2026/07/10号 7面

映画時評・7月(伊藤洋司)

映画時評 7月 ガス・ヴァン・サント『デッドマンズ・ワイヤー』 伊藤洋司  画面の左手前でリチャードがトニーから渡された紙を広げる。右奥のトニーに焦点は合っていないが、彼が左腕のギプスのなかにそっと右手を入れる仕草が、同時に示される。次のショットは紙のアップで、そこには奇妙な仕掛けを施されたショットガンが描かれている。二人のショットに戻ると、今度は右奥のトニーにのみ焦点が合い、彼は右手にピストルを持っている。振り返って危険な事態に気づくリチャードのショット。トニーに切り返され、彼が左手を持ち上げると、こちらの手には紙に描かれたのと同じショットガンがある。トニーは不動産ローン会社に財産を騙し取られたと信じ込み、左腕にギプスをつけ、右腕に細長い段ボール箱を抱えて、会社に乗り込んだ。狙っていた社長が不在だったので、その息子で役員のリチャードを人質に取ることにしたのだ。このオフィスの場面で重要なのは、狂信的な犯罪者がギプスのなかからピストルを取り出す動作も、段ボール箱からショットガンを取り出す仕草も画面に映されないことだ。ガス・ヴァン・サントの『デッドマンズ・ワイヤー』のこの場面で描かれるのは、あくまで二人の視線のやり取りである。  ショットガンの銃身が短く切り詰められ、そこに人質用のワイヤーの輪がつけられ、引き金にも犯人用のワイヤーの輪がつけられている。このデッドマンズ・ワイヤーに二人の首が括りつけられれば、人質が逃げようとしても、犯人に危害が加えられても、引き金が自動で引かれて人質は死ぬ。映画の興味の一方の端に、この猟奇的な装置がある。もう一方の端には、狂信的な男の凶悪犯罪がメディアによって生中継され、事件をめぐり様々な意見が飛び交うという社会的な広がりがある。一九七七年に実際に起きた事件の映画化なので、ネットもスマホも登場しないが、それでも現代の状況に通じる不穏さが作品に漲る。ただし、映画の描写の核となるのは、猟奇的な装置でも社会的な背景や影響でもない。それはまさに二人の男の視線のやり取りである。例えば、映画で二人が最初に顔を合わせるのは会社のロビーだが、リチャードが現れた途端、その場にいる受付嬢の存在はオフの声で示されるだけになり、二人の男の切り返しだけで場面が進行する。映画を締め括るのも、窓越しに交差する二人の視線の切り返しだ。  トニーはリチャードを人質に取って、会社から自宅に移動し、自分の部屋に立てこもる。そんな二人の男の視線の物語として見ると、映画の後半におけるトニーの部屋での二人のテーブル越しの会話の場面が興味深い。リチャードは首にワイヤーを括りつけられている。カメラは二人をほぼ正面から捉える。その二人のショットが交互に切り返され、理解し合うことの不可能な二人が、映画のなかで一度だけわずかに心を開き合う。人質の問いかけに、「色恋もそれなりにあった」と語り出すトニー。「あの父親の子だと楽勝って訳じゃない」と人質が言うと、「その父親が角部屋のオフィスと社長の肩書をくれるんだろ」とトニーが返し、緊張が高まる。だが、母親の話になると、「いい母親だった。会いたいよ」と、トニーは胸を詰まらせながら言う。勿論、二人の憎しみは命ある限り消えないだろう。しかし、この場面の二人の視線の動きや表情を見ていると、心が締めつけられずにはいられない。  今月は他に、『黒牢城』『MOTHERLAND』などが面白かった。また未公開だが、ラモン・チュルヒャーの『ストレンジ・リトル・キャット』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)