2026/03/20号 4面

東南アジアを学ぶ人のために

東南アジアを学ぶ人のために 中西 嘉宏・野中 葉編 師田 史子  東南アジアの入門書は過去にもたくさん出版されている。しかし多くが、各国の仔細な記述が豊かだったり、高度に専門的な章が並んでいたりして、東南アジアを何も知らない人が気軽に手に取るには少し敷居が高い。そんな中で本書は、東南アジアの現在をいい意味で広く浅く知るためにうってつけの本である。  まず、守備範囲が広い。どれだけ広いかと言えば、技能実習生から納豆、そしてとっとこハム太郎まで、と言えば伝わるだろうか。気候、脱植民地化、民族、若者、紛争、日本軍政期、経済成長、日本の東南アジアコミュニティといった十三の視点と八つのコラムから東南アジアを多角的に紹介する。教科書的なつまらない説明に留まらないのが魅力だ。各章が読み応えのある作品として完結している。特に第一章を飾る経済史などは読んでいるとスパイスの香りに包まれるような気分になる。コラムも侮ることなかれ。とあるフィリピン人女性が海を渡ってマレーシアに移住した経緯を辿る文章は思わずヒェッと声が出るほどだ。事実は小説より奇なり、知らない世界がまだまだあると突き付けられる。ちなみにこのコラムにはボウフラの湧いた水が出てくるシーンがあるのだが、インドネシアの海民を調査している執筆者のコラムにも同じくボウフラの湧いた水が出てくる。こうした期せずして発見するつながりから、海、山、川、平地が入り組みモノと人が古くから往来する東南アジアの情景を想像することもできる。  エキゾチックで貧しくて猥雑、といったイメージを東南アジアに抱く人は依然として多いだろう。そんなステレオタイプを丁寧に解体していく役割も本書は担っている。例えばジェンダーの章では、イスラームの規範を重んじながら在宅で起業を目論む女性たちが描かれる。ビジネスの章では、生産拠点から市場へと発展する東南アジア経済が日本経済を凌駕する勢いにあることがうかがい知れる。民主主義が揺らぐ政治情勢や、宗教間の共生の作法を描き出す記述からは、東南アジア特有の歴史的背景と、現代のグローバルな課題が交差する様が浮かび上がる。日本と東南アジア、どちらが時代の最先端を走っているのかという問いに価値はほとんどないとは思うが、かつて様々な面で不均衡だった日本と東南アジアの関係性が今日、大きく変動していることは確かだ。私たちの生活や社会を考える上で東南アジアの現状や社会構造から学べることがより一層増えているという事実を、本書は示している。  例によって例のごとく、東南アジアは多様性に溢れているという前置きで本書も始まる。東南アジアに属する国家は現在十一か国もある。大陸部と島嶼部にまたがる広大な地域であり、それぞれの土地の自然環境や政治経済的な変遷、現在の社会状況は似通った点もあれば大きく異なる部分もある。だからこそ、東南アジアというくくりで概説書を作ることの苦労も垣間見える。なくなく採用を見送ったテーマもあっただろう。取り上げられている国と地域に偏りがあるのも否めない。インドネシアを主な舞台とする章が多く、ラオスや東ティモールはほとんど登場しない。しかしこうしたアンバランスさも、東南アジア域内における各国の人口比率や多方面でのプレゼンスの高さ、そして日本の東南アジア研究者の現時点での勢力図を表していると捉えれば、また面白い。  本書を通底するメッセージの一つは、既存のカテゴリに収めようとするとうまく理解できない事態が東南アジアには満載である、ということだと勝手に受け取った。民族や国家の枠組みをはじめとして、分類すればたちまち漏れ出る何かがあるような、まさに多様性に満ちた動態を追い続ける研究者たちの最新の知見が、本書には贅沢に詰まっている。近くて遠い東南アジアの人々や社会とは一体どんなものなのか、気になる方にはまずこの本から始めることをお勧めしたい。「もっと知りたい」と足を止める一文にきっと出会えるはず。(もろた・ふみこ=京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教・文化人類学・フィリピン地域研究)  ★なかにし・よしひろ=京都大学東南アジア地域研究研究所教授・政治学・東南アジア地域研究。著書に『ロヒンギャ危機』など。  ★のなか・よう=慶應義塾大学総合政策学部准教授・インドネシア地域研究。著書に『インドネシアのムスリムファッション』など。

書籍

書籍名 東南アジアを学ぶ人のために
ISBN13 9784790718048
ISBN10 4790718042