J・G・バラード
奥畑 豊著
円堂 都司昭
J・G・バラードは、日本でもよく知られた作家である。とはいえ、どうしても初期のSF作品のイメージが強く、アヴァンギャルド路線や半自伝的小説など、その後の作品まで踏まえた総合的な作家論は、あまり書かれていない。それに対し、「〈英語〉文学の現在へ」シリーズの一冊として刊行された奥畑豊『J・G・バラード 混沌とした世界を映すフィクション』は、彼の人生と時期ごとの作品の変化を丹念に追い、この作家の全体像をとらえようとした労作である。バラードが海外でどのように論じられ、主要作がどう評されてきたかにも触れており、巻末にはこの作家に関する文献案内も付している。これまでの世界的研究の総括であると同時に、これからの研究の土台となることを目的とした内容なのだ。日本のバラード受容において、本書が刊行された意味は小さくないだろう。
著者は、この作家をジャンルの「故国喪失者」と呼ぶ。J・G・バラードという名は、まずSF作家として読者に認知された。だが、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、H・G・ウェルズといったSFの伝統に属していないと、本人が明言している。また、イギリスの家系だが中国の上海で生まれ、戦時中に日本軍の捕虜収容所にいた経験もあるバラードは、英国リアリズム小説の伝統からも隔絶していた。根なし草の彼が、初期にSFというフィールドを選んだのは、純文学に比べマーケットが大きいというビジネスライクな判断によるものだった。そんなバラードは、地球外生命体や銀河戦争といった旧来的なSFの外宇宙のモチーフではなく、「内宇宙」を描く新たなSFを提示する。それは、ニュー・ウェーヴと称されたSFの動きの一部とみなされた。
ただ、バラードのいう「内宇宙」は、人間の内面や意識の流れだけを指すわけではない。彼は、人間の心理が外的世界と交わった時に立ち現れるヴィジョンを「内宇宙」と位置づけていたのであり、視覚的な概念でもあったのだ。彼は、その考え方にもとづき、傑作『結晶世界』を含む破滅三部作を執筆する。
バラードは、もともとシュールレアリスムやポップ・アートの影響を受けていたが、『残虐行為展覧会』でいっそう実験的な方向を打ち出す。それは、現実の断片化と複層化を断章形式で表現した「濃縮小説」の試みだった。間もなく彼は、自動車事故と性的魅力の融合という倒錯的主題の『クラッシュ』から始まるテクノロジー三部作へ移行する。そうかと思えば、少年時代の中国での戦時生活を題材にした半自伝的な『太陽の帝国』で世界的成功を得る。その後、犯罪小説のスタイルをとりこんだバラードは、晩年の四部作で「魂の郊外化」が進んだ社会での狂気を書く。彼の最後の長編『キングダム・カム』のテーマに関して、著者は作中の表現を用いて、こうまとめている。「消費者のファシズム」、あるいは「郊外のショッピング・モールで偶然に出会った」大量消費社会と「新たな全体主義」による「悪夢のような結婚」。この評言は、晩年の作品の性格をよく伝えているように思う。
著者は、バラードの作風がどのように変化したかを、時期ごとにきめ細かく追う。なかには注目すべき指摘もある。テクノロジーに注目したこの作家にとって、核は大きなテーマだった。象徴的なのは、『太陽の帝国』で上海にいる主人公が、見えるはずのない長崎の原爆の残光を目撃することだ。生前のバラードは、アメリカ帝国主義を批判したが、日本への原爆投下については肯定していた。日本の読者を失望させかねないこの見解について著者は、中国の収容所にいたバラードは原爆によって命を救われた面があり、殺戮兵器に救われたという記憶自体が負い目になっていたのだと指摘する。バラードの立場の難しさを読みとった分析である。
終章において著者は、この作家はSFから離れて歩んだようにみえるが、実は彼の文学的変遷は一貫してSF的行為だったのではないかと語っている。バラードは、一九八八年のインタヴューで「恐らくSFは終わった。なぜならそれは既にわれわれが吸い込む空気の中にあるからだ」と発言していた。彼は、世界自体がSFと化しているという認識をたびたび示していたし、「狂った世界こそが人間を正気に保つ」というモチーフを繰り返してもいた。また、「二○世紀について書こうとする人は誰でも、何の努力もなく容易にディストピアの様式で書けてしまうのです」と話していたのだ。本書は、内と外、人とそれをとりまく環境に関するバラードの考え方にたびたび注意をうながしている。その点に、この作家を読み解く鍵がありそうだ。
バラードは二○○九年にこの世を去ったが、ドナルド・トランプ米国大統領登場以後のポスト・トゥルースの世界にあって、彼の作品は、ますますアクチュアリティを放っている。本書を読んでそう感じざるをえない。(えんどう・としあき=文芸・音楽評論家)
★おくはた・ゆたか=日本女子大学准教授・現代イギリス文学。著書に『ハロルド・ピンタ』『ビッグ・ブラザーの世紀』など。一九九〇年生。
書籍
| 書籍名 | J・G・バラード |
| ISBN13 | 9784384061734 |
| ISBN10 | 4384061730 |
