2025/08/08号 3面

思想家 岡本太郎

思想家 岡本太郎 江澤 健一郎著 矢野 静明  江澤健一郎にとってはバタイユ、中平卓馬に続くモノグラフとなるが、書き手の視点がはっきりと示された好著となっている。好著だというのは、様々な表情をもつ岡本太郎に著者の気質がうまく作用し、結果として岡本の思想を取り出すのに成功しているからである。その著者の気質とは何かといえば、あまり気の利いた表現ではないが、公平性ということであり、今回の岡本太郎論においても、最大限に評価すべき働きを示している。  岡本太郎の名前は日本の芸術家では飛びぬけてよく知られており、メディアでの取り上げられ方も群を抜いていた。だが、生前の岡本は、思想家どころか、芸術家でもない奇矯なタレント文化人的な扱いさえ時に受けてきた。そのような人間を独立した思想家として論述するというのはたやすいことではない。生前においても、彼の芸術論や文化論はしばしば話題になり、多数の著作を出版し、また本人も繰り返し語り続けてきたのだが、それでも岡本太郎という人間に、生涯を貫く一本の強固な思想のラインがあるということはなかなか気づかれないままであった。岡本太郎はいつも同じ話を繰り返し、観客や読者を挑発するといった印象が何よりも強かった。が、この本での岡本太郎はまったくそういう人間ではない。それを可能としたのは、この本の著者が既成の情報やイメージに惑わされない、あるいはほとんど関心を持たない徹底した公平性を保っているからだ。堅実な公平性によって捉えられた思想家岡本太郎はあきれるほどに明快であり、思わせぶりな曖昧さを持たない。これは明快な思想家像を作り出すために、著者がさまざまな陰影を無理に削り取ったからではなく、第一の理由は岡本太郎自身が曖昧な自己像を持たなかったためであり、江澤がそれを承知し遡行しているということである。読めばわかるが、岡本太郎は自らの思想のラインを最初から自覚的に形成し、それを最後まで保ち続けた。その思想形成の足跡を正確に取り出した結果が今回の本となっている。  一九三〇年にパリに到着してから始まる岡本の思想形成は、戦後の対極主義、そして縄文土器論から沖縄文化論に至るまで、はっきりと一本の思想線でつながっている。その明快なラインをたどって思想家としての岡本太郎を取り出す。江澤は岡本から徹底した思想の形を取り出せると確信している。結果として、岡本の思想の形がはっきりと浮かび上がる。  パリでのバタイユを中心に、セリグマンたちシュルレアリスムの周辺にいた者との交友、モースの民族学との出会いが決定的となり、岡本の思想は姿を現わしていく。その徹底性は見事なものである。戦時期をまたいでの、戦後の岡本の思想と芸術の実践を支えているのも、バタイユ、コジェーブ経由のヘーゲル弁証法(ただし対極主義的な運動としての弁証法)であり、一方で、モースの民族文化への視線が、縄文土器や沖縄文化への注視を準備していく。岡本への評価の分岐を象徴する、大阪万博への参加においても、バタイユ、モース的視点は貫かれていると江澤は理解している。日本的なものへの外部からの批判ではなく、内側からの日本的心性への批判を行ない、異なるものを提示しようとする。その姿勢は、様々な日本文化論で示す、内部に入り込んで変容させようとする岡本と同じなのである。  江澤の記述に従って読み進めていけば、最初期のパリで獲得された思想の原形は、岡本の全生涯と全活動を常に先導していたことがわかる。極端に理解するなら、バタイユ、モースから受け取った思想の骨格を取り出せば、思想家としての岡本太郎はほぼ語り尽くされるとも言えるだろう。だがそれにとどまらず、そこから縄文土器論、沖縄文化論も含んだ、岡本の日本文化論が生み出されていく実践の過程は、現実に生きられた一本の思想線が貫かれたことの証である。江澤はその思想のラインを躊躇なく取り出してみせた。(やの・しずあき=画家)  ★えざわ・けんいちろう=立教大学兼任講師・フランス文学。著書に『バタイユ』『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』『中平卓馬論』、編著書に『アンチ・ダンス』、訳書にジョルジュ・バタイユ『内的体験』など。一九六七年生。

書籍

書籍名 思想家 岡本太郎
ISBN13 9784865032062
ISBN10 4865032061