写真
タカザワ ケンジ
今年は戦後八十年。東京都写真美術館の「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」展は写真の証拠能力を生かした展覧会だった。中国新聞社の写真部員、松重美人が原爆投下当日に撮影した写真は、フィルムの傷さえも歴史を物語るようで生々しい。ほかの新聞社のカメラマンたちも数日後に広島に駆けつけ取材撮影を行ったが、GHQに写真ネガの提出を求められ、自宅に隠したというエピソードがある。彼らが苦労して守った写真たちを新聞社の後輩たちが受け継いだからこそ、いま私たちが見ることができるのだ。展覧会図録は完売し、関心の高さがうかがえた。
このように、写真の本質的な役割は記録であり、次の世代に渡すことにある。土田ヒロミはまさに写真の役割をまっとうしている写真家である。今年刊行された二冊の写真集『Hiroshima Monument』(ふげん社)、『Hiroshima Collection』(NHK出版)は、土田が長くテーマとしてきたシリーズの決定版で、場所と遺品から広島の戦禍と戦後の痕跡が記録されている。日本の戦後を考えるための貴重な作品だ。
原爆投下から一カ月後、朝日新聞社のカメラマン、松本栄一が、草木も生えないと言われた被爆地にカンナの花を見つけ撮影した。その逸話をもとに作品を制作したのが美術家の戸田沙也加である。戸田はカンナの花の鉢植えを東京の各所に置き、撮影し、絵画と映像を加えた「沈黙と花」(横浜美術館)を発表した。時と場所を越えてカンナの花をリレーすることで、戦争の惨禍を忘れないというメッセージを伝えようとしたのである。
勝又公仁彦の『Remains』(赤々舎)もまた戦争への持続的な関心から生まれた写真集だ。被爆樹を夜間に撮影したシリーズで、幻想的な作品だ。人間以外の視線を意識させることで、ジャーナリズムとは別の視点で戦争を表現している。
太平洋戦争中に戦争画を描き、戦後はその責任を追及され、フランスに拠点を移した藤田嗣治の展示(東京ステーションギャラリーほか)も今年の収穫である。「絵画と写真」と題されたこの展示では、藤田が写真を絵画制作に役立てていたことを紹介する一方、カメラ雑誌に発表した写真を展示した。戦後、フランスに帰化した藤田が、日本の写真家、木村伊兵衛のすすめで日本のメディアに写真を発表したものだ。その心境はどのようなものだったのか。答えはないが写真には藤田の撮る楽しみが率直に表現されていた。
神奈川県立美術館葉山の上田義彦展「いつも世界は遠く、」(同名写真集が赤々舎刊)は写真家の四十年にわたる軌跡。上田は商業・芸術の垣根を越えて、ひたすら写真でしか表現できないことを追究してきた。約五〇〇点の作品からは、戦後の豊かな消費生活を謳歌してきたこの国が、何を得て何を失ったのかが読み取れる。写真は見るたびに読み取れるものが変わるメディアなのである。(たかざわ・けんじ=写真評論家)
