落とされなかった原爆
鈴木 裕貴著
小倉 徳彦
ポツダム宣言を受諾し日本が降伏してから八十年を迎えた二〇二五年、各所で「あの戦争」を振り返る取り組みが行われた。一方で、戦争の時代を生き、その体験を伝える役割を果たしていた人々が減少しているなか、「あの戦争」を体験していない者が当事者意識を獲得し、戦争体験を継承していくための手段が模索されている。本書は、その手段を見つけ出すためのヒントを、歴史学的な観点から提示しようという意欲作である。
叙述の中心的なテーマとなっているのは、「原爆」に関する記憶の継承の歴史である。とはいえ、被爆地たる広島・長崎は、中心的な題材とはなっていない。これまでの研究史が、広島・長崎を分析対象とすることを自明としてきたため、被爆という問題系を二市以外の都市の課題としても提起していく訴求力に欠けていたのではないか。そういった問題意識を念頭に、原爆の投下が検討されたが実際には投下されなかった都市=「原爆投下候補地」において、被爆体験の当事者意識がいかに形成されていったのかが描かれる。
分析の対象は、長崎原爆の第一投下目標となりながらも視界不良のため被爆をまぬがれた小倉(現北九州市)、原爆投下指令書に挙げられた四都市の一つで、原爆の被害を抑えるための「一斉避難」を行った新潟、投下候補地の検討対象に入っていたが、対象から外された直後に大規模な都市空襲を受けた横浜、一度は投下候補地の筆頭に挙げられながらも陸軍長官スチムソンの意向により候補地から外された京都、の四都市である。分析の前提として、被爆地以外の都道府県にも多くの被爆者が存在し、原爆被害という問題が広島・長崎以外の地域社会にも存在することが確認される。
本書で取り上げられた四都市では、「地上の体験」に関する資料収集や、「地上の証言」の記録活動が行われた。小倉では、記録作家林えいだいにより公害と原爆、あるいは風船爆弾と原爆の接点が「発見」され、小倉在住の被爆者の貢献もあり、「原爆投下候補地としての小倉」というアイデンティティが戦時資料の収集を行う公設資料館設置へと結実する。新潟では、県史編纂の取り組みのなかで一斉疎開を命ずる知事布告原本などの資料が発掘され、横浜では、大量の体験記や資料を収録した『横浜の空襲と戦災』が刊行された。「無空襲都市」と言われていた京都でも、空襲被害に関する資料や証言の収集が「京都空襲を記録する会」や府によって行われ、その成果は『かくされていた空襲』として公表された。
重要なのは、これら「地上の体験」「地上の証言」だけではなく、原子爆弾を投下したアメリカ側の「上空の意図」に関する資料の収集・分析も行われ、「地上」と「上空」が交差するなかで、各都市における被爆体験の当事者意識が醸成されていったことである。アメリカ公文書館所蔵のマンハッタン計画に関する資料や、スチムソンの日記の分析等により、「上空」の視線が組み込まれながら、各都市の原爆に関する認識は構築されていった。
地道な歴史実践の結果として獲得された市民意識は、「親近性」や「地域性」といった視点から働かされる想像力、すなわち著者のいう「実証的な想像力」に基づいたものだった。著者は、この「実証的な想像力」こそが、戦後八十年を迎えた現代社会に求められていると主張する。一足飛びに広島・長崎の被爆体験を想像するのではなく、足元のローカル・ヒストリーを掘り起こしたうえで、身近な地域社会が広島・長崎とつながっていることや、原爆と他の社会問題が水面下で陸続きであることへの想像力を育み、核時代の当事者意識を作り上げていかなければならない。
本書で取り上げられた小倉では、これまでの地域史に関する蓄積を踏まえた、「もし原爆が落ちていたら私は死んでいた」あるいは「私は生まれていなかった」という「想像上の体験」が今もなお語られ、想像力を働かせて原爆の問題を考えるという素地が存在する。しかしこれは、必ずしも原爆投下候補地に限られたものではないだろう。たとえ原爆の問題に直接つながらずとも、ローカルの歴史にヒントを得ることで、グローバルな社会的問題について当事者意識をもって想像力を働かせることができる。本書は、地域史が持つ豊かな可能性を、私たちに示している。
読了した方はぜひ、地域における戦争の歴史をたどることを始めてはいかがだろうか。戦災の有無にかかわらず、日本国内に戦争の時代を経験しなかった地域は、存在しないのだから。(おぐら・のりひこ=北九州市平和のまちミュージアム学芸員)
★すずき・ゆうき=立命館大学衣笠総合研究機構研究員・社会運動史。広島大学原爆放射線医科学研究所付属被ばく資料調査解析部研究員などを経て、二三年より現職。
書籍
| 書籍名 | 落とされなかった原爆 |
| ISBN13 | 9784121101648 |
| ISBN10 | 4121101642 |
