2025/06/20号 8面

悪魔崇拝とは何か

鼎談=藤原聖子×ヤニス・ガイタニディス×オリオン・クラウタウ/ルーベン・ファン・ラウク著『悪魔崇拝とは何か』刊行を機に
鼎談=藤原聖子×ヤニス・ガイタニディス×オリオン・クラウタウ 悪魔崇拝を通して見る、西洋エソテリシズム研究の最前線 ルーベン・ファン・ラウク著『悪魔崇拝とは何か 古代から現代まで』(藤原聖子監修/飯田陽子訳、中央公論新社)刊行を機に  ルーベン・ファン・ラウク著『悪魔崇拝とは何か 古代から現代まで』(藤原聖子監修・飯田陽子訳、中央公論新社)刊行を機に、東京大学大学院教授の藤原聖子氏と、西洋エソテリシズムの研究状況に詳しい千葉大学大学院准教授のヤニス・ガイタニディス氏、東北大学大学院准教授のオリオン・クラウタウ氏に鼎談いただいた。(編集部)  藤原 近年、Qアノン陰謀論やグリーヴスのサタニック・テンプルの文脈で、欧米の悪魔崇拝(サタニズム)に関するニュースを日本でも目にするようになり、ネットでも騒がれています。このように、悪魔崇拝は社会現象になっていますが、一般の人だけでなく研究者の間でも、その内実はほとんど知られていません。そこで、悪魔崇拝に関する研究書の中でも、米国宗教学会賞(宗教史部門)を受賞し定評のある本書を翻訳し、社会のニーズに応えることを考えました。  本書は、西洋における悪魔崇拝の歴史を包括的に辿っています。この包括性には二つの面があり、一つは古代から現在に至る通史であること、もう一つは、悪魔崇拝に関する事実と虚構の両方を対象にして、かつ、それらの相互関係を示したことです。  先行研究は多かれ少なかれ、悪魔崇拝は歴史的に実在した、という立場を取っていました。例えば、中世において黒ミサが実際に行われていた、というように。それに対して本書は、黒ミサをやるような悪魔崇拝は20世紀に入るまでなかったと指摘しています。悪魔崇拝をめぐる膨大な史料、言説のファクトチェックを行い、20世紀以前に行われていたことを示す信頼に足るエビデンスは存在しないことを明らかにしたのです。  また、著者のファン・ラウク氏は宗教学者であると同時に小説家でもあるので、ファクトチェックにとどまらず、専門書でありながら読ませる本に仕上げているのも本書の特徴と言えます。欧米の悪魔崇拝という窓を通して、宗教史、オカルト史、社会・政治史、文学史を統合的に眺めることができます。さらに、読む人の関心に合わせて幾通りもの読み方が可能です。革命前後のフランス社会と宗教の関係の変化や、現代のアメリカや北欧のサタニズム・パニックの背景を知りたい人にも非常に示唆的です。  今日は、その中でも西洋エソテリシズム研究としての本書の意義を掘り下げてみます。原著がオックスフォード大学出版局の西洋エソテリシズム研究叢書に加えられていますように、悪魔崇拝はエソテリシズムに入れられることが多いのです。  エソテリシズムは、日本では「秘教」と訳されることもあり、神秘主義の類いと思われているかもしれませんが、大きな違いがあります。西洋社会において、神秘主義はあくまでキリスト教内部の伝統。それに対してエソテリシズムは、キリスト教徒が異教と名指ししてきた、外部の伝統です。代表例はグノーシス主義や錬金術、占星術、魔術そして悪魔崇拝です。  西洋エソテリシズムの研究状況に詳しい千葉大学のヤニス・ガイタニディス先生と東北大学のオリオン・クラウタウ先生に、本書及び、エソテリシズム研究の現状についてお伺いします。  ガイタニディス 藤原先生が言われるように、内容も充実していて、愛好家だけでなく幅広い読者を魅了する本ですが、私が特に関心を持ったのは、悪魔崇拝をどう捉えるかという方法論です。それ以前の類書では、悪魔崇拝と名乗られたものが政治的、あるいはアイデンティティの工作として使われた場合に、どのような意味を持つかは解説されませんでした。対して本書では、悪魔崇拝の実践者にとって、それがどんな意味を持ち、どんな意義があったのかを探っています。  これは、宗教研究における宗教の捉え方にも通じる話です。特定の宗教に対して、研究者があらかじめ「宗教である」という意味を与えるのではなく、実践者がどんな意義をもってそれを宗教と呼ぶのか。その意図の方がむしろ重要なのであって、悪魔崇拝も同じことであると本書には書いてあり、この点は、私の研究対象の一つであるスピリチュアリティとも関わる部分でしたので、大変興味を持ちました。  また、古代から現代にかけての悪魔崇拝の表象を、多くの事例、書籍、芸術作品から分析していますが、その分析の仕方も魅力的でした。従来は、特定の作品内で悪魔崇拝の表象が出た時点で、その作者は実際に悪魔を崇拝していたのだろうと決めつける風潮がありました。たとえばボードレール『悪の華』の「サタンへの連禱」という詩について。しかし、ファン・ラウクは作品の文章を表面的にとらえるのではなく、作者がその表象を使用した意図を細かく探っています。当然ながら、自分の宗教観をストレートに作品で表現するとは限らないわけです。