、それは英語が多様な言語の混淆によって成立したことに起因していて、英語学習者はそこで苦労もするのですが、そこに面白さもあるのかなという気がしているんです。それこそgoの過去形が何故wentなのかという問題にしても、長い歴史的経緯があって定着しているわけです。その歴史的経緯を考察していくと、そこでまた面白い雑学に出会えたりする。一つの単語にも背景となる歴史や文化が非常に色濃く反映されているんです。
同音異義語が多いのも英語の特性で、英語は外来語の取り入れ方がすごく柔軟なんです。そうすると語彙がどんどん増えていくし、同じ単語が二回も三回も外来語として入るケースも出てきます。そのおかげで類義語がたくさんあって、学習者としては鬱陶しいのですが、逆に言えば微妙なニュアンスの使い分けがしやすくなる。最近思ったことですが、いろいろな児童文学を研究してきた実感として、英語は物語に適している言語なのではないかなという気がします。
英語にはシェイクスピアが作った表現がたくさんありまして、英語の歴史の中では特に偉大な存在です。十八世紀の文豪サミュエル・ジョンソンの執筆した『英語辞典』は、単語を論理的にではなく経験主義的に定義するというスタンスで、言葉の意味を実際に使われている文脈の中で説明する。あれも本当にイギリス的な経験主義そのものだと思います。序文でジョンソンは、英語はあまりにも不規則で論理的に説明することはできないから、実例を示す以外にないんだと言っているんです。それも英語の特質を見事に見抜いている鋭い洞察だと思いました。その上、英語は世界中で用いられていて、それだけ多様な英語が存在する。そうした多様性も全部ひっくるめて英語の面白さだと思います。
雑学の喜び/無限の可能性
――「英国の地名と英語のイディオム」(第一章「知っていても特に役に立つわけではない英語の話」)という項では、地名にまつわるイディオムの話があります。「無駄なことをする」という意味の〈ニューカースルに石炭を持って行く〉take coalstoNewcastle、「村八分にする」という意味の〈コヴェントリーに送る〉send to Coventryなど、その土地の産業や文化的背景に則したイディオムもあれば、「愚か者」を意味する〈ゴウタムの賢者〉a wise man of Gothamでは、シェイクスピアの『ジョン王』の伝説と伝承童謡に出てくるノッティンガム近郊の小さな村の名前が使われていて、イディオム一つとっても、そこから英国の風景と豊かな物語が立ち上がってきます。
安藤 イギリスという国の歴史や風土、多彩な文化的背景があって、このような言葉の表現が成立しているという面白さですよね。日本語にはここまで細かい地名を使ったイディオムというのはあまりないように思いますが、いかがでしょうか。もし日本語や他言語のイディオムに詳しい方がいらしたら是非教えていただきたいのですが、ほかの言語ではどうなのか気になってはいます。
――本書の「なぜ私は英文学に傾倒あるいは耽溺したのか」(第四章)では、英文学者になるまでの経緯やエッセイを書くようになったきっかけについて書かれていますが、一見「無駄」に思える知識、いわゆる雑学が、「どこで何の役に立つかわからない無限の可能性を秘めているとも言えよう」と書かれています。
安藤 こうしたエッセイは、学生が英語や英国文化に対する興味を深められるように、学生向けニューズレターに書き始めたのがきっかけなんです。最初は学生向けに書いていたのですが、学生だけでなく同僚の教員や同年代の職員からも反響があって、同世代の友人も面白がって読んでくれていたので、意外とこうした雑学的知識は需要があるのかなと思いました。何か目的があって読む本ではない本や知識が、結果的にはいろんな研究や考察の役に立っていく、そこに雑学の面白さがあって、それが雑学の神髄ではないかと思います。
奇妙なイギリス英語の世界/変な単語シリーズ
――一冊目の本では、虹の七色の順序を覚えるための便利なセンテンス、ヨーク公リチャードのエピソードが印象的でした。
安藤 Richard of York gave battle in vain.(ヨーク家のリチャードは戦争を仕掛け、失敗に終わった)ですね。これは実話で中世イングランドにおける王位継承権を巡るヨーク家とランカスター家の争い、いわゆる薔薇戦争(the War of the Roses)のときの話なんです。これは史実と合っていて、なおかつ「R=Red」「O=Orange」「Y=Yellow」のように、この文を構成する七つの単語の頭文字が虹の七色に対応していて覚えられるということなのですが、イギリスの長い歴史の中から自然発生的に出てきたもので、そういう言葉の表現が生まれる土壌がイギリスという国にはあるということですよね。
薔薇と言えば、今回の本には入っていませんが、エリザベス一世が薔薇恐怖症(anthophobia)だったとか、そういう話もあるんです。
――今回の本の「試験におそらく出ない英単語」では、
▽hypnophobia
(睡眠恐怖症)
▽eremophobia
(孤独恐怖症)
▽friggatriskaideka
phobia
(十三日の金曜日恐怖症)
▽phobophobia
(恐怖症恐怖症)
