2026/02/06号 8面

国家神道と天皇制

対談=島薗進×磯前順一/島薗進編著『国家神道と天皇制 憲法・君主制・宗教』刊行記念講演会抄録
対談=島薗 進×磯前順一 神道と天皇と「日本」という国 『国家神道と天皇制 憲法・君主制・宗教』(東洋経済新報社)刊行記念講演会抄録  昨年11月、島薗進編著『国家神道と天皇制 憲法・君主制・宗教』(東洋経済新報社)が上梓された。近現代日本の君主制である天皇制と、宗教性のかかわりを追究した論文集だ。出版を機に、本年1月11日、東京・八王子市学園都市センターにて、編著者の島薗氏と宗教学者の磯前順一氏による刊行記念講演会「国家神道と天皇制を問い直す 宗教と国家の境界はいま、どこにあるのか」が行われた(主催・くまざわ書店八王子店)。以下、イベントの様子を抄録する。(編集部)  磯前 島薗先生のお仕事の簡単な紹介をさせていただきます。島薗進先生は日本を代表する宗教学者です。先生の国家神道論は世界的にも知られており、信教の自由という政治的問題と連関する国家神道とはどのような宗教なのか、ということを考えていらっしゃいます。戦後日本社会は、アメリカのプロテスタントによる宗教教団の保護理念としての政教分離に則っているとされるのですが、果たして国家神道は本当に政教分離に沿っていると言えるのだろうか。これが大きな問題として存在するわけです。  特に戦前、国家神道は国家の中心に位置していましたが、島薗先生は、戦後においても、国家神道と呼ばれるべき体制は存続してきたのではないかという懸念を表明されています。先生は、日本に住んでいる人たちの信教の自由や思想の自由といったものは、ちゃんと守られる状況にあるかという、大事な問いかけをしているのです。  島薗先生がふつうの学者と違うのは、宗教は社会の中でどのような意味を見出せるのか、ということを考えているところです。先生の研究の、国家神道研究と並ぶもう一本の柱としての死生学、また若い頃の新宗教に関する近代化論的研究、これらを通じて先生は、近代に生きる庶民の知恵と生活の力を伝えているのだと思います。人々が幸せに、心豊かに生きるためにはどうすればよいか、と考えながら学問をされてきたのです。こうした問題意識の中で、国家神道の問題を探る研究を進められて、今日に至っていると私は理解しています。  島薗 ありがとうございます。それでは本書出版の背景からお話しいたします。私は往時より、「日本人」の、日本語を話す人たちの精神文化の基盤を明らかにしたいという動機を持っていました。1970年前後、全共闘運動や学園紛争、ベトナム反戦などの時期に、こうした問題意識を抱くに至ります。戦後民主主義では間に合わない時代、それに代わる思想の基盤を探りたかったのです。当時、柳田國男や折口信夫、共同幻想論を提起した吉本隆明などがよく読まれていましたが、そんな潮流の中でも、やはり日本人の世界観を全体として見ていかないと、今起こっていることを深いところで捉えられないのではないかと考えました。  民衆史研究で最も大きな影響を受けたのは安丸良夫先生です。大文字の歴史学以上に、民衆の精神文化をしっかり捉えないと、政治的な現象も、学者や文化人が展開する議論も深いところでは理解できない。そう思い、新宗教研究を始めました。宗教は、一人ひとりの個人的な生き方を大きく支配するものであると同時に、社会全体の統合や価値意識にも通じています。だから、宗教を手掛かりにすることで、個人的な問題も、社会的な問題も視野に入ってくる。そうした展望があったのです。  ですが、研究を進めていく中で、歴史学も政治学も社会学も、宗教についての理解が浅い、という不満を抱えるようになりました。例えば統一教会の問題にしても、宗教が絡む政治問題になると、これらの領域の論者たちは大きく問題を捉えることを避けて、個別問題に限定して論じるように見えるわけです。それは、宗教とは何であり、どのような社会的位置をもつのかという問題を、日本の歴史の中で捉えることをしていないからではないかと思うのです。  