2025/04/11号 3面

精神・医学・宗教性

精神・医学・宗教性 小林 聡幸編 小池 靖  「臨床現場……において、宗教をどうとらえ、どう対峙していくべきかを考えたい」との趣旨のもと(一七頁)、七名の編著者たちによって書かれたのが本書である。すべての章は宗教ないしスピリチュアリティと精神科臨床との関連を論じている(全十章)。  カトリックの「宗教二世」であるが、自身の自覚としては現在は信仰を持っていないと言う編者の小林聡幸が「はじめに」と四つの章(宗教と科学、統合失調症、強迫症、ヒューマニズム)を執筆している。その他、スピリチュアリティ概念(森口眞衣)、てんかん(深尾憲二朗)、暴力(小島秀吾)、癒しと宗教(野間俊一)、治療と宗教(佐藤晋爾)、コミュニタス妄想(大塚公一郎)についての章があり、話題は多岐にわたっている。  一読した印象は「まるで昭和の一般教養講義のようだ」というものであった。精神疾患、特にその幻覚的・妄想的側面と、近代以前の宗教性や神秘体験との類似性自体は、古くから論じられてきたものでもある。各章で様々な先行研究から整理されるその類似性については「勉強になった!」とは思えるものの、目新しさはさほど感じられない。  では精神病理的な妄想は、いかなる意味で宗教に似ているのか。たとえば統合失調症の患者には「ある使命を与えられたという妄想性信仰、自らをキリストとする宗教的誇大観念……自分が悪魔であるとか、地獄にいるなどと言う抑うつ型妄想観念」が見られることがあるという(九一頁)。  つまり「宗教とは適応的な妄想システム」ということでもあり(四三頁)、精神疾患の患者にとっては自分を救うための妄想的な自己物語ということになるのであろう。  ほとんどの章は精神医療の専門家によって書かれているため、本書は全体的に、臨床的、精神病理的、個別症例的であって、逆に言えば、健康な人の宗教性や、社会集団としての宗教のダイナミズムに関する記述は多くない。また、臨床宗教師、スピリチュアル・ケアなどについては、精神科医療の本領ではないということなのか、短い言及にとどまっている。  したがって本書は、精神医学と人文科学が交差する思想的言説についての、入門的〜中級的書物としてはたいへん優れているが、二〇二〇年代的な問題意識は希薄である。  著者らは、精神科医として、宗教的妄想を持つに至った様々な患者に接してきており、豊かな記述で紹介されるその症例群は、本書に感じられるオリジナルな部分である。もっとも、社会学的には、ある個人が妄想を抱いているだけでは、まだ完全なる宗教ではなく、その妄想を家族などの身近な他者が支持し広めて初めて、社会的な意味での宗教のスタートになるのであるが。  なお「原武(はらたけ)」という名の人の声が(幻聴で)聞こえるという症例が登場し、著者(小林)はこの名前について由来不明だと書いているが(一〇九頁)、文脈を見るにこれは郷ひろみの本名(名字)ではないだろうか。本旨とはほぼ無関係であるが、せっかくなので補足的に指摘した。  さて、欧米の研究者たちが長年実施している「世界価値観調査」において、日本は世界一宗教性が希薄な国だという結果がある。日本の実際の医療の現場において「スピリチュアリティ」なる概念が日常的に使われているわけでもないであろう。精神医療はエビデンスベースの科学であるからこそ発達してきた面もある。そう考えると、精神医療には単なる謙虚さを超えた「大いなるものへの信」が必要なのだという主張(二一七頁)は、必ずしも説得的には思われなかった。  また、オウム事件以降の動向をふまえるのならば、人間の精神領域において時に出現する宗教性というものが、集団的に力を得ると、社会に多大な損害をもたらすことも時にはあるという側面にも、本書は目配りできたのではないだろうか。  もし精神疾患と現代的な「スピリット」が結びつく状況を描き出すなら、特段宗教にこだわらず、拝金主義、新自由主義、ツーリズム、推し活などが、現在の精神医療の臨床にどう反映しているのか、いないのか、そういった点も読んでみたかったと思う。それについては、今後の研究を期待したいところである。(こいけ・やすし=立教大学教授・宗教社会学・心理主義論)  ★こばやし・としゆき=自治医科大学教授・臨床精神医学・精神病理学。著書に『うつ病ダイバーシティ』『キャラクターが来る精神科外来』『摂食障害入院治療』『音楽と病のポリフォニー』『行為と幻覚』『シンフォニア・パトグラフィカ』、共著に『精神医学対話』『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』など。一九六二年生。

書籍

書籍名 精神・医学・宗教性
ISBN13 9784910213583
ISBN10 4910213589