2026/02/13号 6面

時空の哲学と現代宇宙論

著者インタビュー=藤田翔著『時空の哲学と現代宇宙論』
著者インタビュー!  京都大学で〝物理学の哲学〟を研究している藤田翔氏の『時空の哲学と現代宇宙論』(名古屋大学出版会)がこのたび刊行された。一般相対性理論からループ量子重力理論に至る現代理論物理学の世界像を、哲学的に吟味した一冊だ。出版を機にお話を伺った。(編集部)  ――藤田さんは修士課程まで理論物理学プロパーの研究者で、博士課程から科学哲学に転身されたと伺っています。どのようなお考えから専門を移されたのでしょうか。  藤田 高校生の時分から、宇宙、天文、素粒子といった物理学的テーマに漠然とロマンを感じていました。大学で学んだ物理学は実際とても面白かったのですが、他方で何か「概念的なもの」に心惹かれる自分がいるのにも気が付きました。時間や空間そのものとはそもそも一体何なのだろう、という問いですね。学部三・四年生の頃でした。そうした疑問に対し、物理学のなかでもとりわけ基礎的と言える、宇宙論や相対性理論を突き詰めていくことで答えにたどり着けるのではないかと考え、宇宙系の理論分野に進みます。当時は、のちに哲学へと向かうことになるとは思いもしていませんでした。  しかし、修士二年に進んで、具体的な専門を選ぶ段になっても、物理学研究への実感が湧いてきませんでした。宇宙論には相変わらず強い魅力を感じる一方で、伝統的な物理学の先行研究には何とも言えぬ窮屈さを感じました。物理学は、基本的には積み上げられてきた物理学的な概念を前提として、そこにプラスアルファを追究する学問です。でも、自分の興味はその中で生かされないように思われたのです。勉強不足も相俟って、自身の方向性を見出せぬまま、修論はやや投げやりに、位置天文学と呼ばれる分野のデータ解析に関する研究で提出しました。志の高い周囲と比較して自分の立ち位置もわからなくなる中、思い切って物理以外の道を探し始めたのがその年度の終わり頃でした。  哲学に居場所を見定めたのは、基礎的な概念を考えるなら、哲学こそがそれにふさわしい分野だと素人ながらに直感したからです。当時京都大学にいらっしゃった伊藤邦武先生の『パースの宇宙論』(岩波書店)と『ジェイムズの多元宇宙論』(同)をたまたま大学生協で手に取って、そこで初めて、哲学でも科学的なトピックを扱えるんだと知りました。自分がやりたいと思っていた、科学的知識を生かした哲学ができるんだと希望を持ったのです。  ――本書は、理論物理学の数学的な宇宙像を、直観的で哲学的な描像へと橋渡しをするような、一種のサイエンスコミュニケーションを行う本です。  藤田 はい。物理学的な宇宙論において、一般相対性理論は古典的体系としては非常に鮮やかかつ根源的な理論だと言えます。物理学者たちは、根源的な時空描像を概念的に理解する際にこれを用いてきました。しかしながら、これを自然言語にしようとすると、大変曖昧な形で説明されることが多いのです。数学的な説明と物理学的な説明、抽象的な次元と具体的な次元を混同してしまうことがある。今の科学の危ういところです。  これに対する批判を、哲学的な観点から提起できたのが、本書の一番の収穫でした。宇宙の始まりはどうなっていたのだろう、空間はどうやって生じるのだろうといった、子どもが考えるような素朴な問いに対して、空間は無からポンと出てきたなどというような、安直な発想から回答してはいけない。そのことに、専門的で抽象的な知識体系ではなく、哲学的な論考で迫ることができたわけです。  ――本書の中核的な主張は大きく分けて二つ。宇宙の膨張を説明するのに「空間そのものが広がっている」というのは正確ではないということと、宇宙開闢と共に時空が初めて誕生したと確言することはできないということでした。  藤田 おっしゃる通りです。本書は、時空の局所的な幾何学的特徴=重力場による歪みの計測値である「計量metric」が示す構造を唯一の実在と考える「時空構造実在論」の立場を取ります。