2026/02/06号 3面

この国の農業のかたち

この国の農業のかたち 神門 善久著 山下 東子  冒頭から著者は、農林漁業には「徳川システム」が向いていると唱える。「ええっ、江戸幕府?」と不意打ちを食らうのだが、要は農林漁業の資源管理には、生産者間での発意に基づくボトムアップシステムが望ましく、江戸時代には地域資源は地元住民が主体的に共有・共同管理してきたため、これをもって「徳川システム」と名付けたということらしい。明治維新以降、戦時をはさんだ規制の変遷をていねいにたどりつつ、著者はいったん中央集権的なトップダウン型に移行したシステムもまたボトムアップ型に回帰しており、それこそが望ましい管理方法であると説く。  とはいえ、農地中間管理機構の法改正――著者は強権化という――、林業センサスの簡素化――著者は劣化という――、漁業法改正――著者は改訂という――、などの近年の制度変更――ここは著者に倣って改革といわず変更といっておこう――により、農林漁業すべての分野で「国による巧妙な社会支配」が進んでいると警告する。臆病で自己責任を負いたくない研究者がこの方向に同調すると嘆く。  4つの省府庁で審議会委員を務めた評者は、御用学者とのそしりをまぬかれないことを自認したうえで反論する。「国が強権で社会を支配」しようとしているという著者の指摘には疑問を禁じ得ない。小さな政府と市場の参加者による自主運営を理想とする著者の考えは新古典派経済学に通じるものがあり、評者も大いに賛同する。しかしそれだけではどうしても立ち行かないという、「市場の失敗」が生じたときには、国や自治体が調整に乗り出さざるを得なくなる、というのが評者の見立てである。  行政機関は常日頃から、改革を求める世論や業界、政治家からの圧力にさらされている。その圧が無視できないほど大きくなったとき、言いかえれば「市場メカニズムはもう限界だ」と感じたとき、ようやく制度変更に乗り出す。その臨界点がどのあたりにあるかについて、著者と評者が、そしてあらゆる人々が異なる尺度を持っているために意見が分かれる。こうした政策論議を誘起するのが本書の狙いだとしたら、読者はその挑発にまんまと乗せられるにちがいない。  政策論議以外にも、本書には興味深い点がいくつもある。ひとつは、農業=食料生産のための産業、という固定観念を取り除いてくれる点だ。著者いわく、農林漁業は衣食住を支えてきたのに、いつのまにか衣と住の素材として使われなくなり、この産業から追いやられている、と。確かに家を造ったり布を織ったりする原料は農林業から調達されている。ワイシャツの貝ボタンなど、漁業だって衣に貢献しているではないか。そのため、農林漁業を復活させるカギは衣と住にあるという著者の主張は、この国の目指すべき農林漁業のかたちを探るうえでの明快な道標である。いまさら衣食住のすべてを農林漁業だけで賄うことはできないとしても、農林漁業が今なおわれわれの衣と住にも欠くことができない存在であることを、本書を通じて再確認させられる。  AIがこの産業に何をもたらすのかという議論もまた興味深い。AIは分業化されてしまった農業生産工程を再び結束させてくれる点、意思決定という困難な経営判断を担ってくれる点でメリットがある一方、遺伝子組み換えや培養肉など、人間ならば直感的に押し止めようとする力が働くような分野へも、AIならば躊躇なく突き進むという怖さもあると説く。  本書のところどころには、著者よりすぐりの優れた農業者、林業者、食品加工業者による実践例がちりばめられており、それが難しい話に程よい息抜きを与えてくれている。読み進めるにつれ「こんな暮らしがしたいな」とか「この方の生産物を買いたいな」という憧れに、読者は強く駆り立てられるだろう。自然とともに暮らし、自然の恵みを享受して共に生かされる豊かな日々がそこにある。これこそが著者の描く「桃源郷」であり、AIが創り出してくれる「疑似桃源郷」とは異なるものであることを、本書は読者に教えてくれる。(やました・はるこ=大東文化大学特任教授・水産経済学)  ★ごうど・よしひさ=明治学院大学教授・経済発展論・農業政策論。著書に『日本の食と農』『日本農業への正しい絶望法』など。一九六二年生。

書籍

書籍名 この国の農業のかたち
ISBN13 9784623099559
ISBN10 4623099555