といった恐怖症が豊富に収録されています。ご自身も、読む本がなくなることに対する恐怖症abibliophobiaがあると告白されていますね(笑)。
安藤 変な単語や恐怖症(phobia)の話は最初の本にも入れたのですが、シリーズ化しているんです。abibliophobiaは共感してくれる方がたくさんいるのではないかと思います(笑)。
あと、今回の本には入れられなかったのですが、defenestrationという単語がありまして、これは「窓から放り投げること」という意味なんです。『プログレッシブ』は語釈が面白いのですが、『プログレッシブ英和中辞典』では、《(人・物を)窓から投げ出すこと》とあって、物はわかるけど人を窓から放り投げるというのはどういうことなのかと(笑)。
たまたま別の単語を調べているときに見つけたのですが、ここから逆生成されてdefenestrateという動詞が作られているんです。これだから紙の辞書を私は推奨するのです。電子辞書やインターネット上の辞書では、目的の単語しか表示されないので、こういう発見がありません。
ゴダイゴと英語学習
――安藤さんは中学高校時代にゴダイゴに心酔して、外国に行かずに英語を習得しようと決心されたそうですね。
安藤 中学校で英語を勉強し始めた頃にゴダイゴが一世を風靡していて、勉強という意識はなかったのですが歌詞を覚えてなんとなく歌っているうちに英語の成績が妙に伸びてしまった(笑)。そこで英語に興味を持っていなかったら、おそらく英文学の道に進んでいなかったと思うので、ゴダイゴと中学の英語の先生のおかげですね。中学一年生で英語の先生と相性が悪かったらその時点で英語の印象が決まってしまうので、中学校の英語教師は大変だと思います。
――「日本のテレビドラマに見る英語教師像」(第四章)では、『飛び出せ!青春』など懐かしいドラマの名前が出てきて、主人公は英語教師だったのかと初めて気づきました(笑)。
安藤 変なキャラクターの教師はたいてい英語教師なんです(笑)。帯の推薦文を書いてくださった作家・言語学者の川添愛さんも「思いあたるふしが多かった」とメールに書いてくださっていたので、意外と普遍的なイメージなのかもしれません。
名作が生まれる背景/これからの英文学
――二〇二三年には、ご専門の英国児童文学についての論文をまとめられた『なぜ英国は児童文学王国なのか』を刊行されています。『不思議の国のアリス』『ナルニア国物語』『ハリー・ポッター』など、時代背景や歴史、風土との密接な関係、作家性といった観点から、作品世界を精緻に読み解いておられます。既知の作品においても、新たな気づきが得られ、作品を再読したくなる論集でした。ペネロピー・ライヴリー、マイケル・モーパゴウなど、読んだことのない作家の作品も多かったのですが、『チャーリーとチョコレート工場』を書いた大家ロアルド・ダールと交流があったというマイケル・ロウゼンのエピソードも心に残りました。
安藤 この本にはいくつか邦訳されていない作品も取り上げていますので、本書をきっかけに日本でもこれらの作品を知ってもらいたいという思いもあって書きました。研究者や英文学に興味のある人だけでなく、一般の読書好きの方にも読んでいただければと思って書いたんです。英国の児童文学の特にファンタジー作品についての考察をこのようなかたちで本にできたことはよかったと思います。
――今後のご研究や今注目されていることは何でしょうか。
安藤 私の専門の児童文学では背景を重視した作品研究などを続けているのですが、それとは別に、庭を中心としたイギリス文化史のようなことも並行して研究しています。今後も継続してやっていきたいと思うことですが、文学論とか文学研究みたいな話を世間一般の本が好きな人とか英文学に興味がある人、英語の好きな人に向けてなるべく広く敷衍したいという思いがあるんです。今、世間一般の人々があまり本を読まなくなってきて書店も潰れていますのですごく危機感を感じています。本が好きな学生を一人でも増やすことと、既に本好きの人に、より興味を持ってもらうための基礎知識、雑学的なものをどんどん増やして、文学でも歴史でも比較文化でもいろんな角度から楽しめるようになってほしい。そのための活動を続けていきたいなと思っています。
トリヴィア(trivia)「些細な[つまらない]こと、小事」
――最後に、最新トリヴィアを是非!
安藤 〇から一〇〇までの整数を算用数字ではなく英語の綴りで書くと、Aを一回も使わないというトリヴィアを最近、偶然知りました。本当かなと思って実際に書いてみると、one、two、three……と、確かにAが一回も出てこない。しかもこの話はアメリカ英語に限定にすると、九九九(nine hundred ninety-nine)までいける。イギリス英語だと一〇一(one hundred and one)でAが出てくるのですが、アメリカ英語はandを入れないことが多いので、一〇〇〇(one thousand)で初めてAが出てくるのです。
――それはトリヴィアですね! 本日はありがとうございました。(おわり)
★あんどう・さとし=明治学院大学教授・英文学・児童文学・英国文化。主な著書に『ファンタジーと英国文化』『英国ファンタジーの風景』『英文学者がつぶやく 英語と英国文化をめぐる無駄話』『なぜ英国は児童文学王国なのか』など。