この理論では、時空の実体説(物体に依存せず時空は独立して存在する)と関係説(時空は物体同士の関係によってのみ生じる)がラディカルに折り合わされています。計量という独立した存在を措定していながら、それは時空点同士の織りなす関係によって定まるからです。 これによると、時間は空間と並ぶ四次元時空の一要素であるために、任意の空間点の通時的同一性は認められません。ゆえに「空間点同士が時間と共に互いに遠ざかる」という意味で、空間が膨張しているという単純明快な描像が成立しません。そのため、「空間が膨張している」という説明は、現代宇宙論においては正確ではないのです。  ――宇宙は膨張していても、空間自体はそうではないということですね。  藤田 宇宙に存在する物体が広がって、「宇宙」と呼ばれる範囲が拡大していることは、観測事実から疑いありません。しかし、それは空間が膨張しているわけではない。そのように見えるのは、「共動座標系」と呼ばれる数学的モデルに即しているからです。しかし、一般相対性理論においては、座標系を任意に設定することができるので、「共動座標系」は、無数に考えられる空間の捉え方の1つに過ぎないのです。  そして一般相対性理論は、宇宙をマクロな視点で捉えるものですが、宇宙は誕生時には極めて小さい規模で展開します。そのため、誕生時の宇宙を捉えるには、一般相対性理論では扱えないミクロなレベルで考える必要があります。それを表現するのが量子重力理論です。本書ではループ量子重力理論を採用しています。一般相対性理論におけるマクロな時空の構造と、ループ量子重力理論におけるミクロな構造、すなわち空間の原子として剔出されたスピンネットワークと呼ばれる構造を比較することによって、宇宙誕生時の時空像に迫りました。 わかったことは、両者の構造が十分な対応関係にないために、後者の構造がマクロな時空間の起源を描写できてはいないということでした。実際に、宇宙誕生によって物質が存在するようになる以前から、「からっぽの空間」、つまり物体のない状態においても計量は定義可能なので、その意味で宇宙の始まりが時空の始まりであると言うことはできません。そして、計量的な時空構造とスピンネットワークの構造の間には、あまりに大きなギャップがある。それゆえ、両者はある程度独立なもの、少なくとも空間原子から空間そのものを構成するには何らかの創発が起こっていると考えていいと結論したわけです。  ――本書において、「哲学」とはどのような営みを指しているのでしょうか。 藤田 端的に言えば、科学と何らかの相互作用を築いて、新たな知見を得ることのできる活動ですね。現在は対極的なものと見做されてしまっていますが、もともと科学は哲学から分岐して成立した学問でした。現在、物理学は行き詰まりに逢着しています。それは、世界への形而上学的な解釈をおざなりにして、抽象的な数式に惑わされ、自然科学者が世界観の共通認識を持てていないからだと思います。そのため、「物理学の世界像を哲学的に解釈するとこのような描像が得られますよ」と物理学者に対して発信することは、物理学の哲学の本懐ではないかと考えています。 今回の探求で私が提起したのは、長年暗黙の前提とされてきた四次元時空についての捉え方への批判です。時空間を前提としないスピンネットワークの世界像は、時空概念に縛られない物理現象を示唆するものに他なりません。誰もが当たり前に考えている世界像とは異なる、抽象的な事態こそが、物理世界においてはよりファンダメンタルなのです。そうした描像へとパラダイムシフトする特異な発想が、哲学には求められているのではないでしょうか。      (おわり)  ★ふじた・しょう=京都大学大学院文学研究科特定研究員・科学哲学。京都大学大学院理学研究科修士課程を修了後、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程を修了。博士(人間科学)。一九八六年生。

書籍

書籍名 時空の哲学と現代宇宙論
ISBN13 9784815812188
ISBN10 4815812187