20世紀のある時期までは、世界の近代化に従って民主主義やリベラリズムが広がり、全体としては世俗化が進行するという前提がありました。しかし、どうもそうではないらしいということが、70年代ぐらいから見えてきました。一方で、戦後民主主義の価値が揺るがされ、続いて社会主義の希望が後退し、他方、イラン革命、冷戦の崩壊、宗教勢力の顕在化が世界各地で見えるようになってきました。しかし、民主主義、立憲主義、基本的人権という三点セットが存立しているはずの社会では、国家が人々に過剰に介入することはないとされたわけです。マルクス主義の見方に従えば、封建制や絶対王政、開発独裁が民主主義を妨げていて、後進国は民主的な段階に到達していないのだと。  しかし、そうではない方向がありえます。先進国にも権威主義的傾向が目立ち、世界がもっぱら民主主義社会へと進むとは言えない現今の状況で、社会統合のあり方をどのように捉えればよいのか。そして同時に、戦前の日本と1945年の変革をどう見たらよいのか。その前後で宗教はどのような位置をもっていたのか。これがわかりにくくなっているのです。  具体的に言うなら、安倍元首相のように国体論をほのめかす政治家がおり、天皇の神聖性を尊ぶ日本会議というような勢力が日本にはあるわけです。それは、戦前の国家神道的なものにこそ日本の核があるのだとする考えと結びついています。安倍氏が日本の「美しい国柄」とよぶのは戦前の「国体」の言い換えです。そして神道儀礼を行い、伊勢神宮を祖神とする天皇や皇室への崇敬を強めようとする。そうなると、日本国憲法によって行われた政教分離とは何だったのか、という問題が浮上してきます。世界人権宣言が「当たり前」とするようなすべての個人の基本的人権を尊ぶという理念と、特定の礼拝様式や集団統合と結びつくような世界観を押し付けないという政教分離に疑いが生じている。こういう状況にあるのだと言えるでしょう。  磯前 今回の本において重要なのは、国家神道と国体論、そして神聖天皇の観念の関係です。この三つをセットにして考えると、近代の日本社会をその外側の社会との関係を踏まえて理解できるのではないか、というのが大きなテーマだったと思います。そして、国家神道という枠組みは、実は戦後も生き続けており、明治期とは違う形で再活動しているという、極めて大胆不敵な問題提起をされていました。  そして、1960年代末の学生運動の経験をお持ちの先生のお話からは、政教分離を一つの解答として奉じるマルクス主義的な合理性では、現象を十分に言語化できないという示唆を受け取りました。これが、島薗進という方の学問にとって、稀有な財産になっているのだと感じます。  エドワード・サイードは『知識人とは何か』(平凡社)で、目に見えないものに対して、現実との緊張関係を保ちながら、言葉でそれを明らかにしていくことこそが知識人の役割だと論じました。まさに先生には、言葉を通して、今起きている問題を吟味しようという気概があると常日頃から感じてきました。  磯前 さて、ここからは私の方からいくつか質問をしまして、島薗先生と皆さんの議論が戦後日本の歴史の中でどのような役割を持っているか、違う側面から尋ねてみたいと思います。  現在私は、国会図書館に所蔵されているGHQの占領文書を収集しています。GHQには民間情報教育局(CIE)という部署があり、ウィリアム・バンスやウィリアム・ウッダードといった人たちが働いていました。私の知る限り、ここでこそ「国家神道」という言葉が作られたのです。現在、国家神道は英語でState Shintoと呼ばれます。これはアメリカのプロテスタントであるD・C・ホルトムが、戦前期日本の神道体制を"state religion"や"national Shinto"と呼び習わしたのに由来します。アメリカ大統領トルーマンは、ホルトムの展開した議論を手紙に同封して、マッカーサーたちに送付しました。そして、日本の神道体制は国家的宗教という範疇で理解することができるから、まさしく政教分離違反であり、解体しなければならない、という指令を下したのです。  