さらに、作者の歴史的社会的背景を調べることは重要ですが、それだけで作品のすべてが説明できるわけではないとも述べています。  ※註 L・グリーヴスがハーヴァード大の学生時代に立ち上げた、リベラル派の組織。保守的なプロテスタント福音派に対抗。  藤原 研究者が自ら「宗教」を定義するのではなく、歴史上のさまざまなアクターが、「宗教」をどう定義し、それによって何をなそうとしてきたかという、言説の力学に注目する方法は、現在の宗教研究では一般的なものですね。しかし、本書のように、「悪魔崇拝」という特定の事象について、その力学を一次資料に即しながら何世紀にもわたって描き出した例は少なくとも宗教学分野では稀です。その力学を、本書は「ラベリング」「摂取」「同一化」という三つのキーワードでとらえていますが、クラウタウ先生、それはつまるところどのようなものですか。  クラウタウ 悪魔崇拝とは長らく、自身のアイデンティティの問題ではなく、「他者」をどう語るかの問題でした。そこで、「サタン」への視座の問題として悪魔崇拝を捉え直したファン・ラウクは、本書で〈歓迎されない他者〉としての前近代の悪魔のイメージが、〈自己表現の手段〉となる近代へと移る過程を描いています。ただし、近代以降もその両要素は互いに影響し続けており、かつ「他者」を語る行為は常に「自己」を規定する営みでもある以上、悪魔崇拝とは「他者」と「自己」の弁証法的な関係性を考えるための格好の素材なのではないか、と本書を通して思いました。  また、そのような関係性が現われる媒体として、ロマン主義から世紀末までの豊富な文学作品を分析しているところも本書の特徴です。これはファン・ラウクが小説家だということにもよりますが、私の知る限り、ヨーロッパのエソテリシズム研究者には豊かな文学的素養をもつ人が多いですね。  藤原 著者ファン・ラウク氏は一昨年、オランダから来日していますが、同じ時にスウェーデンの悪魔崇拝研究者、パー・ファクスネルド氏も来日し、東大でちょっとした集まりがありました。それを主催したのはお二人でしたが、他にも海外からエソテリシズム研究者を招いてワークショップなどを度々開催していらっしゃいますね。西洋エソテリシズムの研究状況はヨーロッパではどうなっているのでしょうか。  ガイタニディス 西洋エソテリシズム研究は、伝統的な学問分野である、歴史学、文学、神学などから逸脱した研究という自己規定のもとに、1990年代後半から徐々に盛んになりました。新領域の開拓には必ず有名な先導者が存在しますが、この場合は、その中心となったのはフランスのA・フェーヴル、さらにオランダの宗教学者W・ハネグラーフです。2000年代にハネグラーフが莫大な予算を確保し、専門の研究所を作ったことで、西洋エソテリシズム研究が制度的に確立されました。その後、複数の大学の宗教学の枠でエソテリシズム研究の博士論文が提出されるようになり、研究の意義が学界でも認知され、研究者たちが各地の大学に職を得ていきました。特に盛んなのはオランダですが、スウェーデンやドイツでも大学院レベルでエソテリシズム研究を行うことが可能になっています。西洋エソテリシズム研究欧州学会(ESSWE)も2005年の設立以降、会員数が急増しています。関心を持つ人が大学の研究者に留まらず、一般社会にも実践者というコアなファンがいることも、盛り上がりにつながっています。研究者自身が実践者である例も少なくありません。ファン・ラウクはサタニストではないですが。  ふりかえってみれば、ハネグラーフがエソテリシズムを主流の学知から「排除された知 rejected knowledge」として定義した影響は絶大でした。ハネグラーフは「エソテリシズム」には三つのモデルがあると述べていますが、重要なのは、この概念は学者が作ったカテゴリーであり、何がそこに入るのかは可変的だということです。  クラウタウ そこは重要なところです。ハネグラーフたちが先鞭をつけたエソテリシズム研究は、今やグローバルに展開しています。研究者はあいかわらず欧米に多いのですが、研究対象がヨーロッパ以外に拡大しているのです。そうすると、ハネグラーフの「排除された知」としてのエソテリシズムの定義が、対象に上手く合わなくなってくるのです。ヨーロッパでメインストリームを構成するキリスト教や近代科学と、それに対立するエソテリシズムという基本的な構図が揺らいできています。  たとえば、西洋エソテリシズムの一つとされる神智学協会は1875年に結成されましたが、これは当時のヨーロッパにおける学術的な仏教研究を背景としていました。その神智学の教義体系がヨーロッパにおいては「排除された知」であったとしても、――神智学はすぐにアジアに波及するのですが――それが日本に受容される際には、むしろ仏教のメインストリームとして位置づけられました。  こういった展開を受けて、西洋エソテリシズム研究欧州学会の名称から「西洋」を外すかどうか、現在、活発な議論がなされています。  ガイタニディス ご指摘に付け加えれば、研究者が、自分の興味ある対象を「排除された知」と見なせば、それが「エソテリシズム」になるという風潮が出てきたことも、研究のすそ野が広がった一因です。  