撮られる女/撮る女
斉藤 綾子著
関根 麻里恵
まさに待望の書である。本書は、ローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」(1975年)の翻訳を筆頭に、長年日本のフェミニズム映画批評を牽引してきた斉藤綾子が1992年から2024年までの間にさまざまな媒体で発表してきたテクストをまとめた(日本語では)初の単著だ。今でこそ日本でフェミニズムの視点やジェンダー・セクシュアリティの視点から映画を批評することは珍しくない。むしろ、盛んに扱われるようになったともいえるだろう。しかし、本書のまえがきにも書かれているように、1990年代前半の時点でフェミニズム映画理論やフェミニズム批評は日本にほとんど紹介されていなかった。奇しくもその役割を担ったのが斉藤だったわけだが、斉藤の仕事なくして現在の日本の映画批評状況はなかったといえよう。
本書の構成は、フェミニズム映画理論やジェンダー表象分析といった理論的な文章がまとめられた第1部「映画とジェンダー」、女優と女性監督についてのエッセーがまとめられた第2部「撮られる女/撮る女」、映画評が中心の第3部「スクリーンとの対話」の3部構成となっている。最初から通読することはもちろん、自分の関心や習性に合わせて読み始める地点を選択することも可能だ。例えば、フェミニズム映画批評全般に関心がある読者であれば第1部から、女優や女性監督が好きで、彼女たちについて関心がある読者であれば第2部から、普段から映画のパンフレットなどを購入し読む習慣がある読者であれば第3部から、といった具合に。
さて、そんななかでも肝となっているのが――本書のタイトル「撮られる女/撮る女」が冠されていることからもわかるように――第2部である。この部について「女優と女性監督についてのエッセー」と先に説明したが、人によってはわざわざ「女」とついていることに違和感を覚えたかもしれない。というのも、近年では性差をなくす目的や有標化を避けるために「俳優」や「監督」を用いることが推奨されているからだ。しかし、斉藤も凡例として示している通り、男性中心主義的な映画界のなかでサヴァイヴするために矜持を持って「女優」を名乗った女性たちの存在をなかったことにしたいため、そして、今もなお男性中心主義的な構造が強固にある状況を示すための戦略的本質主義の有効性を信じて本書では「女優」が用いられている。おそらく、「女性監督」を用いる理由についても同様であろう。こうした戦略は、近年刊行された女性映画監督や女性が描かれる映画についての書籍にも通底するものである。
冒頭で触れたローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」において明らかになった「男性のまなざし(male gaze)」概念──男性は見る主体であり、女性は見られる客体であるというジェンダー非対称の力学――は、今もなお有効なものとして用いられている。実際、ニナ・メンケスが発表したドキュメンタリー『ブレイン・ウォッシュ セックス-カメラ-パワー』(Brainwashed: Sex-Camera-Power, 2022)においても、映画作品のみならず映画業界におけるジェンダー非対称の強固さを膨大なサンプルとともに示している。しかし斉藤は、その事実を引き受けつつ、女性たちがそうしたまなざしに一方的にさらされ続けてきたわけではなく、それに対する(不可視化されてきた)抵抗の実践や読み/批評の可能性について丹念に記述している。特に、「ヒッチの陰に女性あり──ハリウッド幻想を逆手にとるヒッチコックの女性たち」(118-124頁)はマルヴィの分析を批判的に読むことが可能であるし、「アリス・ギイはなぜ映画史から忘れられたのか──『映画はアリスから始まった』」(195-202頁)では、映画の歴史が最初から女性の存在を抹消し、男性の歴史(his-story)として作り上げられてきたのかを痛感させられる。
どのテクストも歯応えのあるものであることに変わりないが、読みやすさが勝るのは斉藤の実存がテクスト全体に滲み出ているからかもしれない。学術的なテクストの場合、それが「主観」的なものとして推奨されないこともある。しかし、斉藤もいうようにフェミニズム批評には「個人的なことは政治的なこと」というスローガンは切っても切り離せない。「常に意識していたわけではないものの振り返ってみれば、映画研究者としての私の立ち位置は「ある映画がどうしてほかの映画より圧倒的に自分を動かすか」という個人的な問題から出発していたように思うからだ」(108頁)。個人的な問題から出発したテクストには、血肉の通った生っぽさが感じられ、情動が喚起される。
本書ははからずも斉藤の定年退職の年度に刊行された運びになるため、斉藤がこれまで積み重ねてきた仕事の一つの区切りのような立ち位置になる。とくに後進として斉藤の後ろ姿を追ってきた(評者含む)研究者たちにとって、本書がフェミニズム映画批評の可能性をさらに広げてくれるものだと信じられる支柱となるだろう。そして、本書をもって斉藤からのバトンを引き継ぐ未来の研究者が生まれることを願ってやまない。(せきね・まりえ=早稲田大学ほか非常勤講師・表象文化研究)
★さいとう・あやこ=明治学院大学教授・映画研究・ジェンダー表象・フェミニズム映画理論と批評。編著に『映画と身体/性』、共著に『横断する映画と文学』『戦う女たち 日本映画の女性アクション』、共編著に『男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望』『映画女優 若尾文子』など。一九五七年生。
書籍
| 書籍名 | 撮られる女/撮る女 |
| ISBN13 | 9784787274823 |
| ISBN10 | 4787274821 |