これに対して、被占領時に活動していた葦津珍彦という神道家が批判を加えます。彼は、先生の言葉でいう宗教右派が集結していた筥崎宮の血族でした。「国家神道」という言葉はアメリカ人が作った言葉である、そうでなくても東大の宗教学者・加藤玄智が1930年代に用いた特殊な術語に過ぎない、だから日本の神道政策を理解するのにふさわしくない、と主張するのです。なぜGHQなどが用いている言葉を私たちも使わねばならないのか、という問題について、どのようにお考えになりますか。  島薗 むしろ、葦津はGHQの「国家神道」定義に賛同していたのではないでしょうか。それに倣って、阪本是丸氏をはじめとした神道学系統の学者たちは、GHQによる定義を用いて議論しています。そもそもGHQがこの語を用いるようになった経緯としても、明治期日本の内務省で「国家神道」という言葉が使われていたのに準じているわけです。日本の法律用語としての国家神道は、ホルトム以前に存在していたわけですね。  磯前 島薗先生と見解を異にする東大の歴史学者・山口輝臣氏などは、「戦前には国家神道という制度自体がなかった」と論じているようですが、その点はどうですか。  島薗 当時は神社神道のことを国家神道と呼んでいたのです。つまり、狭い意味での国家神道ですね。この意味での国家神道は戦前からあったのであり、その用語をGHQも用いているから、これから自分たちもそれを使いましょう、というのが葦津の提案だったわけです。しかし実は、国家神道の中には宮中祭祀や教育勅語の神道に繫がる面が入っていません。また国体論といった要素を削ぎ落として、制度的な神社のみを国家神道と呼ぶものでした。  山口氏の批判は、そのように用法が定まらずに論争がある語を用いるくらいなら、国家神道という言葉を使うのは止めたらどうか、というものです。戦後に村上重良や憲法学者らによって国家神道と呼ばれてきたものに相当する制度は明治時代にはなかったから使わない方がよい、という議論も含まれているのではないかと思います。  磯前 なるほど。重ねてお聞きしたいのですが、島薗先生ご自身としては、「国家神道」という言葉で現実をきちんと捉えられているとお考えでしょうか。  島薗 戦前の「神道」という言葉には、明治時代以来の紆余曲折があります。今私たちが「国家神道」と呼ぶようなものを神道、あるいは国家(的)神道と呼ぶようになったのは、神道学者(宗教学をベースにした神道研究者)や神道界のリーダーたちで、すでに大正時代に力を持つようになっていますが、大方の神道論者がそうなるのは昭和になってからです。そこでは、教育勅語もその範疇に含むような、広い意味での国家神道に当たるものを神道と呼んでいました。しかし、戦後にそれを「神道」と呼ぶと具合が悪い。教派神道というものも存在するからです。GHQは教派神道と区別して国家神道を規定していますから、その意味でこの呼び名は自然なものだと思います。  ただし、GHQはその際、極めて意図的だと思うのですが、ここから天皇の神道儀礼は除外したのです。天皇の神道儀礼は国家的に行われてきたものでした。にもかかわらず神道指令がこれを切り離した事実は、戦後の神道と国家の関係においては非常に重要ですが、あまり注目されてこなかったのです。天皇が神道行事を行うことは国家的に意義深いとする考えが、国体論と結びつき、重い位置づけを持たされてきました。このことについてGHQは沈黙している。当時はまだ天皇の処遇も戦争責任も、天皇制の存置も決定していませんでした。その段階でとにかく、民間の神社と国家を切り離すことに集中したのです。  これについて、葦津珍彦は大いに憤慨しています。なぜなら、皇室の先祖は伊勢神宮であるにもかかわらず、民間の神社の代表が伊勢神宮だとされてしまうからです。それで、神社本庁など「皇室と神宮」の不可分の関係を重んじる側から、神道指令に対する反対運動が戦後一貫して組織されます。これが日本会議や神道政治連盟に繫がっていくわけです。  そこで、皇室祭祀と神聖天皇政権が非常に密接に結びついているわけですから、その問題に触れない神道論はおかしい、ということになります。  