その象徴として、2006年刊行のDictionary of Gnosis and Western Esotericismという大部の西洋エソテリシズム事典や、さらに近現代の事例を扱った2014年刊行のOccult Worldというやはり大部の事典があります。  これらの事典の目次を見ると、ニューエイジ運動、新宗教関連の組織や思想のほかに、疑似科学や偽史まで実にさまざまなテーマが入っていることがわかります。一見関連がなさそうな各テーマの共通点は、研究者自身が自身の研究対象を「排除された知」とみなしていることです。西洋エソテリシズム研究は、自分の研究の逸脱性をポジティブなアイデンティティにしたい研究者たちを引き付けてきた磁場と言えます。しかし、ここまでテーマを広げてしまうと、果たして何がエソテリシズムで、何がそうではないのか、私は疑問を覚えます。  藤原 それに対して、日本では、オカルトはよく聞きますが、エソテリシズムはあまり研究されていないのでしょうか。  ガイタニディス 日本では、シャーマニズム研究、新宗教やマイノリティ宗教の研究、ニューエイジ・精神世界研究、スピリチュアリティ研究などで、「エソテリシズム」に該当するものが研究されています。そこに新たな学術カテゴリーを導入して、一つの研究分野を立ち上げる意義が見出されていないのではないでしょうか。  例外は、クラウタウさんも私も大きな影響を受けた、吉永進一先生の研究です。残念ながら3年前に亡くなられましたが、先生は、国際的なエソテリシズム研究者とのネットワーク、EANASE(東アジア秘教学術研究ネットワーク)を単独で築かれました。神智学協会をはじめとする19世紀から20世紀初頭にかけてのオカルティズム組織・思想家や実践が日本の宗教界に与えた影響について研究され、その成果は日本でも海外でも大きな関心を集めました(ガイタニディス「コメント:オカルティズム研究の方法論的課題」『近代仏教』31)。  クラウタウ 私も、現在ヨーロッパのエソテリシズム研究で取り上げられているような対象は、日本においても研究されてきたと認識しています。それらが「エソテリシズム」や「オカルト」という包括的なラベルでまとめられてはいなかったということです。  たとえば19世紀末以降の心霊をテーマとする文学作品は国文学の専門家によって研究されてきましたし、戦後の精神世界やニューエイジ運動については宗教社会学者の研究があります。宗教史の立場から神智学のネットワークに焦点を当てた研究もあります。ところが、こうした研究はこれまで連携することなく、それぞれ独立して行われてきたところが多いです。総合的に語ろうとする動きが見え始めたのは21世紀以降ですが、現在もその動きは強いとは言えません。例えば、一柳廣孝先生の怪異怪談研究会は有名ですが、一柳先生や一部の参加者を例外として、ほとんどの参加者はエソテリシズム研究を意識しているわけではないようです。そうした中で、吉永先生のEANASEは、それまで接点のなかった研究者が対話を行うための場として、非常に大きな意義を持っていたと思います。歴史系の私と、社会・人類学系のガイタニディスさんが交流するようになったのも、そのおかげです。  藤原 研究蓄積があるのでしたら、日本の研究者ももっと国際的な研究ネットワークに加われないでしょうか。日本から貢献できることも大いにあるのではないですか。  クラウタウ 私はむしろ、「海外に貢献しなければならない」という発想に距離を置きたいと考えています。というのも、その「海外」はたいてい欧米を指していますから、やはり一種の西洋中心主義的な前提があるからです。「貢献する」という姿勢よりも、欧米の動向を視野に入れつつ、それを乗り越えるような、真にグローバルな宗教史の構築を目指すべきだと考えています。実際、そのような視座を一貫して持ち続けてきたのが吉永先生で、彼の研究は多くの欧米の研究者から注目されるようになりました。  その関係で近年、西洋エソテリシズム研究の中心地から研究者が次々と来日しているのです。つまり、特別な努力をして「貢献」しようと意識するよりも、研究と対話を積み重ねていけば、向こうから求められるようになるのではないでしょうか。映画『フィールド・オブ・ドリームス』の有名なセリフにあるように、「つくれば、彼らはやって来るIf you build it, they will come」のかもしれません(笑)。(おわり)  ★ふじわら・さとこ=東京大学大学院人文社会系研究科教授・比較宗教学。著書に『ポスト多文化主義教育が描く宗教』『宗教と過激思想』など。  ★ヤニス・ガイタニディス=千葉大学大学院国際学術研究院准教授・宗教人類学・宗教社会学・日本研究。編著に『クリティカル日本学』など。  ★オリオン・クラウタウ=東北大学大学院国際文化研究科准教授・宗教史学・史学史・日本研究。著書に『隠された聖徳太子』など。

書籍

書籍名 悪魔崇拝とは何か
ISBN13 9784120059094
ISBN10 412005909X