ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 437
『カイエ』の「十人委員会」
JD 最近の映画批評家の記事には、趣味嗜好が欠けています。紡がれる言葉もそつなく起草されたものであり、書き手独自の見解や個性が欠けているように思います。右から左へ、似たり寄ったりの内容になっており、本当に面白い記事が少なくなっている。さらには、方向性が見つけられていない批評誌ばかりになっています。例えば、今日の『カイエ』は、迷子になっています。
HK 映画の歴史を考えると、趣味嗜好を共有する人々の集まりであったり、方向性の定まっていた批評誌の方が珍しい気がします。ヌーヴェルヴァーグ世代の『カイエ・デュ・シネマ』は、はっきりとした方向性を持っていましたが、その前身となる批評誌や後の世代はあまりまとまりがなかったはずです。
JD 言うなれば、ヌーヴェルヴァーグ世代ほどの目的をもった批評はほとんどありません。ヌーヴェルヴァーグは、はっきりとした目的を持っていました。それは、自分たちの映画を作るというものでした。私たちの世代は、当時作られていた映画や映画制作のシステムに不満があり、それに対する反抗を実行したのです。デュヴィヴィエなどの映画や脚本家による「良質」の映画が好きではなく、シネマテークで上映していた映画を好きであるという点において、共通するものがありました。
HK 各号の特集はどのように決めていたのでしょうか。
JD 私が編集に関わっていた時代においては、「特集」といった括りはありませんでした。『カイエ』には、伝統的に二つの部分がありました。ひとつ目は、各号の根幹をなす重要な箇所です。そこには、インタビューや映画に関わる時事問題、または映画についての考察などを掲載していました。フリッツ・ラングやニコラス・レイがシネマテークにおける特集のためにパリに来た際にはインタビューを行い、そのインタビューを掲載したりしました。カンヌ映画祭の開催時には、編集部から誰かが赴き、その様子を記事にすることも行なっていました。映画作家の書いた文章を掲載することもありました。『カイエ』の批評家による映画論の記事を単発的に掲載したり、ロメールのようにして長い映画論(「セルロイドと大理石」など)を数号にわたり掲載することもありました。
そうした記事が続いた後には、新作映画を取り上げる頁がありました。そこでは批評部の誰かが、新作映画に関して書きたいことがあれば書くことになっていました。毎号において、おおよそ四、五本の作品が選ばれていました。そこに選ばれる作品は、おおよそは『カイエ』内の批評家の誰かが興味深いと考えた作品です。もしくは場合によっては、批判すべきところがあると考えた作品です。いずれにせよ何かしら記事にするべきところがある作品が選ばれていました。
それら以外にも「十人委員会」というちょっとした欄が、毎号一頁だけありました。その欄は、編集部の批評家十人が新作映画に対して、「傑作」「絶対に見るべき」「見ても良い」「やむを得ないなら見ても良い」「見に行くだけ無駄」と五段階で評価を与える場です。まだ記事にされていない作品に対して、私たち『カイエ』の批評家がどのような評価をしているのかを〈民主的〉に伝える場でした(笑)。直接的に説明されなくとも、その欄を見れば、雑誌がいかなる編集方針を持っているか、わかる人にはわかるようになっていたのです。
HK 「十人委員会」の欄に関しては、昔の『カイエ』をアーカイブで漁っている際に、毎号楽しみに目を通しています。大体の号において、ドゥーシェ、ゴダール、ロメールといった評者が非常に手厳しいので、今日見返すと興味深く見えます。今日では巨匠とされている映画監督や名作とされている作品に対して、「やむを得ないなら見ても良い」や「見に行くだけ無駄」と容赦ない判断がくだされているからです。
JD 例えばどんな映画監督や映画作品に対してでしたか?
HK 晩年のセシル・デミルやルイ・マルなどは、毎度切り捨てられています。初期のキューブリックなども厳しい評価を受けています。
〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
書籍
| 書籍名 | カイエ |
