2026/09/18号 7面

追悼・戸田山和久(山内志朗)

追悼=戸田山 和久 戸田山さんの若すぎる死を悼む 山内 志朗  戸田山和久さんが八月十四日に逝去したと八月下旬になって知った。訃報をSNSで見かけて、驚き調べて見ると本当のことだった。ショックだ。彼は私より一つ年下でまだ六十七歳だったのだ。  あの髭モジャの姿が思い浮かんだ。戸田山さんは、若い頃からひげを伸ばしていて、豪放な感じを放っていて、ガハハと笑う陽気な人だった。サンタ・クロースのような温かさと人なつっこさも備わっていた。SFが大好きで、その流れで分析哲学に興味を持つようになったと言っていた。  戸田山さんの特質は、陽気さの方面にだけあったのではない。繊細な気配りの人だった。相手の理解度に合わせて、相手が知りたいことを把握したうえで、分かりやすく話すことがうまかった。  戸田山さんは、一九五八年生まれだった。一年後輩になるが東大文学部の哲学科を同じ年に卒業した。髭モジャだったのは若い頃からで、四十五年前の哲学科の卒業祝賀会の写真もヒゲをはやしていた。  大学院に入ると、指導教官が黒田亘先生となった。同門のよしみで、同じ演習を聴講することになり、いろいろと話すようになった。彼は科学哲学で、私はライプニッツと近世スコラ哲学といった哲学史研究だったから、話す内容は哲学のことよりもSFの話が多かった。  大学院が終わって、私が新潟で、彼は名古屋で教鞭をとるようになった。離れてしまったのだが、なぜか関わりが続く。戸田山さんが書いたベストセラー『論文の教室』(NHK出版)が刊行されたのが二〇〇二年十一月、私が『ぎりぎり合格のための論文マニュアル』(平凡社新書)を出したのが、二〇〇一年九月だった。  戸田山さんは親身になって指導する教育者だった。学生の書く文章のクセが分かってきて、「こういう表現を避けるだけで文章がうまく見える」禁句集を作ったという。  その禁句集は、戸田山さんらしい譬えで言うと、子供が口の中にご飯を入れたまましゃべったら、親が「めっ!」という。そうすると、子供はそのうちしなくなる。私の『ぎりぎり合格』は要するに論文を書くハビトゥスを伝授するということだったが、それと戸田山さんの『論文の教室』の奥義が奇しくも重なったのである。  大学院生の頃を思い出す。あの頃ライプニッツやカントの数学的側面への関心が高まって、哲学科の大学院生で勉強会が企画された。文学部の連中ばかりなので、数学は苦手だが、戸田山氏は理系出身であるので、さすがに数学に詳しい。戸田山さんがどうしても必要だった。そして、彼をチューターにして、伊東俊太郎・原亨吉・村田全共著『数学史』(筑摩書房、一九七五年)の近世の部分は原亨吉が微積分の成立の過程を緻密に分析している。その箇所を集中的に読んだ。  場所は新大久保駅のそばにあった学友(木村競氏)の自宅だった。戸田山さんの本領ががぜん発揮された。彼の説明を聞くと自分で読んでいたときには意味不明だった数式が魔法のようによく分かった。  テキストを読んでいて、ここが分からないとかいう話になると、戸田山さんは静かに「そうだね」と話を始める。そのときの口調が耳に残っている。彼は相手が理解していることと分からないことを見抜き、どのように伝えれば相手が分かるのか、瞬時に筋道を探して見つけるスマートさがあった。だから、我々は戸田山さんが「そうだね」と静かに口を開くのを待つことが何度もあった。難しい数学史の話が即座に分かったような心境を聞いている人すべてに与えられた彼の知性的な振る舞いは、あの穏やかな笑顔と声と共に記憶に残っている。  彼は説明上手だった。聞く方のレベルに合わせて、分かるように話すという、気配りの話がうまい人だった。自分の主張を押し出さず、形而上学や神学の話は興味はなかった気もするが、しっかり耳を傾けて、お得意のジョークでまとめて人を笑わせるのは、大学院生の頃からそうだった。その勉強会も、毎度、亭主の名物麻婆豆腐で一杯飲んで締めくくり。戸田山さんの学生時代の思い出と言えば、数学史の名講義と麻婆豆腐を共にご相伴に与ったことだ。両方ともおいしかった。  四年前、コロナも明けて、二〇二二年の四月のことだった。二人とも論文執筆本の新版が時期を同じくして出たので対談しませんか、という話である。旧版も一緒の時期であったし、なぜか縁が深い。  論文執筆本の対談がNHK出版で企画され、久しぶりにじっくり語り合ったのだが、四〇年前と変わることなく、大学院生時代が思い起こされる。対談が終わって近くの中華料理に行った。数学史の勉強会のときも麻婆豆腐でしたねと言いながら、テーブルを囲んだときの彼は昔のままだった。あの頃が渋谷でも蘇ったのだ。  彼は名古屋大学を定年前に辞めて、奥さんが青森に就職するので、東京と青森の二拠点生活になると言っていた。共に食べた中華料理をヒゲをかき分けながら食べていた彼の姿が思い起こされる。また、あの「ガハハ」という笑いを聞いてみたいと思う。(やまうち・しろう=慶應義塾大学名誉教授・哲学)  戸田山 和久氏(とだやま・かずひさ=哲学者)八月十四日死去。六七歳。  一九五八年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得満期退学後、名古屋大学に勤務。二〇二三年より、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構に勤める。科学哲学を専門とし、自然主義を擁護。「概念工学」としての哲学的探究にも深くコミットした。著書に『最新版 論文の教室』『思考の教室』『教養の書』『恐怖の哲学』『科学的実在論を擁護する』『哲学入門』『「科学的思考」のレッスン』『論理学をつくる』『知識の哲学』、編著に『〈概念工学〉宣言!』、訳書に『自由の余地』など。