あなたに訊きたいことがある
レベッカ・マカーイ著
大宮 勘一郎
複雑な生い立ちから寄宿学校で高等教育を受け、卒業後二十数年を経て映画研究者として評価を得ている「私」=ボディ・ケインが物語る。在学中に起きたルームメイトの殺人事件について冤罪を疑う声がSNS上で高まっているなか、彼女はポッドキャストと映画論の短期教育プログラム講師として母校を再訪する。被害者サリアが白人「美少女」であるのに対して、容疑者オマーは事件当時の校内では数少ない黒人で、体操トレーナーをしていた。自白をもとに有罪判決を受けた彼は、すでに二十年以上収監されている。第一部は授業課題のポッドキャスト制作で、一九九五年に起きたこの事件を扱う生徒たちが、調査を進めるにつれ冤罪説に傾斜してゆく過程と、たった二週間の母校滞在をきっかけに過去の記憶と向き合うことを強いられてゆくボディの変化を軸に物語られる。彼女の変化は内的なものだけではない、#MeToo運動の標的となった別居中の夫を(酩酊しながら)弁護し、SNS上で十字砲火を浴び、ネットワーク上の評判もいったん失う。こうした変化の中で、「あなた」と呼ばれる元音楽教師ブロックの姿が、彼女の内面で徐々に浮かび上がってくる。彼がサリアに巧妙に懐かせていた情緒的な依存心が事件と深く関わっているのだと、回想の過程で確信を募らせてゆく。第一部に比して短めの第二部においては、ボディの助言のもとで制作され公開された、この事件に関する生徒たちによるポッドキャストが世間的関心を呼び、非常救済手続き申立が受理されている。その経緯と顚末は「謎解き」に当たるのでここでは伏せておく。
右に述べたとおり、本作は犯罪ミステリーの体裁をとりながら、記憶の歪曲作用および自分自身と出会うことの困難、性にまつわる権力勾配の告発、根絶しがたい人種的偏見、さらにエイジング・クライシスといったいくつもの要素が複合的に絡み合った小説である。娯楽小説の要素にも事欠かない。また、作品のこうした複合的な構成の基盤をなすのはデジタル・ネットワークである。ミステリアスな謎も学友たちの消息も差別批判も、もちろん#MeTooも、SNS上で取り交わされた情報として徐々に明らかになるが、それだけではない。小説の構成にとってより重要なのは、あれこれのコンテンツよりもむしろ、それらがノイズを発しながら果てもなく拡散を繰り返すという、メディア自体に固有な性質である。その回路や機構は、末端の利用者たちを否応なく絡め取ってその一部としてしまう。そこでは加害と被害の区別さえ曖昧となるが、他人をして語らしめ、自らは決して語らぬ者こそが真の加害者であり、自分自身の声を奪われ、沈黙を強いられている者こそが真の被害者なのである。ボディが映画研究者としていったん成功を収めるのも、その地位から転落するのも、どこまでもメディア内的な出来事である。そこで出来上がっては壊されるメディア内的人格が生身の、つまりメディア以前的な彼女の人格と齟齬をきたしながら、彼女の自意識を形作っている。ゆえに彼女が老いを自覚するのも、二〇一八年時点で四〇歳という実年齢よりは、むしろデジタル・ネイティヴたちとのメディア環境への対応力や感受性上のギャップを誘因としている。
ボディは「あなた」を追い求め、事件の真相解明にのめり込み、私的制裁に踏み出すことさえ時に厭わないが、その動機は、オマーの冤罪とサリアの無念を晴らすという正義感だけではない。ボディをより強く突き動かしているのは、彼女自身の中にも巣食っているサリアと同じ情緒的な依存であり、これが陰性に現れ出ているのだ。この厄介で矛盾する心理のために彼女は、一方で課題制作にこの事件を扱うのを躊躇う生徒をつい促してしまいもすれば、他方、第二部ではネットワーク上で消息を摑まれかけている「あなた」への「忠誠心」の「欠片」を自覚し、逃げ延びを祈りもする。
ボディには、自分が寄宿学校時代以来、周囲の人々や世界をいかに見誤っていたかが、事あるごとに突きつけられる。第一部ではリサーチ好きを自認し、世界のマッピングに安心を得ていたと述懐している彼女だが、その都度詳しいがかなり歪んだ地図を作っていたことがわかる。彼女は真相の周囲を経巡るところまでは行くものの、決して的を射ることがない。これは能力の問題ではない。彼女には、的を外す磁力が常に働いているのであり、これに苛まれているのである。いかにも不安定で統一を欠く、傷だらけの一人称の語りは、出来事の複雑さに対応しており、採用には必然性がある。ゆえに注意深い聴き取りが求められるが、すると「訊きたいこと」は読者にも生じるだろう。答えられるのは、そもそも「あなた」なのだろうか、と。(中谷友紀子訳)(おおみや・かんいちろう=東京大学名誉教授・ドイツ文学)
★レベッカ・マカーイ=作家。シカゴ近郊に育つ。著書に短編集『戦時の音楽』、The Hundred―Year House(シカゴ作家協会最優秀長編小説賞)、The Great Be―lievers(全米図書賞とピュリツァー賞の最終候補作)など。一九七八年生。
書籍
| 書籍名 | あなたに訊きたいことがある |
| ISBN13 | 9784163921198 |
| ISBN10 | 4163921192 |
