2025/12/12号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 91・廣松渉(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第91回 廣松渉(一九三三―一九九四)  前回、「本を書いた」丹生谷貴志さんと「本を書けなかった」わたしとの〈交差〉を語った。とすれば、その続編、どのようにわたしがそれでも最初の本を刊行するに至ったか語っておこうかな、と思うと、やはり廣松先生にご登場いただくしかない。  廣松先生は、第55回でわたしがThe Oxford Handbook of JAPANESE PHILOSOPHYに「駒場カルテット」と題して、東大教授であった四名の先生の哲学を紹介する論稿を寄せたことを書いたときの四名の一人。そこにも書いたように、三年間のフランス留学中にリオタール、デリダなどの講義によって、わたしのなかの「哲学の木」が芽を出してしまった。それで帰国後、たった一学期だけだったが、東大の哲学の先生たちの授業に忍び込んでみた。そのようにして、――もちろん著書の何冊かは読んでいたが――廣松先生に会ったのだった。  だが、それで終わらなかった。先生は、その頃、若い港道隆さんと共著で、「20世紀思想家文庫」(岩波書店)の一冊『メルロ=ポンティ』を書いていた。そしたら、先生は、わたしともうひとり、わたしの高校時代の同級生でもある木村雄吉君の二人に、――われわれが毎週のようにメルロ=ポンティの原書を読む読書会を行っていたことを知ってか――本の内容をチェックしてくれ、と頼んできた。だから、その「まえがき」には、われわれ二人に「校正刷の閲読を願い、御高見を仰ぎました」と書かれている。  「御高見」などとんでもない。廣松先生を囲む酒席にお邪魔して、哲学話だけではない、先生の学生運動時代の激しさなどさまざまな話をうかがった、授業では得ることのできない「学び」であった。  そのなかでいまでも忘れられない「一瞬」、それが、先生がわたしの顔をじっと見て「小林君、四十歳になる前に自分の本を出さなきゃだめだよ!」と言った瞬間。何年経ってもその言葉が残っていた。  だが、わたしはさまざまなメディアに頼まれればどんなテーマでもなんとか書きあげるのだが、持続力がないのか、「断片」や「余白」に取り憑かれていたせいなのか、一冊の「本」を書くことはできなかった。でも、四十歳が迫ってくる。本は書けない。こうなれば、これまでの「ガラクタ」を集めて「本」を作るしかないとなって、一緒にマラルメ研究などもやっていた編集者の友人・鈴木宏さんが出版社・書肆風の薔薇(現・水声社)を立ち上げたこともあって、「廣松先生から言われたんだからさあ」と無理を言って、『無の透視法』と『不可能なものへの権利』の二冊を同時に刊行してもらったのだった。「本」は書けないわたしではあるが、「本」は出せる!  でも、この文章を書きながら、それだけではないかもしれない、という思いも過ぎる。廣松先生の哲学の核である「事的世界観」の原点は一九七二年の『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房)にあった。そこでは、近代的な「主観―客観」図式に「イデアール=レアール」な二元性を掛け合わせた「現象的世界の四肢的構造聯関」が論じられていた。となると、あの「四肢的構造」は、最近『存在とは何か』(PHP研究所)で、わたしが展開した存在の「実―虚」の四元的構造に通じているかもしれないではないか。……恐ろしいこと、ひょっとしたら、わたしは知らないうちに、廣松哲学の存在論を密かに受け継いでいたのかもしれないではない……(ふたたび)ああ、本、恐るべし!(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)