日本ポップス史 1966―2023
スージー鈴木著
中田 勝猛
約六十年の日本ポップス史を書く──これが無謀な試みであることは言うまでもない。無論、著者もそのことは自覚しており、これは自分流の通史なのだと冒頭に述べている。よって、どの観点で記述するかという「史観」が重要となるが、本書では「その音楽家が、一番すごかった時代」「その時代の中で一番すごかった音楽家」を二つの軸として、その交わる点を書き留めていく。何をもって「すごい」とするかが史観の根幹を成すのだが、著者は作品の質だけでなく、時代性=大衆性、すなわち「売れた」ことも同程度に重要視する。つまり、本書は先鋭さと大衆性の獲得を両立した音楽の、点と点を結びつけた歴史になっており、そこに十分な妥当性があることに大きな異論はないはずだ。
そして、その「点」である各アーティストの分析も的確である。著者は作品の質に関して歌詞と音楽性で掘り下げていく。歌詞では、ロックを日本語で歌うことについて「はっきりと発音する(忌野清志郎、ブルーハーツなど)」「英語風に発音する、または英語と日本語を混ぜ合わせる(キャロル、サザンなど)」の二派に分け、音楽性では影響元である同時代の洋楽に触れるだけでなくコード進行など音楽理論を交えて説明する。例えば、商業的成功の側面ばかり語られがちな荒井由美の項では、その大半がコード進行の説明に費やされている。もちろん楽曲を聴きながら耳で理解できるように書かれており、理論がわからなくてもまったく心配ない。このように、楽器が演奏できない人にも伝わるように音楽理論を嚙み砕いて解説しているのが本書の特徴だ。音楽批評と名乗りつつも音楽理論にまったく触れない、あるいは触れていても「間違えている」ものが多いなかで、本書の匙加減はベストと言えるかもしれない。この客観的な指標が加わることによって、時代性を伝える著者の思い出語りがノイズにならず、主張を補強するものとして機能している。
その成果のひとつが「はっぴいえんど中心史観」を否定していることだ。細野晴臣、大瀧詠一らで結成されたバンド「はっぴいえんど」は、現代ではすっかり「日本語ロックの元祖」という評価を確立している(何を隠そう私もそう教えられてきた)。しかし著者は、はっぴいえんどより遡ること四年前の一九六六年、当時の洋楽を貪欲に吸収した自作曲が多く収録され、日本語歌詞の新しいリズムを模索し、そして商業的にも成功した、『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』を日本語ロックの元祖と位置づける。取り上げられている楽曲を実際に聞けば首肯する要素は多く、多くの読者にとって新しい視点となるだろう。
もちろん、個人の通史ゆえに疑問点を探せばいくらでも見つけられる。本書で取り上げられているアーティストのリストに対して人によってそれぞれ異論が出るのは致し方ないとしても、一九九四年から二〇一六年まで約二十年が空白になっていることには「ちょっと待て」と口を揃えるのではないか。その空白の根拠を著者は「個人的要因」「音楽シーンへの興味関心が低下していた」とするが、それも個人の通史だと言われれば閉口せざるを得ない。
それでも私は、本書全体を貫いている特質として著者の誠実さを挙げたい。前述の音楽理論の説明や二十年の空白の理由など、著者は読者にときに寄り添い、ときに率直すぎるほどの姿勢で伝えようとしており、著者の人柄が滲み出ているようだ。そして最終部で、異なる世代のリスナーたちを異なる時代の音楽に接続しようとする。音楽が時代を越えるのは当たり前と言えばそうなのかもしれないが、理論を交えた的確な批評軸を確立した上で音楽への愛(とたまに失望)を語るという、読者と音楽への誠実さがあるからこそ、本書における時代の接続には確かな説得力が生まれているのだ。六十年代から八十年代に頁の多くが割かれていることも、Jポップが巨大産業化する九十年代より前の音楽に、若い世代をなんとかして導きたいという意図があるのだろう。
「完璧な通史」などあり得ない。だが、過去と現在を繫げるという目的を果たせるであろう本書は、立派な「通史」だと言える。(なかた・かつたけ=翻訳家・自主音楽レーベル「Kaiser The Dog Records」運営)
★すーじー・すずき=音楽評論家・ラジオDJ・作家。著書に『沢田研二の音楽を聴く 1980―1985』『大人のブルーハーツ』『桑田佳祐論』など。
書籍
| 書籍名 | 日本ポップス史 1966-2023 |
| ISBN13 | 9784140887523 |
| ISBN10 | 4140887524 |
