現代ロシアの歴史認識論争
西山 美久著
立石 洋子
本書は第二次世界大戦と独ソ戦の評価をめぐるロシアと欧州諸国との対立に着目し、プーチン政権の歴史政策を対外政策と内政から分析している。国連での活動やCIS諸国、ドイツやイスラエル、中国との協力、法律と憲法の改正など本書が扱うテーマは多岐にわたり、ロシアの歴史政策について考察するうえで必要となる多くの有益な情報を提供している。たとえば7章では野党のロシア連邦共産党と政権のスターリン評価の違いについて説明したうえで、スターリンを再評価しようとする各地の共産党の活動とそれに対する住民の反応が紹介されており、政権の政策だけに着目していては理解できないスターリン評価をめぐるロシア国内の論争の一端が示されている。また8章では、独ソ戦の評価に関わる法律改正の過程が詳述されており、歴史の評価を規制する他国の法律と比較するうえで重要な情報を提示しているといえるだろう。
それと同時に、本書の分析の枠組みや視点についてはいくつかの疑問を感じた。「大祖国戦争史観」とは、本書によればナチズムから欧州を解放したソ連の貢献とそのために払った多大な犠牲を強調するプーチン政権の歴史認識であり(3頁)、これに異議を唱えるバルト諸国やポーランドとの対立が欧州との対立に変わる様子が説明されている。しかし、本書ではそれだけでなく、第二次大戦の開戦責任はドイツ、ソ連のみにあるというポーランドなどの主張、ナチ・ドイツが設立した武装親衛隊ラトヴィア人部隊の元兵士やその支持者による記念集会の開催、モスクワ攻防戦に関するロシア国内の論争など、その他の多数の論争も対象としている。これらの論点は第二次大戦に関連してはいるものの内容は大きく異なり、ロシアや欧州のなかでも見解が分かれる。本書の狙いをより明確に示すには、プーチン政権の「大祖国戦争史観」という用語で本書が何を意味するのかを明示し、それぞれの論争をより丁寧に分析する必要があるように思われる。
また、本書は全体として、プーチン政権の「大祖国戦争史観」と欧州との対立を固定されたものと捉えているように見える。しかし、実際には欧州は一枚岩ではなく、プーチン政権の政策も他国との対立や協調との相互作用のなかで変化し続けている。それは欧州諸国も同様であり、2000年代前半以降の第二次大戦の評価をめぐる対立の悪化は、バルト諸国やポーランドのEU加盟に伴い、戦時中のユダヤ人迫害への加担や黙認が注目されるようになったことと切り離して分析することはできない。また、5章で紹介されているドイツの事例だけでなく、ポーランドとロシアの歴史家が共通教科書を作成したこともあった。反対に国家間の対立が悪化すれば、その影響を受けて歴史の評価をめぐる対立も悪化する。著者は終章で、なぜロシアが近年、歴史認識で日本への批判を展開するようになったのかを中ロの関係も視野に入れて分析する必要があると述べるが、批判が強まった時期を考慮すれば、ウクライナ侵攻後の日本との関係の悪化をその要因と考えるのが自然であろう。こうした協調と対立の両側面を分析し、変化とその背景をより詳細に示す必要があるのではないだろうか。
なお、本書は2014年のクリミア併合以前のウクライナの記憶政策には注目していないが、ナチ・ドイツと協力したウクライナ民族主義者組織(OUN)などの再評価が公的に試みられ、第二次大戦の歴史に関するロシアとの国家間の対立およびウクライナ国内の対立が悪化し始めるのはユシチェンコ政権期である。また、8章で検討されているロシアの第二次大戦の評価に関する法律改正においても、OUNの評価などに関するウクライナの法律との対抗という要素が重要な意味を持ったことから、本書のテーマを考慮すれば、2014年以前も含めたウクライナの政策との相互作用を検討するべきだと思われる。
著者によれば、第二次大戦の記憶をめぐる対立は今後もロシアと欧州の関係を左右するだけでなく、近年の中国とロシアの歴史政策における協調は、その舞台がグローバルに拡大し、日本にとっても無視できない問題となっていることを示しているという(305頁)。しかし、そもそもこの問題はロシアと欧州、あるいはロシア・中国と日本の対立といった図式では捉えきれないのではないだろうか。たとえば3章でも紹介されているように、2004年の第60回国連人権委員会でロシアなどが提出した、ナチズムや武装親衛隊の神聖化に懸念を表明する決議案の採択に反対したのは欧米諸国と日本のみであり、これらの問題をロシアと欧州の対立という観点のみから理解することはできないだろう。5章や補論で言及されている靖国神社への公人の参拝や731部隊の活動の解明も同様に、中国とロシア、日本のみの問題ではないはずである。
以上のように本書は、ロシアだけでなく、第二次大戦の歴史に関する各国の政策を考察するうえで多くの示唆を与えてくれる。ロシアと欧州の対立といった視点を超えてより広い視野から第二次大戦の歴史を議論するために、そして「記憶の政治」の道具のためではなく、それとは距離を置いた冷静な議論のために本書が参照されることを期待したい。(たていし・ようこ=同志社大学グローバル地域文化学部准教授・ロシア・旧ソ連地域研究)
★にしやま・よしひさ=東京大学先端科学技術研究センター特任助教・現代ロシア政治・歴史認識・ナショナリズム。著書に『ロシアの愛国主義』など。
書籍
| 書籍名 | 現代ロシアの歴史認識論争 |
| ISBN13 | 9784766430486 |
| ISBN10 | 4766430484 |