磯前 とはいえGHQが、1945年12月15日の神道指令で「国家神道と神社神道は相容れない」と規定したことも確かです。葦津の主張とはずれが生じているわけで、この点は今後さらなる議論が必要でしょう。  また、先生が以前より問題にされている天皇の神道性について。村上重良氏は『天皇の祭祀』(岩波書店)において「宮中祭祀は皇室神道である」と明言しています。島薗先生はこの流れを引いていらっしゃると理解してよろしいでしょうか。  島薗 はい。天照大神の祭祀ですから神道以外の何ものでもない。これは神道界の方々の信念でもあります。  磯前 実は、1945年11月19―20日、靖国神社の招魂祭において、アジア・太平洋戦争で玉砕した当時の日本兵たちを昭和天皇自らが祀っているのです。そして同月、昭和天皇はもうひとつ面白い動きをしています。全国御巡幸に先駆けて、いち早く明治神宮と伊勢神宮、そして明治天皇を祀った桃山御陵を訪れているのです。そして何より、これをまさにGHQがサポートしている。  そうした動きについて、GHQは次のような見解を残しています。「これは天皇家の祭祀である。だから私的なものである」と。この文書は、南原繁や岸本英夫といった一部の人間しか読んでいません。その岸本はかつて、アメリカのエドウィン・ライシャワーを教え子に持っていました。そしてライシャワーは国務省において、1942年の段階で、「昭和天皇は傀儡として使い、彼を残せばうまく日本を治められる」と進言しているのです。  これが、先ほどのご発言と合わせて決定的な指摘ですよね。天皇が靖国に行くと、天皇制に批判的な野党やアジア諸国は熱くなるのに、明治神宮や伊勢を参拝しても問題にならない。これは実は占領期に創られた状況なのだと思います。  島薗 今触れられた桃山御陵参詣の時期、それは神道指令の準備が進んでいる時期でもありますが、その少し後、GHQは人間宣言の準備をしているのです。天皇は残すけれども神聖化はさせない、そしてそれを天皇自身に言わせる。これは、国体護持、あるいは天皇制維持を願う日本側からも支持できるものでした。そうして、日本国憲法における象徴天皇制の地盤が整えられました。  その頃からアメリカは、共産主義に対抗するために、また占領を円滑に行うために、天皇を利用する方針に転換しました。そのため、天皇崇敬の篤い高級官僚や学者たちに配慮する形で、教育勅語の撤廃は遅れ、1948年となっています。彼らの路線で、戦後の国家神道理解が進められていった経緯が認められると思います。      *  講演の後、フロアから質問が上がった。〝憲法第一条の規定する天皇に宗教性は認められないのか〟という質問に島薗氏は、「憲法第一条は潜在的に、神道の国家的位置を認めていると考えざるを得ません。現在は世俗国家を理想視することのできない時代です。とはいえ、日本国憲法は、それが信教の自由や基本的人権を脅かさないつくりになってはいます。個人的には天皇制に共鳴しているとは言えませんが、読売新聞の2020年の調査では国民の81%、毎日新聞の2019年の調査でも74%が天皇制を支持しており、廃止を主張することにあまり意味はないと考えています」と答えた。  また、関連して磯前氏から政教分離への賛否を問われ、島薗氏は、「例えばイスラム圏で政教分離は西洋のそれとはだいぶ違うはずです。フランス流の〝宗教のない公共空間〟というモデルは狭いのではないかと思います。政教分離には賛成ですが、無宗教こそが目指すところだという考えとは異なります」と応答した。(おわり) ★しまぞの・すすむ=東京大学名誉教授・近現代日本宗教史・宗教理論・死生学・生命倫理。著書に『国家神道と日本人』『ともに悲嘆を生きる』など。一九四八年生。 ★いそまえ・じゅんいち=国際日本文化研究センター教授・宗教学・批評理論。著書に『新・学問のすすめ 研究者失格!』、共著に『占領期日本の政教分離と「信教の自由」』など。一九六一年生。

書籍

書籍名 国家神道と天皇制
ISBN13 9784492224328
ISBN10 4492224327