2026/04/10号 6面

体の居場所をつくる

体の居場所をつくる 伊藤 亜紗著 頭木 弘樹  心の悩みの場合、病院の精神科で治療してもらう以外に、心理カウンセリングなどで話を聞いてもらうことができる。でも、体の悩みの場合、病院で治療してもらう以外には、どこかで話を聞いてもらうことはできない。  「体の場合、そんなの必要ないでしょ」と思うかもしれないが、そんなことはない。病院で検査して薬をもらって、それで治ればもちろん問題ない。しかし、治療しても、苦痛が続く場合もある。それはもうしかたない、苦痛とつきあって生きていくしかないとなったとき、そこから先は医師の範疇外となる。しかし、どう生きていったらいいのか、誰かに相談したいし、自分でいろいろ模索して、工夫して、がんばって生きているとしたら、その成果を誰かに聞いてもらいたいではないか。  それを聞いてくれる貴重な存在が、この本の著者の伊藤亜紗だと思う。心理カウンセラーならぬ、体カウンセラーだと、私は勝手に思っている。  この本は、さまざまな病気や障害などを抱えて生きている人たちへのインタビューをもとに書かれている。摂食障害(過剰なダイエット、過食嘔吐、拒食と過食の往復)、脊髄性筋萎縮症(SМA)、元在日コリアン、ナルコレプシー、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、脳脊髄液減少症、身体症状症、コロナ後遺症、PAPA症候群。  病気や障害などを抱えている人たちへのインタビューは他にもたくさんある。しかし、伊藤亜紗の本は、ひと味ちがう。というか、もっと何味もちがう。  その病気や障害などの当事者や関係者ではない人たちにとって、当事者たちの話を聞く価値、読む理由はどこにあるのだろうか? 実際、関係ないから読みたくないという人も多い。いつか自分にも何かが……などと考えるのは恐怖であり、むしろ目をそむけたくなるだろう。  そこで多いのが「感動物語」「困難克服物語」に仕立て上げるということだ。こんな大変な病気や障害になっても、それを乗り越えて、明るく前向きに生きている人たちがいる、だから健康なあなたもがんばりましょうね。こういうパターンはみんなを安心させるし鼓舞するのでとても好まれる。しかし、実際にはほとんど無価値だ。乗り越えられない病気や障害を持ちながらどう生きていくのか、ということこそが肝心なのであり、健常者を安心させるために健気に明るくなどしていられない。  お決まりのパターンのインタビューから、伊藤亜紗は最も遠いところにいる。型にあてはめようとか、感動的にしようとか、最後は希望のある感じでとか、そういう邪心がない。虚心に相手の話を聞く。聞いたことを、そのまま素直に受けとめる(これが意外にみんなできない)。そして、驚く(これも大切)。人の体にはこういうことが起きるのか、そのとき人はこんなふうに思うのか、こんなふうに対応するのか……。ひとりの個人的な体験が、伊藤亜紗に聞いてもらうことで、人間の体の、そして心の、さらには社会についての普遍的な発見につながる。  ヴァージニア・ウルフのこの言葉が思い出される。「病気のもたらす精神的変化がいかに大きいか、健康の光の衰えとともに姿をあらわす未発見の国々がいかに驚くばかりか」(『病むことについて』川本静子編訳、みすず書房)  『体の居場所をつくる』を読んで、個人的に心に残ったところを、いくつかあげてみたい。  「インタビューをしていると、その人の体に対するイメージが豊かな比喩で語られる場面によく出会います」と著者は書いている。体のことは、言葉で伝えるのがとても難しい。だから、自然と比喩を駆使することになり、その言葉は詩に、文学に近づく。たとえばALSの新井さんは、足の小指にちょっとタオルが引っかかっている程度の刺激も不快に感じてしまう感覚過敏について、「今の体は誰もいない音楽室みたいな感じだから、ハエが飛んでる音も聞こえちゃうんです」と表現する。  身体症状症のさえさんは、遠隔操作ロボット「OriHime」によって、自宅にいながらカフェのフロアスタッフの仕事もしている。「そこに実体がなくても存在にふれてもらうことはできるのかもしれない」という言葉にハッとさせられた。  摂食障害のヨウさんは、父親との関係が原因かと思っていたのだが、それだけではないと気づく。「そもそも問題の原因を特定することと、解決に至る道筋は実は関係がないのではないか。いや、そもそも解決を目指すことが問題なのではないか」と著者は問いかける。  では、どうするのか?「体を持て余しているからといって、それを私の生の外部に追い出すことはできません。体を悪者にすることはできない。ならば、どんなに困った奴でも、それを居ていいものにするための工夫が必要です」  体はもちろん、体以外にも、そう簡単に縁を切れない相手は多い。〝それを居ていいものにするための工夫〟はつねに必要だ。この本に出てくる人たちが、それぞれにどんな試行錯誤、工夫をしているか、ぜひ読んでみてほしい。(かしらぎ・ひろき=文学紹介者)  ★いとう・あさ=美学者。東京科学大学未来社会創成研究院、リベラルアーツ研究教育院教授。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』など。一九七九年生。

書籍

書籍名 体の居場所をつくる
ISBN13 9784255014081
ISBN10 4255014086